第五話 絶望
私は、森の中で起きたことについて全てお父さんに話した。サリィと遊んでいたらレッドグリズリーに襲われたこと。サリィに助けられたこと。その時怪我をして魔法で治療したこと。そして、鹿を食べてから浮遊魔法を創り出して崖上に登ることができたこと。でも、サリィを見つけることができなかったこと。
お父さんは、訝しげな顔をしたり驚いた顔をしたり、涙を流したりと表情を忙しく変えながらも、私の話を最後まで聞いてくれた。そして最後は、ポンと優しく私の頭を撫でてくれた。
「本当に、よく生きていてくれたな」
優しく、囁くようにかけられた言葉。私は嬉しくて、顔を綻ばせながらすりすりとお父さんに甘えた。でも、次に投げかけられた言葉は、液体窒素よりも冷たく私の心を凍てつかせることとなる。
「……ところで、何回か出てきたサリィ、だっけ? それは何処の誰なんだ?」
「え……?」
いや、何? 私の聞き間違え? お父さんが、サリィを知らない?
そんなはずはない。
だって、サリィとは家族ぐるみの付き合いで生まれた時から一緒にいたんだよ? 何度も私の家でお父さんも、お母さんも一緒にサリィとご飯を食べた。お泊まり会だってしたし、一緒にお風呂だって入った。
『サリィちゃん、アリスを頼むな。頼りにしてるぜ?』
昨日の朝、サリィと森の中に遊びに行く前にかけられた言葉を思い出す。そう、つい昨日のことだ。忘れるはずがない。
「お、お父さん? 何かの、冗談、だよね……?」
「いや、そんなつもりは……。そうか、そうだよな、その歳で魔法まで使っちまったんだ。記憶が混乱していても仕方がない。今日はゆっくり休むんだ、な? 明日またお話ししよう」
いや、何を言ってるのお父さん? 私の記憶が混乱して? 記憶がどうかしちゃったのはお父さんなんじゃないの?
「それどころじゃないんだよ! サリィはまだ、森の中で、一人でいるかもしれないんだよ!? そんな私だけ休んでるなんてできるわけないよ! 皆さんも、サリィを捜してはくれませんか? 報酬は、その、用意できませんがお願いします! 私の、親友なんです、お願いします!」
私は混乱する頭でなんとか言葉を紡ぎ、サリィの捜索をお願いする。しかし、誰も彼もが目を見合わせた後に眉をひそめた。
「サリィって、誰だ?」
「いや、俺は知らない。お前は?」
「まさか。でもその名前は女の子だろ? 俺が知る限り、サリィってのは……」
ゾワリと、全身の産毛が逆立つような寒気を感じた。まるで世界から自分だけが取り残されているような感覚。私は耐えきれずに、その場で嘔吐した。何人かが慌てて介抱してくれたけど、もはやそんな事どうでもよかった。
何が起きたのかは分からないけど、村の人達は誰もサリィのことを覚えていない。
ふと、消えてしまったレッドグリズリーのことを思い出した。まるでこの世から抹消されたかのような、あの状況。まさかサリィも、消されてしまったとでもいうのか?
そんな、嫌な想像の海に溺れていたとき。聞き覚えのある声で、私の意識はまた表層へと浮上した。
「アリスちゃん、大丈夫かい?」
顔を上げると、そこにはアベルさんがいた。サリィの、お父さんだ。
「ぁ、アベルさん……。アベルさんは、サリィのこと探さなくていいんですか? アベルさんは、サリィのお父さんですよね!? なのにいいんですか!?」
気付いたら私は、アベルさんの脚を殴りつけていた。ひ弱な5歳児のパンチなんて、元冒険者故に逞しいアベルさんには一切響かないだろう。でも、私はこの怒りをぶつけずにはいられなかった。
「アリスちゃん、落ち着いて。……いいかい、オレに娘はいないんだよ。君だって知っているだろう? マリアは今、俺たちの最初の子供を身篭っているんだ。この前も、あの子が産まれたら一緒に遊んであげてねって約束しただろう?」
「そ、そんな……」
確かにその約束はした。でも、サリィと一緒にだ。サリィも、お姉ちゃんになるんだって喜んでた。それなのに、こんなことって……。
もう、限界だった。私はアベルさんの下からふらふらと離れ、ぺたりと尻をついた。かけられた声が、まるで水の中で聞いているかのように輪郭をなくしていく。目の焦点も定まらず、すべてが遠くに感じられる。
そして私の意識は、闇に落ちていった。
◇
目を開けると、そこには見慣れた天井があった。最近板を変えたばかりだからか、柔らかい木の良い香りが鼻をくすぐる。
……ああ、ここは私の部屋だ。そして、あの出来事は全部、夢じゃ、ない。
怪我をしたのも、魔法を作ったのも、サリィが村の全員から忘れられてしまっていることも、全部現実だ。そう、有栖としての記憶が教えてくれた。
私が前世の記憶を今もちゃんと持っている以上、あの出来事は夢なんかじゃない。試しに水球を発動させれば、簡単に作ることができた。
それにしても、5歳児の脳味噌って単純だ。一晩眠っただけでこんなにも冷静になれるんだから。
「まったく、単純だなぁ……」
私は溢れる涙をゴシゴシと拭きながら、自嘲気味に笑った。こんなに悲しいのに、頭はスッキリしている。
「お、起きたかアリス。おはよう」
「おはようアリス。大丈夫? お母さんのこと分かる?」
私が起きた絶妙なタイミングで両親が部屋に入ってきた。2人とも元Aランク冒険者だからか、気配察知能力が異様に高いんだよね。
ちなみに冒険者のランクはFからS+まであるから、両親は上から4番目のランクになる。でもS以上のランクとなれば、勇者クラスの化け物で現在では2人しか存在しない。つまり両親は、実質上から2番目と考えてもいいくらいの実力者だったりする。
「おはようお父さん、お母さん。昨日は取り乱してごめんなさい。ちゃんと覚えてるから大丈夫だよ」
私がそう言って頭を下げると、両親は揃って柔らかく微笑んでくれた。それだけで、とても心配してくれていたんだと分かって、やっぱり嬉しくなる。
「それで、こっちの件はどうなんだ? サリィ、だったか。その子は実在すると、今でも思っているのか?」
「うん、それはもちろんだよ。間違いなくサリィはいたし、今も何かに巻き込まれているんじゃないかって思ってる」
私がそう言うと、お父さんは少し難しい顔をして唸った。どうしてもこれだけは信じてもらえないらしい。
「アリス、ごめんね? お母さんもその、サリィって子は知らないの。アリスの持ってるお人形さんとかの名前ではないのよね?」
「うん、ちゃんと人間だよ」
サリィを人形にされてたまるかと、少しだけ言い方がきつくなってしまった。自己嫌悪でちょっとヘコむ。
「……そうか、アリスがそこまで言うなら本当なのかもしれない。俺は冒険者ギルドで情報を聞いてみる。エレナはアリスのこと、診ていてくれないか?」
「ええ、分かったわ。アリス、あとはお父さんに任せて今日はゆっくり休みなさい」
お母さんはそう言って、優しく頭を撫でてくれた。
……ちょっと意外だった。私は、信じてもらえるとは思っていなかったから。いや、お父さんもお母さんも、心の底から信じている訳ではないだろう。ただ可愛い娘が困っているから、手を差し伸べているに過ぎない。
そう分かっていても、嬉しくて、涙が溢れるのを抑えることができない。私、昨日から泣いてばっかりだ。
すると突然泣き始めた私を見てアワアワと焦りだしたお母さんは、私のベッドのすぐ脇にある机の引き出しから何かを取り出した。
「何、それ?」
私が泣きながら尋ねると、慌てた調子のままお母さんは答えてくれた。
「名前は忘れちゃったけど、アリスの大好きな楽器よ。アリスはどんなに泣いていても、これを聴かせてあげれば泣き止んでいたでしょう?」
お母さんはそう言って、箱のような形のそれに付いているネジを巻き、私に手渡した。涼やかな金属音で、聴き慣れたメロディーが流れ出す。私は、思わず目を見開いた。
……それはサリィから去年の誕生日に貰ったオルゴール。サリィが、実在する証だった。