ちょちょぷりあんのスープ
知る人ぞ知る『ちょちょぷりあん』と『ウミガメのスープ』を組み合わせた二次創作です。一応、許可は取ってあります。
知らない人には意味不明な文章に見えるかもしれませんが、なんとなく分かるように書いたつもりなので、そういうものだと思ってお読み頂ければ幸いです。
井上が死んだ。自宅のリビングで首を吊ったという事だった。
俺がその事を知ったのは今朝方で、ワイドショーを観ている時だった。テレビ画面の上部に『作家の井上氏、死亡。遺体が自宅で発見される』の字幕が流れてきたかと思うと、画面全体が切り替わり、慌てた様子の男性ニュースキャスターが、井上の死について詳細が記された原稿を読み上げた。
自殺の理由は不明。井上は前日まで全く以ておかしな様子は無く、SNSで家族と一緒に外食をしている写真を投稿していた。
画面に大きく映し出された井上と、その家族が笑ってピースサインをしている姿は晴れやかで、しかし……彼らの身体の合間から覗いたテーブルの上のスープを見て、俺はある確信を得た。
ヤツは気付いたのだ、とーー
ーー俺と井上の出会いは大学に入ったばかりの頃だった。
共通する友人の沢渡を介し、あるサークルの飲み会にお邪魔させて貰った時に俺達は出会い、そしてすぐに意気投合した。
井上と、沢渡。そして俺の3人は毎日の様につるみ、酒を飲んだ。くだらない話を沢山して、くだらない事を山ほどやった。あの素晴らしき退廃と青春の日々が、今の俺を形作っていると言っても過言ではない。
ある日、俺達はフェリーで四国へ観光旅行に行くことにした。
言い出したのは沢渡であり、突然の話にも関わらず俺達は賛同し、すぐに出発した。
安いオンボロのレンタカーのハンドルを握ったのは井上だ。
俺と沢渡は後部座席で四国観光のパンフレットを広げながら、混浴のある旅館は無いかとか、愛媛の坊っちゃん団子を食べようだとか、他愛のない話で盛り上がっていた。
港に到着し、切符を買ってフェリーに乗り込むと、暫くして沢渡が言った。
「実は2人に言わなきゃいけない事があるんだ」
それまでの明るい雰囲気から一変して、いやに暗い表情の沢渡を見て、俺と井上は首を傾げる。
次の言葉を躊躇う沢渡を促すと、やがて沢渡は意を決したかの様に告白した。
「俺……俺、ちょちょぷりあんなんだ」
沢渡の告白に、俺の頭は真っ白になった。井上もまた、顔をちょちょぷりあんの様に青くする。
「ち、ちょっと待ってくれよ! お前がちょちょぷりあんだって? 嘘だろ、冗談キツいぜ!」
困惑する井上に、俺も「そうだよ」と続く。けれど、沢渡の気まずそうな顔が、それが嘘でも冗談でもない事を如実に表していた。
俯く井上。唇をわなわなと震わせる彼の心境は如何ばかりか。友人がちょちょぷりあんだったという事実を、自分の中で上手く咀嚼出来ないのだろう。
俺だってそうだ。沢渡とは中学時代からの付き合いらしい井上ほどではないにせよ、俺は2人を……井上と、そして沢渡の事を一生付き合っていける親友だと思っていたのだから。
そんな俺が沢渡の告白に、井上よりもほんの少しだけ冷静で居られたのは、常々抱いていた「もしかして、こいつちょちょぷりあんなんじゃないか?」という疑念があったからだ。
そう、沢渡は本当に嬉しい事があった時に「ちょちょ、ぷりり」と鳴く妙な癖があったのだ。
後に調べて分かったが、それはちょちょぷりあんの鳴き声として、古い郷土史の文献にまで記されているちょちょぷりあんの特徴の1つだったのだ。
「それじゃあお前、これまでの事は全部嘘だったのかよ!!」
「嘘じゃない! 騙していた事は悪かったと思っている……だけど、だけど……!!」
詰め寄る井上は、はっと目を見開いた。沢渡の目から、まるで坊っちゃん団子の様に大粒の涙がぼろぼろと零れていた。
「俺がちょちょぷりあんだって知ったら、2人はきっと俺の事を嫌う。それはもう、牛乳を拭いた雑巾を見るみたいな目で、俺を見るに決まっている。他の奴らならともかく、お前ら2人にそんな目で見られるのが怖くて……ずっと、黙っていたんだ」
涙と嗚咽交じりに語られる沢渡の心の内を、俺達は黙って聞いていた。嗚呼、そうだ。この中で、1番辛いのはちょちょぷりあんである沢渡だったんだ。どうしてそんな当たり前の事に気付いてやれなかったんだろう。
「……どうして話す気になったんだ?」
訊ねると、沢渡はゆっくりと話し出す。
「2人に嘘を吐き続ける事に耐えられなくなったんだ。俺、お前らの事を本当に親友だと思ってる。だから……」
「もういい」
井上が沢渡の両肩をがっしりと掴んだ。
「……確かに、ショックだったよ。まさかお前がちょちょぷりあんだったなんてな」
「ごめん」
「でもな、沢渡。それ以上に、俺は怒ってる。お前が俺達の事を、お前がちょちょぷりあんだからって手の平を返して差別する様な、そんなヤツだと思ってたって事をだ」
「それは……っ!」
言い返そうとするも、弁明が出ずに喉奥を詰まらせる沢渡。それに構わず井上は言葉を続ける。
「だから、1発だ」
「え?」
「俺とコイツで1発ずつ、お前を殴る。それでチャラだ、いいな?」
沢渡は本当に驚いた顔をしていた。その顔を見て、くしゃっと笑う井上がこちらに視線を送ってきた。俺は頷き、井上と同じように笑った。
「2人とも……ありがとう、ぶへぇっ!!」
先に殴ったのは井上で、次が俺だ。かつて高校のインターハイで優勝したというボクシングの腕前を持つ井上の、渾身の右フックが沢渡の鳩尾を的確に捉え、レバーを揺らす。回復の隙を与えまいと繰り出した俺の左ストレートが沢渡の顔面にめり込み、ヤツの身体はフェリーの冷たい床に沈んだ。
それを見て笑い合う俺と井上。井上が手を差し出すと、沢渡も笑ってその手を取った。
沢渡は赤く目を腫らしながら、邪気が抜けた様な清々しい笑顔で「ちょちょ、ぷりり」と鳴いた。
で、フェリーが難破した。
あまりに突然過ぎる出来事で、何があったのかは全く分からない。けれど、まぁ、なんかすごいことになって、すごかった。
奇跡的に何処かの浜辺に打ち上げられた俺達3人は、まず互いの無事を確かめ合い、肩を組んで喜んだ。
それから此処がどこなのかを調べる為、砂浜の向こうに見える林の中へと踏み込んだ。
探索を進める内に、此処が四国周辺にある無人島の1つである事が分かった。幸いな事に荷物も一緒に流れ着いていたので、すぐに助けが来てくれるだろうと踏んだ俺達は、無人島バカンスに来たと思う事にして、暫しその状況を楽しんだ。
だが、1日経ち、また1日と時間が過ぎて。待てど暮らせど助けは来なかった。
荷物の中にあった食料は無計画な消費に尽きて、空腹が思考を掻き乱す。苛立ちが募って口喧嘩をしても体力を無駄に使うばかりで、それを継続する力もすぐに無くなった。
1日、また1日と過ぎ、とうとう動けなくなった俺達は、浜辺で川の字になって倒れ込んだ。3人とも限界が近付いていた。
特に序盤ではしゃぎ、調子に乗って登った木から落ちて、脚を怪我した井上の衰弱が酷い。
「2人とも、まだ生きてるか?」
沢渡の問いかけに俺はなんとか「あぁ」と返す。井上の声が無い。
「井上? おい、井上!!」
慌てた俺と沢渡は、這いずる様にして井上に寄った。沢渡が井上の名前を呼びながら頬をぺしぺしと叩く。俺は井上の口元に手をやり、耳を澄ませた。
手の平に、僅かに息を吹く風を感じる。呼吸している。
「さ、わたり……」
おぼろげに、井上が沢渡の事を呼ぶ。必死に絞り出したのであろう弱々しい声は、けれど沢渡と俺を幾らか安心させてくれた。良かった、まだ生きている。だが予断を許さない状況だ。
そんな井上の様子を、沢渡は思い詰めた表情で見つめる。やがて、沢渡は俺を誘い、俺達は井上から少し離れた所に移動した。
「どうしたんだ、沢渡?」
「ずっと、考えていた事があるんだ」
そんな風に言う沢渡の口調は、フェリーに乗り込んで間も無く、自分の秘密を打ち明けたあの時に似た……そしてそれよりも暗いニュアンスを含んでいた。
「考えていた、て……?」
とぼける様に訊ねる俺を見て、沢渡は言う。
「助かる方法さ」
「そんなの、俺も井上もずっと考えていたさ」
そんな方法は無い。もしかしたら、この遠く広がる海を泳いで渡り、人が居る所まで行くという選択肢もあったのかもしれない。けれど、今の俺達にそんな力は残っていない。
後は助けを待つしか無いのだ。あと1日、もう1日経てば、助けが来るかもしれないという淡い希望を抱きながら。
「でも、井上はもう保たない。今すぐか……すぐにでも死んでしまうかもしれない」
「うん。せめて、せめてもう1日……せめて……」
せめて食べるものがあれば、と。
口から出そうとした自分の言葉にハッと気付き、俺は恐る恐る沢渡の顔を見た。沢渡の顔は、悟りと決意に満ちていた。
「そうだ。俺を、俺を2人で食べてくれ」
「馬鹿を言うなよ!」
思わず叫んでしまったが、自分でも驚くほどに自分の声は掠れて小さかった。
「腹が減ったからって、友達を食べるヤツがあるもんか!」
「友達を、じゃない。ちょちょぷりあんを食べるんだ」
「同じ事だ! 俺達は友達だ! 人間だとか、ちょちょぷりあんだとか関係無い!!」
「関係あるさ」
「どうして……」
言葉を重ねる内に、俺は気付いてしまう。沢渡は既に決めているのだ。そして、その為に俺に託そうとしているのだと。
「頼む。俺を、食べてくれ。そして井上にも食べさせてやってくれ」
「いやだ」
「米のとぎ汁に……魚介と野菜と、俺を入れて煮込むんだ」
「いやだよ」
「火が通ったら、味噌を溶くんだ。この時……熱した石を入れて、煮込めば煮込むほどに俺のコクが出る。そしたら美味しいちょちょぷりあんのスープが」
「やめてくれ! どうして……どうしてそんな具体的なんだ!!」
泣き叫ぶ俺に対して、沢渡は落ち着いていた。
それしか無いのか、他に方法がある筈だ。思っても、口に出せない。当然だ、他の方法なんて何も無いのだから。
「あのさ、聞いてくれ。俺……本当に、本当に2人と出会えて良かったと思ってる」
沢渡の声は優しく、子供をあやす様な風に変わっていた。
「2人と居る時だけは、自分がちょちょぷりあんなんだって事を忘れられた。俺が、ちょちょぷりあんである事を知って、それでも友達だって言ってくれた事……それがどれだけ嬉しかったか、きっとお前ら2人にも分からないよ」
「……」
「そんなお前ら2人にだからこそ、俺は……親友として、ちょちょぷりあんとして、やれる事をしたい」
「俺に、お前を調理しろっていうのか」
米のとぎ汁に、魚介と野菜と沢渡……ちょちょぷりあんを入れて煮込んで。
「そうだ」
火が通ったら味噌を溶いて、熱した石を入れてグツグツと煮込めと言うのか。
「そうだよ」
「無理だよ、沢渡。だって、俺……ちょちょぷりあんの調理師免許なんて持ってない……」
「足を切り落とせば大丈夫さ、そう難しい事じゃない。皮を剥く時に芽をくり貫いておくのを忘れるなよ」
「沢渡……」
俺は泣いた。声が枯れるほど泣いた。枯れても泣いて、呻きの1つもあげられなくなった頃、そんな俺をずっと待っていてくれた沢渡……否、ちょちょぷりあんと向き合う。
「ごめん、沢渡。ごめんよ」
「バァカ、こういう時はな……ありがとうって言うのさ」
言うや否や、沢渡の身体がごとり、と力を無くして地面に倒れた。それから、沢渡の口から青い球体がゆっくりと這い出て、その姿を表す。
雑草の様な10本の足をうねうねとくねらせながら、ちょちょぷりあんは宙に浮いた。そうして、俺の前で静止する。
見つめると、ちょちょぷりあんは「ちょちょ、ぷりり」と鳴いた。
俺は赤くなった目を擦りながら、懐からグルカナイフを取り出した。
刃渡り15センチ程の湾曲した刀身は鈍い光を帯びて、かつてセポイの乱において、これを持って白兵戦を戦ったネパールの戦士達の誇りを体現しているかの様だった。
身体をちょちょぷりあんの正面に向き直し、グルカナイフの束に両手の力を込める。本来は片手で使う物だが、片手で扱えるほどの力は俺に残っていない。
それに、出来ることなら可能な限り痛みを与える事なく、彼を殺してあげたかったのだ。
「ありが、とう、沢渡……ごめん、ごめん……ごめん」
「ちょちょ、ぷりり」
グルカナイフを振り下ろす。
何度も、何度も、振り下ろす。
もはや原型を留めていない目前のちょちょぷりあんは、けれどうねうねと触手を動かしている。うわ、気持ち悪っ。
「ごめん、ごめん……」
幾度目かの謝罪の言葉と共に、グルカナイフを突き立てると、ようやくちょちょぷりあんは動かなくなった。
荒く息をする俺の目に、ぴくり、と1本の触手が痙攣するのが映った。
刹那、後頭部に鈍い痛みが走る。がぉん、と大きな音がして、俺の横に金盥が転がった。
どこから現れ、どこから落ちてきたのか分からないそれは、けれど、誰がやったのかは何となく分かっていて。
俺には沢渡が「これで、チャラだ」と言っている様な気がした。
ちょちょぷりあんを抱きしめ、俺は走った。それまで動かなかった筈の俺の身体は不思議なほど機敏に動いた。
ちょちょぷりあんは鮮度落ちが早いとどこかで聞いた。ヤツの思いを無駄にする訳にはいかない。
俺は荷物の中からまな板と鍋、それから携帯用のガスコンロを取り出し、すぐに調理に取り掛かった。
偶然、持ってきていた米のとぎ汁を鍋の中に注ぎ、偶然持ってきていた特売の野菜を詰め込む様にして入れる。
魚介は海に潜って調達。偶然持ってきていたグラスファイバー製の打ち込み銛はよく手に馴染み、海中の神秘的な光景と合わさって爽快なスピアフィッシングを味わえた。
海中から帰ってきた俺はダイビング用の酸素ボンベを砂浜に降ろし、煮込んでいた鍋の中に獲ってきた魚介と、ちょちょぷりあんを放り込んだ。
煮込み、具材に火が通った時を見計らって味噌を入れる。俺は赤味噌派だ。そうしたら蓋をして、また煮込む。
はやる気持ちを抑え、グツグツと音を立てる鍋を見つめた。赤子泣いても蓋取るな、だ。
そしてーーーーちょちょぷりあんのスープが完成した。
我ながら、初めて作ったとは思えないほどに素晴らしい出来映えだった。
野菜と魚介の出汁をたっぷり吸い込んだちょちょぷりあんは、代わりに自らの出汁を熱いスープの中に満たし、青く色濃い。
ほんのりと香る味噌の香りが、ちょちょぷりあんのなんとも言えない匂いをそっと支え、食欲を誘う。
俺はスープをプラスチックのお椀によそい、急いで井上の元に戻った。
「井上! 食べてくれ!!」
力無く目を閉じて、微動だにしない井上の鼻先にお椀を近付ける。反応が無い。こんなに美味しそうな匂いをしているのに、俺の料理が食えないというのか。
井上の顔面に重力の乗ったマウントパンチを1発お見舞いすると、井上は「おお」と呻き声をあげた。よし、まだ生きてるな。
「おまえ……」
「さ、早く食べるんだ!」
更にお椀を井上の顔に近付けると、井上は僅かに鼻を動かし、小さく呟く。
「これ……まさか、ちょちょぷりあんのスープか……?」
俺は息を呑んだ。
そう、井上は……井上もまた沢渡と同じ"方法"を思い付いていたのだ。
だが井上は決してその方法を口には出さなかった。親友を潰して煮込んで出汁を取って、美味しく頂こうなんて事は、この無人島に来てから一度も言わなかった。
マズイ、と思った。もしもここで俺が正直に、これがちょちょぷりあんのスープだと言ったら、井上はこれを食べることを拒むに違いない。だから俺は、嘘を吐く事にした。
「これはな、井上。そう、これは……」
「……」
「これは沢渡のスープだよ」
嘘を取り繕う為の力は、味見にお椀1杯のスープを飲み干した時に取り戻していた。
「そうか……沢渡のスープか」
俺の嘘を信じた井上は、安心した様に口を空けた。俺はスプーンを使って、少量ずつをゆっくりと、井上の口にスープを流し込んだ。
1口目で井上は噎せた。眉を潜め、唸る。うん、さっき味見した時に俺も思ったけど、マズイよなこれ。やっぱりちょちょぷりあんはお店で食べるに限るよな。
全快……とまではいかないが、意識を保つまでに回復した井上と俺はその翌日、浜辺の近くを通りかかった漁船に救出された。
すぐにドクターヘリで大学病院へと運ばれた井上の容態は、十分な治療を受けて快方に向かった。俺も入院して、しばらくは療養したが、井上よりは早くに退院となったので、一足先に日常生活へと戻った。
見舞いに行った時、井上は真っ先に「沢渡は?」と俺に訊ねた。
俺は事前に用意していた「沢渡は俺達の為になけなしの力を振り絞って助けを呼んでくれた。力を使いすぎたので故郷の宇宙に帰り、療養している。アイツは遠い宇宙のどこかで生きている」という嘘を披露し、井上はそれを信じた。「良かった……」と呟く井上は安堵の笑みを漏らしつつも、寂しげだった。
それから十数年の時が経ち。大学を卒業した俺達はそれぞれの道に進んだ。
俺は大手企業へと就職し、ステップアップを重ねて部長にまで昇進。美しい妻と可愛い子供を3人も得た。
井上はあの無人島での体験を元に1冊の冒険小説を書き上げ、それが有名な新人大賞を受賞し、一躍売れっ子作家として名を上げた。
互いの仕事が順調に進んでいくにつれ、直接会う機会は減っていった。それでも年に1度は必ず連絡を取り合う様にしていた……が、ここ数年は多忙に多忙が重なり、それも出来なくなっていた。
その事をすっかり忘れていた頃。あのニュースを見た。
自ら命を絶った前日、井上が家族を連れて行ったという料理店は、沢渡料理で有名なシェフが料理長をしている一流の料亭だった。
ヤツは気付いたのだ。気付いてしまったのだ。あの日、無人島で食べたのが、沢渡のスープではなく、ちょちょぷりあんのスープだったという事に……。
ニュースが流れた日から数週間後、井上の葬儀は厳粛に行われた。
鮮やかな供花に囲まれた、棺の中の井上に手を合わせる。私は心の中で、井上と会話をした。
なぁ、井上。お前はどういう気持ちで自らの命を絶ったんだ。あの日、あの時、確かに俺とお前は罪を犯した。俺はともかく、お前は知らずの内に、だものな。ショックだったろう、その気持ちは察するよ。お前の選択を否定する権利なんて、俺には無い。
だが、俺達の命は沢渡によって、ちょちょぷりあんの友情によって繋がれた物だ。
罪を背負ったからこそ、俺達はその罪を背負い、生きていくべきだったんじゃないか?
井上、すまなかった。もっと早く、俺の口からお前に真実を伝えていれば、結末も変わっていたのかもしれない。お前の死も背負って、俺はこれからも生き続けるよ。
すまなかった、井上。すまない、すまない。
念じる俺の後頭部に、鈍い痛みが走った。
大きな音を立てて横に転がる金盥。頭を擦りながら上を見ると、ちょちょぷりあんが漂う様に宙空を浮き、目の無い顔……顔? うん、まぁ、顔で、こちらを見下ろしていた。
ちょちょ、ぷりり。