第二十二話 封魔の杖
私は瞬時に"霧化"して地上に出た。その瞬間、強制的に"霧化"が解除されて元の姿を晒してしまう。
それだけではなくて例の魔法が使えなくなる人形も使われているのか、『擬態』までもが解除されてしまった。
紛う事なき吸血鬼の姿を曝け出してしまった私は、慌ててマジックバッグから服を取り出してそれを身に付けた。
自分の意思で解除しなかったから、素っ裸で実体化しちゃったよ。誰も見てなくて良かった……。
でも、これはかなりまずい状況だ。さっきは恐らく地下で範囲外にいたから『念話』も使えたけど、今は無理そうだ。
というか、カミラちゃんはこの状況でどうやって『念話』を使ったんだろう? すぐにでもカミラちゃんと合流したいけど、一体どうすればいい?
私が物陰に隠れながら今後の方針を考えていると、突然私の目の前に小さな火矢が飛んできた。
敵襲かと思ってビックリしたけど、それにしてはこの火矢、あまりにも小さくて殺傷能力なんて全く無い。
「(アリス姉さん、こっちです!)」
そして聞こえるカミラちゃんの声。この火矢、もしかしてカミラちゃんが放った『フレイムアロー』?
そう思って火矢が飛んできた方を見てみると、ケラー子爵家の屋根にカミラちゃんがいた。
私はすぐに身体強化を施して屋根に飛び上がり、カミラちゃんの元へ向かった。
「アリス姉さん、無事で良かったです!」
「わっぷ!?」
そして勢い良く飛びつかれて尻餅をつく。そのまま屋根から転がり落ちそうになるのを必死に耐える。いくら死なないとは言っても、三階建ての建物の屋根から落ちるのは怖すぎるよ。それに私、元人間だし。
「カミラちゃん、気持ちは分かるけどちょっと怖かったよ?」
「あぅ、ごめんなさいです」
そう申し訳なさそうに謝るカミラちゃんは、『擬態』によって侵入した時と同じ姿を保っている。
やっぱり、彼女は魔法を使えている。一体どうして……?
「あ、それはこの杖のお陰なんです。フォルトのギルマスさんから貰った、"封魔の杖"です」
カミラちゃんがそう言って差し出してきたのは、確かにあの時に貰った綺麗な装飾が施された魔杖だった。
勇者の供をしていた魔法使いが使っていたとか、魔人と戦うには最適だとか言われた記憶があるけど、そういえばどういう能力があるのかは聞いていなかった。
「この杖には、どうやら闇魔法、もっと言えば『アジ・ダハーカ』様の加護を受けた力そのものを無効化出来る魔法付与が施されているようです。当然、限度はあるみたいですけど」
「……えっと、何それチート性能過ぎない?」
『アジ・ダハーカ』っていうのは、確か魔族に加護を与えている邪神の名前だったと思う。
"封魔の杖"はそんな神の力そのものを無効にすることができるという。どう考えてもチート性能すぎる。
だってこの杖を持っている人は、実質魔族に対してほぼ無敵になるようなものなんだから。
「……というかそれで無効化できるってことは、この魔法が使えなくなる空間は闇魔法で作られているってことなのかな?」
「闇魔法とは違う気がしています。ですが、『アジ・ダハーカ』様の加護を受けた力であることは間違いありません。……あの時に使われたのと同じものです」
「あの時ってことは、やっぱり……」
「はい。以前にお話しした、吸血鬼の村が襲撃された時のことです。もしこの杖が無かったら、私も今頃魔力不足で倒れていたかもしれません」
「魔力不足って、今回のはただ魔法が使えなくなるだけじゃないってこと?」
「はい。今使われているのは魔法を封じる力、魔力を奪う力、そして恐らくは吸血鬼の再生能力を奪う力です」
なるほど、それはつまり過去に起きた吸血鬼虐殺事件と同じ方法で私とカミラちゃんを始末しに来たってこたか。
だとするなら、急進派の連中は吸血鬼と敵対する魔人と手を組んでいたってことになる。話には聞いていたけど、本当に手口が陰湿で反吐が出る。
私は試しに指に"紫炎"を当てて少しだけ斬りつける。チクッとした痛みと共にじわりと血が滲み出てくる。しかしいくら待っても傷は塞がらず、ポタポタと血が流れ続けた。
「確かに再生能力も封じられているみたいだね。まあ私からすれば人間に戻ったようなものだから、大した問題ではないけどね」
私は指を強く押さえて止血する。こんなものはハンデにもならない。魔力が奪われたところで、私は自分で魔力を回復できるしね。何ならストックも多過ぎるほどに蓄えてある。
「問題はカミラちゃんだよ。その杖、自分の命だと思って絶対に離さないようにしてね」
純血の吸血鬼であるカミラちゃんには、この力は正に命を脅かす程の脅威だ。もしギルマスが"封魔の杖"をカミラちゃんに託していなかったらと思うとゾッとする。
「それから芹奈ちゃんに連絡を入れて貰ってもいいかな? 私はちょっと無理そうだから」
「そちらについては既に連絡を入れてあります。ですが……」
カミラちゃんによると、芹奈ちゃんはなんと現在武器や防具を全て取り上げられているらしいのだ。だから戦力にならないとのこと。
当然カミラちゃんも、別にそれなら魔法を使えばいいんじゃないかと言ったらしいんだけど、どうやらそれは無理らしい。
というのも芹奈ちゃんはこれまでずっと剣だけで戦ってきて、魔法を学んだ事が無いというのだ。
そして忘れがちだけど、私みたいに無詠唱で魔法を扱う人なんて殆どいなくて、普通は詠唱句を唱えることで魔法を発動させる。
王宮で二年間を過ごしてきた芹奈ちゃんにとってそれは常識であり、しかし当然のように詠唱句なんて一文字も覚えていないというのだ。
いくらなんでもこの状況で悠長に無詠唱魔法の講義をする訳にもいかず、一先ず頼んでいた調査を続けて欲しいとだけ伝えて『念話』を切った、とのことだ。
これには「育った環境のせいもあるだろうが不勉強なヤツだ」という、とある奇声体の台詞を思い出させられたよ。
とにかく、この場を切り抜けるのに芹奈ちゃんの助力を望めないことは分かった。
「カミラちゃん、その杖一瞬だけ貸してもらってもいい?」
私がそう尋ねると、カミラちゃんは一も二もなく頷いて"封魔の杖"を私に手渡した。これだけ信頼されているんだから、私も期待に応えなくちゃね。
私は杖を受け取ると同時にカミラちゃんへ魔力を流し込む。彼女は甘美なる吸血鬼の魔力に悶えるも、なんとか耐えてくれている。
ごめんね、すぐに終わらせるから。
私はその間にケラー子爵家、そしてその半径1kmを対象に『物理障壁』と『魔法障壁』を全力展開して、すぐに杖をカミラちゃんに返してから魔力の供給を絶った。
これで、私やカミラちゃんが全力を出しても周囲に被害が出ることは無くなったと思う。
「ハァ、ハァ……、んくっ……。流石は、アリス姉さん……。これだけの広範囲に、障壁を、展開するなんて……」
全身を駆け巡る快感に必死に抗いながらトロンとした目で私を見るカミラちゃんの姿はとても艶やかで、そして痛ましい。仕方なかったとはいえ、申し訳ない事をしてしまった。
「ごめんね、カミラちゃん。落ち着くまではここにいていいから、後で加勢してくれると助かるかな」
「わ、分かりました……。必ず、後で、向かいます……」
私はカミラちゃんを屋根の平らになっているところへそっと横たえ、ケラー子爵家の門前へと向かった。
そこにはやはりと言うべきか、地下で斬り殺したと思った急進派で最高の爵位を持つお貴族様、フランツ侯爵の姿があった。
それだけではない。騎士団長を兼任しているというセウェルス王子、さらにはその配下の騎士が約百名。更には見ただけで腕利きと分かる冒険者が三人ほど構えていた。
それだけの戦力を抱えて尚、魔人の謎アイテムまで使ってくるなんて、慎重過ぎやしないかな?
「お久しぶりです、というには時が経っておりませんが敢えてそう言わせていただきましょうか。吸血鬼のお嬢さん」
さーて、流石にこれは劣勢と見る他無さそうだ。
私は首筋に冷や汗が垂れるのを感じながら、キザなお貴族様に不敵な笑みを向けるのだった。




