短篇小説
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この国でいちばん大きな青い葉といえば、それは、たぶん、あの、夏の庭にひろがる芝生だろう。
「わたくしは、あれを、ながいこと、見ておりません」と、彼女はいった。「あしたになったら、見せてくださいます?」
「ええ、よろこんでお目にかけましょう」と、ピカードは答えた。
そして彼は、彼女の手をひいて、階段のほうへ連れて行った。
ふたりは、玄関ホールに出た。
そこにある絵には、花や木や動物たちが描かれていて、とてもきれいだった。その絵を見つめながら、ピカードは大きな声で笑った。
「いやはや、おかしなもんですねえ!」と、彼はいった。「ぼくたちは、いままでに、いろんなものを見てきましたね? それなのに、まだ見たことのないものがあるなんて!こんなことが、よくありますよ――まったく奇妙なことです。ぼくは、きみのような美しい女性を見たことがありませんでした。しかし、あなたはまだ、ぼくたちの知らないものを、たくさんごらんになっているんでしょう?」
「そうですわ」と、メノリは答えた。「どんなものがごらんになりたかったですか?」
「さあ……」と、彼女は考えこんだ。
「あなたのお好きなものはなんでしょう?」と、ピカードはたずねた。
「わたしがすきなものは……海でしょうか」
「いいですね!」と、ピカードは叫んだ。「すばらしいです!」
彼は彼女をふり返って、まじめくさっていった。
「もし、よろしかったら、明日の朝、いっしょに浜辺へ行きませんか? ぼくは、あの絵に描いてあったような、白い砂浜がだいすきなんですよ。朝早く出かければ、だれにも邪魔されなくてすみますからね」
「ほんとうに、うれしいわ」と、メノリはいった。
それから、ふたりはいっしょになって部屋へもどったが、そのときまで、ふたりとも、すっかり忘れていたことがあった。ふたりの部屋のドアの外に立って、じっと耳をすましている人たちがいたのだ。ひとりはト‐リオンであり、もうひとりはアルガー人の若者であった。ふたりとも、メノリの帰りを待って、ずっと待っていたのだ。
「まあ!」と、メノリはいって、ため息をついた。「おどろいたわ!」
ピカードが部屋の戸口に立ったとき、ト‐リオンは、彼女にむかって微笑してみせた。
「ちょっと失礼しますよ」と、彼はいった。「あなたに話したいことがあるんです。でも、いますぐじゃありません」
そして、メノリが口をひらく前に、かれは廊下を走りだしてしまった。
「どうぞ、おかけください」と、ピカードは椅子をすすめた。「お茶をおもちしましょう」
メノリは腰をかけた。すると、すぐに、ト‐リオンも彼女のそばにやってきた。そして、彼女の顔を見ながら、しばらくだまっていたが、やがて、だしぬけに話しはじめた。
「あなたがここに来られたことは、まちがいではありませんでした。この島には、ほかにも、あなたのように美しいひとたちがいます――それに、もっと多くの種族がいるのです。ぼくたちみんなは、あなたが来ることを心待ちにしていました。あなたのおかげで、われわれの心は喜びで満たされています」
「ありがとうございます」と、メノリはていねいな言葉で答えた。
「ぼくたちがあなたを歓迎するのは、ぼくたちがあなたを愛しているからです」と、ト‐リオンはつづけた。「ぼくたちは、ほかのだれよりも、あなたを愛しています」
「でも……」といいかけて、メノリはその言葉をのみこんだ。
「ぼくたちの愛の言葉を聞いてもらえますか?」と、ト‐リオンはつづけた。
メノリは、うなずいてみせた。
ト‐リオンは、彼女の手を握りしめ、目をまっすぐに見つめながら、愛のことばを語りかけた。
彼女が、それを聞こうと身を乗りだすと、突然、背後で扉がきしまるような音が聞こえてきた。
ふり向くと、そこにはアルガー人の姿があった。かれは片手をあげて、かれらふたりのあいだに立ちふさがった。そして、ふたりのほうを見ずに、こういった。
メ
「わたしたちは、おたがいに知りあいになるべきだと思います」
「そうですね」と、ピカードは答えた。
「あなたとわたしとは、おたがいに、おたがいのことをよく知っておくべきです」と、アルガー人はいった。「そうすれば、あなたのためにも、この女性のためにもなるでしょう」
「それは、どういう意味でしょうか?」と、ピカードはきいた。
「わたしたちは、おたがいによく知らなければなりません」と、アルガー人がくり返した。
ピカードが何かいいかけるまえに、ト‐リオンが立ちあがった。
そして、メノリのほうへ向きなおると、かれはいった。
ト‐リオンの声には、強い決意のようなものが感じられた。
メノリは、思わず身震いをした。
その声は、まるで、アルガー人の戦士が戦闘態勢に入るときの叫びに似ているように思われた。
「あなたは、ぼくのものです」と、ト‐リオンはいった。
メノリの目は大きく見開かれた。
「もしあなたが、ここでわたしたちの仲間に加わるなら、あなたはわたしたちの仲間です。もしあなたがわたしたちとともに暮らすのがお望みでないのであれば――あるいは、あなたがわたしたちといっしょに暮らしたくないとおっしゃるのであれば――わたしたちはあなたを島から追いはらわねばなりません」
メノリの顔はこわばった。彼女は、すこしばかりあえぎながらいった。
「そんな……」
「わたしたちは、あなたのことを心配しているんです」と、ト‐リオンは答えた。「もしわたしたちが、あなたのことを思っているということを知っていただければ、それでいいんです」
「でも……」と、彼女はささやくような声でいいはじめた。「でも、どうして、わたしがあなたのものになることが、あなたのためになるというんです?」
「それは……」と、ト‐リオンはいいかけて、口をつぐんだ。「あなたは、まだご自分のことをご存じないからですよ」
「ご自分がだれなのかさえ、わからないのよ」と、メノリはいった。「だれかが、わたしを海のなかから拾いあげてくれたのよ――そして、ここに連れてきてくれて、それから、ここに住まわせてくれるというの」
「だれかが? だれかって? だれですか?」と、アルガー人はたずねた。
「わかりません」と、メノリはいった。「だれかが、わたしをここに連れてきてくださったんです」
ト‐リオンは彼女に近づき、その両手をとった。
「ぼくが知っているかぎりでは、あなたのような美しいひとたちを、ほかの種族で見たことはありません。あなたのように美しいひとたちがいるなんて、信じられないことです」
ト‐リオンの口調は熱っぽくなってきた。
「でも、あなたも、とても美しいわ」と、メノリは答えた。
ト‐リオンは首をふった。
「しかし、ぼくは、アルガー人ではありません」と、かれはいった。「そして、あなたもアルガー人ではない。だから、おたがいに、愛しあうことはできないのです」
メノリは口をひらいたが、ことばが出てこなかった。
ト‐リオンは、彼女の手を強く握りしめ、彼女の目をじっと見つめた。
「ぼくは、あなたを愛しています。ぼくは、いつまでもあなたを愛するでしょう」
かれは、彼女の手を離し、くるりと背を向けた。そして、足音高く部屋を出ていった。あとに残されたメノリの手が、かすかにふるえた。
「ありがとうございます」と、彼女はつぶやいた。
最後まで読んでくれてありがとうございます。良ければ次回も読んでください。