第176話 新たな出逢い 4 老兵の語り
「私はね、臆病なんだ。君よりも……きっと誰よりも臆病で、ずっと歳だけ重ねてきた爺なんだ」
開口一番、自分を卑下する言葉から始まった。
残念ながら皆が期待したような誇り高き英雄譚ではない。
しかし後悔に満ちた暗い感情を吐き出させたのはシアの思惑通りと言える。
「臆病だからこそ生き延びてきた。勿論その為の努力はしてきたし、戦い続けた事や評価される事に誇りはある」
彼は勇猛果敢に切り込んだりはせず、どんな時でも生き残る事を考えて動いてきた。無茶を控え生き続ける事こそ、護る事に繋がるのだと信じて戦ってきた。
それでも散々危険な事があった。死にかける事だって何度もあった。
そうして戦い続ける者を、誰が臆病者だと言うのか……なのに彼は自身をそう評する。
「しかしその誇りは……時として戦場に縫い付ける刃となるものだ」
街と人を護り、信頼され戦い続ける誇り。少なくとも相応の実力があるという自負。
それは背を支え、時に押して、何度でも立ち上がらせてくれる大きな柱だったが、同時に戦場から退く事を許さない鎖となった。
きっと彼に限った話ではなく、ある程度ハンターとして活躍してきた者に付き纏う物なのだろう。
旅立つなら今だ、と団長達が言った本質はこれだったのかと皆は理解した。
時間が経てば経つほど、違う道へなんて簡単に行ける筈も無い。
既にそんな誇りを抱いていた皆は本当にギリギリだった。そして認められていく中でセシリアがより深く悩むようになったのは、まさにその鎖であった。
それが分かっていたからこそ、完全に絡め捕られるよりも前に背中を突き飛ばされたのだろう。
そして大切な人と共に行くからこそ、突き飛ばされても歩けたのだ。
「戦う事しかしてこなかった私に何が出来るのか……進む事も、何かを変える事さえも全てを恐れて、戦場に立ち続けた」
彼は戦場に縛られた。一般的なハンターなら老いていくにつれ、その鎖も緩み戦場から退いていくものだが……彼はまだ戦えた。戦えてしまった。
故にいつからか、変化を恐れるようになった。戦場を死に場所とし、いざその時まで変わらず戦うのだと。自ら歩みを止め、鎖を増やした。
「臆病故に、家族を背負う事さえ恐れた。街だろうと大切な人だろうと、結果的に護るなら同じ事の筈なのに……1人であろうとした」
家族はもう居ない。そして家庭を築く事もしなかった。友人と言える程親しい者も殆ど作らなかったし、もう誰も居なくなってしまった。
志を共にする仲間が倒れる事が怖かった。それ以上に大切な家族や友を失う事が怖かった。最初から1人で居れば、背負うのは倒れた仲間だけで良いのだ。
その仲間の命さえ、最早溢れんばかりに背負い圧し潰されそうになってしまっている。
長く戦い続けるという事はそういう事なのだ。もし更に家族や友が居て失っていたなら、きっと彼は折れてしまっていただろう。
そして彼の言う臆病とは、そんな意識の事だった。
何もかもを恐れ我武者羅に戦う事へ逃げた、そんな心を自覚して尚も変えられない事を臆病だと卑下しているのだ。
「そうして気付けばこんな歳だ。未だに歩みを止めたまま、後進に委ねる事もせず、戦場こそが私の居場所だと縋り付いている」
誇りという名の鎖、背負い続けた仲間達の命。それらは老いた彼を立ち止まらせた。
そして一旦立ち止まってしまえばもう、歩く事は出来なかった。このまま何も変わらず戦い続け、そして死ぬのだと諦めた。
「立ち止まってしまう事と、歩くのを諦める事は全く違う。君達はこんな爺の様にはならんでくれ」
夢や希望へと走る若者へ、老兵は語る。
どんな道を進もうと、何度立ち止まったって構わない。また踏み出せばそれでいい。
止まったまま諦めてしまった自分の様にはなってはいけない、そう語った彼の表情は言葉に出来そうにないと皆は感じた。
しかしこうして語る事で、彼は気付く事が出来た。
諦めたと思い込んでいただけだったのだ。まだ完全には諦めていないからこそ悩み悔やんで……そして今日、こんな眩しい少女達に憧れた。
なにやら色々と背負っているらしい幼い少女と、彼女の為に共に行く家族。勇気を出して新たな道へと走り出した彼女達に出逢えた事は、彼にとって救いになった。
「情けない暗い話だったが……吐き出させてくれてありがとう。誰にも話した事は無かったが、存外悪くないものだな。聞かされた君達からすれば良い迷惑かもしれんが」
彼は最低限しか人と関わろうとしてこなかった故に、こんな話は誰にもした事が無い。
初めて語った事で、今まで溜め込んできた物を多少なりとも吐き出せたのもまた救いであった。
迷惑だなんてとんでもない、と皆は揃って口々に返す。
今まで自分達の周囲にいた大人達よりもずっと大きな存在である老兵の話だ。英雄譚でなくとも貴重な話には違いない。
事実誰もがよくよく噛み締めて聞き入っていたのだから。
「こんな話をしただけで、なんだか心が一気に片付いたようだ。こうなると分かってて、秘密まで語ってくれたのかい?」
「ん……なったら良いなって。私がそうやって救われてきたから……」
まさしく目の前の幼い少女の思惑通り、何処かスッキリと穏やかな気持ちになれた。
長く長く生きてきた自分がまさかこんな小さな子供に救われるとは。人生とは何があるか分からないものだと、なんだか悟ってしまいそうだった。
とは言えシアだって確信していたわけではない。自分がそうして何回も救われてきたからこそ、少しでも意味があればと思っただけだ。
救われてきた、と言いながらルナを……家族達を見て微笑む。その微笑みを見た当の家族は誇らしいやら気恥ずかしいやら、とにかく嬉しそうだ。
改めてハッキリとシア自身から救われたのだと言われた事で、自分達は確かに彼女を支え助ける事が出来たのだと理解出来たから。
彼女の中でそんな存在になれていた事が、ただただ嬉しかったのだ。
そんな事も含め、この語らいは全員にとって意味のある良い場となってくれた。
暗くない英雄譚を聞けなかったのは残念だが、この街には暫く滞在する予定なので機会はあるだろう。
ともかく、多少冷めてしまった料理に戻った方が良さそうだ。




