第四話 帰還
浮遊魔法を創作する。いくらこの世界で魔法が一般的なものだとしても、何の教育も受けていない村娘が簡単に創れるとは思えないくらいの無理難題。
……そう思っていた時期が、私にもありました。
実際にやってみると、結構簡単に創ることができた。やり方は単純で、まず全身に魔力を纏わせる。次に、進みたい方向と真上以外の魔力を同じ強さの風に変換する。進みたい方向から風が来ていたら動けないし、真上からの風が強すぎたら重力に負けて浮くことができない。横からの風がないと、空中でバランスを崩してすごく危ない。
だからこうするしかなかったんだけど、やってみて分かったのは魔力の消費がとんでもないってことだ。人間が浮かぶくらいの強風を常に当て続けないといけないから当然なんだけどね。
それでも、崖を登るには十分だ。
私は、恐怖に震える身体を抱きしめて、一度深呼吸をした。崖の上に行ってしまったら、そこでもしサリィの遺体を見てしまったら。いくら平静を装っていても、この根本的な恐怖が消えることはなかった。
…でも、私は諦めないと誓ったんだ。まだサリィは生きているかもしれない。それどころか、今も尚あのバケモノに追いかけられているかもしれない。
だとしたら、こんなところで迷っている時間なんてない。
私は意を決して、創ったばかりの浮遊魔法で崖を一気に飛び越えた。落ちた時にはあれだけ高くて絶望的に見えていた高い壁を、あっさりと越えていく。
「……ヒッ、こわっ!」
気合を入れすぎたせいで予定よりも10メートルくらい高く飛んでしまった。命綱無しのバンジージャンプをしている気分になって無意識に息を呑む。
私は一旦深呼吸して気持ちを落ち着かせ、それからゆっくりと出力を調整して崖上へと降り立った。
ああもう、心臓が飛び出るんじゃないかってくらい怖かった! 生身で高いところに浮かぶのがこんなに怖いだなんて思わなかった! って、そんなことは今はどうでもいい。それよりも、サリィは!?
ここは間違いなく、私がサリィに落とされた場所だ。レッドグリズリーの赤黒い毛が落ちているし、足跡だって残っている。
……でも、それだけだ。もしサリィがレッドグリズリーに襲われたなら、血痕とか衣服の破片とか何かしらの痕跡が残ると思う。でもここには、それらが一切ない。
つまり、サリィは少なくともここでは殺されていないということだ。
ひとまず、想定していた最悪の事態にはなっていないみたいで一安心。そう思ってホッと一息ついたところで、ふとおかしな事に気がついた。
さっき見つけたレッドグリズリーの足跡、それは私達を追ってきたであろう方向には当然残っている。でも、この崖上の場所を最後に何故か足跡が途絶えている。
もしサリィを追って、いや仮に襲って食べてしまったのだとしても。ここからあの巨体が足跡を残さずに移動できるとは思えない。
だからといって、より上位の魔物にレッドグリズリーが襲われたのだとしたら、それこそ痕跡が残らないはずがないと思う。
まるでこの場所から、突然消滅してしまったかのような不自然さ。
状況は意味がわからないけど、今はとにかくサリィを探すのが先だ。村の方角はさっき空に打ち上げられた時に分かったから、村に帰るのは後回し。まずはこの辺りを探してみよう。
◇
サリィを探し続けること数時間。日も傾いて、空が山吹色に染まっている。
結局、サリィを見つけることは出来なかった。それどころか、例えば焚き火の跡みたいな痕跡も全く見つからない。
とにかく、もうすぐ日が暮れちゃうから村に戻らないと。私が二晩も行方不明になっていたら、マ……お母さんが倒れちゃうかもしれないし。それに、サリィはもう村に帰っているのかもしれないしね。
それから私はまた浮遊魔法を使って村を目指した。さっきとは違って、そろ〜りとゆっくり浮かび上がり、安全運転で飛んでいく。ゆっくりでも空なら迷うこともないし、肉体的には疲れないしで日暮れ前には村の上空に着くことができた。
こうして見下ろしてみると、うん、凄く小さい田舎の村って感じがする。そんな村の中心には定番のデートスポットになっている噴水がある。
いつも何組かのカップルがいて、幸せオーラを放っていちゃついているから見るのがちょっと辛くて、あんまり行ったことはないんだけどね。
今思うと、それは失恋の末に死んでしまった有栖の心が拒絶していたからなのかもしれない。
そんな噴水なんだけど、今はなんだか普段と様子が違っている。近付いてみると、松明をもった村の男衆が勢揃いしているのがわかった。その数、ざっと50人くらい。
……これ、絶対私の捜索隊だ。
私は、自分で言うのも恥ずかしいけどお父さんに溺愛されている。正に、目に入れても痛くないというくらいに。そしてお母さんも、表には出さないだけでそれと同じくらいには愛してくれていると思う。
そんな二人が、二日経っても帰ってこない私を心配しないはずがない。それどころか暴走して、こんな感じの盛大な捜索隊を結成したとしても、なんの不思議もない。
こんな大勢の前に当事者本人である私がノコノコ出て行くのはなんとなく気まずいというか、恥ずかしいというか……。
できれば両親のところにさりげなーく帰りたかったんだけど。そんなことを思っていたら、その集団の中心に涙を流しながらも毅然とした態度で立つお父さんの姿が見えた。よりにもよってど真ん中って近付き辛いなと思っていると、お父さんが大きく息を吸い込んで、声を張り上げた。
「貴様らーっ! 今回の任務だけは、例え死んでも失敗は許されない!! 理解っているか!?」
「「「応ッ!!!!」」」
「昨日は一日中探しても見つけることが出来なかった……。今朝だってだ!! 今こうしている間にも、アリスは……、アリスはッ! 一人寂しく助けを求めているかもしれないんだ!! 泣いているかもしれないんだ!! だから絶対に助けるんだ、絶対にだ!!」
「「「必ず助け出す、我らの天使を!!」」」
「お前らにとってアリスとは何だ!?」
「「「アリス嬢は、我らが希望!!」」」
「その心は!?」
「「「彼女が天使だからである!!!」」」
「さぁ行け野郎ども! そしてもはや一刻の猶予もない! アリスを助け出すのだ!!!」
「「「応ッ!!!」」」
……うわぁ。
正直に言って、ドン引きだよ。というか何、天使って? 私そんな風に見られてたの?
そういえば、私は自分がどんな顔してるのかあんまり知らない。というのも、この世界では鏡は高級品で貴族や大商人でもなければ手に入れることができないんだよね。
一応、桶に貼った水にぼやぁ〜っと写る顔は見たことがあるけど、ぼやけてたし、あんまり気にしたこともなかったから全然記憶に残ってない。
あ、それと平民でも鏡が使える場所が何箇所かあるんだった。"適性検査"を行う教会とか、結婚式場とか、冒険者ギルドの更衣室とかだったかな?
"適正検査"は7歳にならないと受けられないし、冒険者になるためにはその検査を受けている必要があるから同じく7歳以上。この世界の成人は16歳だから、結婚となると少なくともその年齢になる。
そんな感じで鏡に触れる機会の少ない平民には化粧という文化そのものが無くて……って、そんなことは今はどうでもいいんだつた。
とにかく、この空気で出て行くのは嫌だけど、私が無事ってこととサリィの捜索をお願いしなきゃ!
私は覚悟を決めて、むさ苦しい集団の最後尾にゆっくりと降り立った。そして、一番近くにいたお兄さん――アルドっていう、お向かいにある鍛冶屋さんの跡取り息子――に声をかけた。
「あの〜、ちょっといいですか?」
「お、どうしたアリスちゃん」
「実はお願いがあって来ました。私のお友達のサリィを探して欲しいんですけど……」
「ああ、アリスちゃんの頼みなら何でも訊いて……って、アリスちゃん!? 本物!?」
「「「アリスちゃんだと!?」」
いやアルドさん最初から私のこと気付いてなかった!? なんでノリツッコミみたいな感じで途中まで普通に会話してたの? 芸人さんなの?
そして鍛冶屋さんの息子らしく超パワフルな大声で叫んだアルドのせいで、一気に大騒ぎになってしまった。その後おじさんやお兄さん方にもみくちゃにされた挙句、お父さんの元へと連れていかれる運びとなりました。
ちょっぴり痛かったけど、これだけ多くの人が心配してくれていたんだと思うと、嬉しくて頬が緩むのを抑えられなかった。
そしてお父さんの前に降ろされた瞬間、ガバッとお父さんが抱きついてきた。
「……アリス、おかえり」
さっき空から見た険しい顔ではなく、いつもの優しい笑顔で投げかけられたその言葉に、私は涙が溢れるのを抑えることができなかった。その顔はずるいよ、まったく。
「ただいま、お父さん」