第二十話 カミラの絶望
南側城壁にワイバーン襲来の知らせが届いたのは、東西各城壁付近のワイバーンが討伐された後のことだった。
カミラやギルドマスターの活躍により、南側城壁へのワイバーンの侵攻が無かったためである。
サキは知らせを聞いてすぐに兵を統率して街の中心部に向かい、住民への避難指示を行っていった。
しかし状況は非常に悪く、空から次々と放たれるブレスや火球に耐えられなかった建物が次々と倒壊していく。あちこちで聞こえる悲鳴や泣き声に、サキの精神はすり減らされていった。
そんな時だった。上空にうじゃうじゃと飛んでいたワイバーンが、一瞬で全て斬り裂かれ、その亡骸がぼたぼたと落ちてきたのである。
サキが唖然として顔を上げると、そこには彼女が敬愛するギルドマスターの姿があった。
「ようやく見つけたぞ、サキ。吾輩は上空のワイバーンを狩る。現在、東西城壁の兵士どもが避難誘導を行なっている。そこで君達には、住民達の救助を行なってもらいたい。サキの膂力ならば瓦礫を除去することも可能であろう。頼めるか?」
それは、これまで悪夢のような惨状のみを見てきたサキにとって、涙が出そうになる程頼もしい言葉だった。
しかし彼女は涙を見せる事はなく、毅然とした態度で兵士達を指揮して救護活動を行なっていく。一人でも多くの人を助けるためには、涙を流す時間さえも勿体無いのだと言うかのように。
このサキらの尽力および東西の兵士らの避難誘導により、ワイバーン襲撃による被害は当初予想された数よりも大幅に少なくなることになる。
一方、北側城壁へと辿り着いたカミラは呆然と立ち尽くしていた。そこには、凄惨な光景が広がっていた。
上空からワイバーンの襲撃をもろに受けたであろうその場所に、生きている人間は一人もいなかった。
当然、既に城壁から降りて都市部に向かった者もいるのだろうが、それを踏まえても決して少なくない犠牲が出ているようだった。
しかしカミラはそれを意に介さず、血の海を走り続けた。誰のものかも分からなくなった、血と肉の飛沫を撒き散らしながら。今の彼女にとって重要なのは、アリスが無事か否か、それだけだった。
城壁をいくら探しても見つからないことに焦りと苛立ちを覚え始めた頃、城壁から遠く離れた上空がまるで昼間のように明るく染め上げられた。
それは、数百本にも及ぶ『フレイムアロー』によって作り出された光だった。
間違いない、そこにアリスがいる。カミラはそう確信して浮遊魔法で飛び立とうとし、その光の中心にあるものを見て絶句した。
そこには、ドラゴンがいた。氷牢に閉じ込められていながらも、何処吹く風とでも言うかのように避けるでもなく暴れるでもなく、大人しく捕らわれている。
そして、アリス渾身の、一切の容赦のない攻撃が炸裂した。大地を抉り、カミラの立つ城壁にまでもその衝撃波は襲いかかり、辺りに溜まっていた血肉が空を舞う。
しかし、それでもドラゴンには傷一つ付けることは出来なかったようだ。
カミラは、その場にペタリと座り込んでしまう。彼女は、ドラゴンがどれ程理不尽な存在なのかを知っていた。
それは勿論、実体験によるものではない。彼女が暮らしていた孤児院で読んだ書物に記されていたのを、読んだだけだ。
今から何百年も昔のこと。欲深い人間が、ドラゴンの卵を盗み出してしまうという事件が起きた。
ドラゴンの卵は非常に栄養価が高く、食べることで不老不死を得ることができると当時の人々には信じられていた。
当然、現実にドラゴンの卵を食したことのある人間などおらず、それはただの迷信に過ぎなかった。しかしその迷信を本気で信じ、不老不死を得ようとする者が現れたのである。
それは当時最も栄えていた国の国王であった。彼は病を患い、自分の死が間近に迫っていることを嘆き、呪い、日々を過ごしていた。
いつ死んでもおかしくない、医者にそう言われ続ける生活は、次第に彼の心を蝕んでいった。
そんな時、彼が最も信頼する宰相からとある情報が齎された。それが、ドラゴンの巣を見つけたというものであった。
当時、ドラゴンは現在よりも身近な存在であり、稀ではあるがその巣も人里から然程離れていない場所に作られることがあったそうだ。
しかしドラゴンは温厚な魔物ではあれど、人間には到底敵わない圧倒的な強さを持つことは周知の事実であった。そのため、卵を盗むなど、考えこそすれ実行する者など皆無だった。
それでも王は命じた。卵を盗って参れ。早急に、どんな手段を用いても、と。
当然、当時の配下達の意見は二分した。あまりにも危険であるから王を説得した方が良いという派閥と、王の命令は絶対であり、確実に遂行すべきという派閥に。
そして意見は纏まらず、最終的に後者の派閥による独断行動によりドラゴンの卵は盗まれたのだ。
それだけではない。城に持ち帰られた卵はすぐに調理され、王の胃袋へと収められてしまったのである。
事が行われたのが深夜ということもあり、親ドラゴンが自身の卵が奪われたことを知ったのは翌早朝のことであった。
ドラゴンは怒り狂った。巣に残留した臭いから人間の仕業だと知り、近隣の街を襲撃して卵を探して回った。
そして王都で人間に食べられてしまったこと知ったドラゴンは、その怒りのままに王城を破壊した。不老不死を望んだ愚かな王は、この時無惨にも四肢を全て噛みちぎられ、最期には腹を食い破られて死亡した。
それだけにとどまらず、ドラゴンは関係ない他の国をも襲撃してまわり、天災として恐れられることになる。どれだけ手練れの兵であっても、まるで虫ケラのように簡単に殺されてしまうことから、いくつもの国がその時滅んだという。
誰もが、次は自分達の国が襲われるのではないかと不安に震えながら過ごす日々が過ぎていった。
そんな時、とある国が勇者の召喚に成功した。彼は瞬く間に力をつけ、破壊の権化と化してしまった憐れなドラゴンを討伐した。
これが、人類がドラゴンを討伐した最初で最後の事例である。この時より人とドラゴンの距離は離れ、ドラゴンが人前に姿を表すことは無くなったという。
目の前にいるドラゴンの圧倒的なまでに理不尽な強さは、その物語が決して眉唾ものではないことを示していた。
今助けに行っても足手纏いにしかならない。カミラはそれが分かってしまうが故に、動く事ができない。何もできない自身の無力さが悔しくて、強く噛み締めた唇から血が溢れ出す。
そんな時、アリスの近くの空に突如巨大な門が現れた。カミラにはそれが何かは分からなかったけれど、それ生み出したのがドラゴンではなくアリスだということだけは分かった。
そして放たれる、極細ながらも夜空を明るく照らす程の強烈な光の線。それは円を描き、ドラゴンの翼を容易く切り落とした。
アリスはそれだけに留まらず、更なる攻撃を繰り出した。
しかしそれは、ドラゴンの身体に触れた瞬間、まるでガラスが砕け散るかのような音と共に無効化されてしまった。
それから、あからさまにアリスの動きが悪くなる。ふらふらと不安定な飛行、時にはぐらりとバランスを崩し、落下しそうになる。魔力切れの症状が出ていることは、遠目でもはっきりと分かった。
「や、やめて……」
カミラの口から、消え入りそうな程か細い声が漏れる。しかし、ドラゴンは無常にもアリスの元へとゆっくり近付いていく。
「お願い、それだけは、それだけはやめてください……」
カミラの目から、大粒の涙が溢れ出す。それでも、ドラゴンの動きは止まらなかった。
「やめてぇえええええ!!」
次の瞬間、アリスを中心とした円形の衝撃波が生じ、数秒の後に彼女の身体はカミラのすぐ側の城壁に猛烈な勢いで叩きつけられた。
そしてカミラの立つ場所をも巻き込んで、城壁は無惨にも崩れ落ちていった。




