第十八話 ドラゴン
私はすぐに、自分に全力で物理障壁と魔法障壁を使って、土魔法で作ったナイフを投擲した。このナイフには、レッドグリズリーの解体に使ったのと同じ切れ味を持たせてある。あの硬い皮膚でさえ簡単に切り裂いたんだから、ちょっとくらいは傷付いて欲しいんだけど……。
しかし私のそんな願いも虚しく、ドラゴンはそのナイフを避けることなく受けた上に全くの無傷だった。
……なるほど、全身を硬い鱗が覆っているから刃の通りが悪いんだ。
そうすると、近接武器はとことん相性が悪いことになる。私はすぐに距離を取って、魔力を練る。
『ふむ、判断は悪くない。だが我も急いでいるのでな』
突然、視界が真っ黒に染まった。いや、違う。距離を取ったはずなのに、私の目の前まで一瞬でドラゴンが飛んできたんだ。
「は、速すぎる……!」
『貴様が遅過ぎるのだ、戯け』
次の瞬間には、私は地面に叩きつけられていた。何が起こったのか、全く分からない。一つだけ言えるのは、防御魔法を使っていなければ即死していただろうということだ。
混乱する頭が少し冷静さを取り戻してきた、その時。
全身から想像を絶するほどの猛烈な痛みが襲ってきて、声にならない悲鳴が口から飛び出す。
まるで巨大な生物に鷲掴みにされ、そのまま握りつぶされたかのようだ。全身の骨が砕かれ、内臓は潰れ、左腕は肩の辺りから千切れてしまっていた。
私は必死の思いで全身にヒールを使って、傷を修復した。傷は治ったけれど、今この一瞬で、私が勝てる可能性は素粒子レベルにも存在しないということを痛感させられた。全力の防御魔法を貫通して、これだけの大怪我を負わされたのだから。
『ほう、生きているのか。それに、治癒魔法の腕は並外れている。やはり危険な芽は詰んでおかねばならぬか』
ドラゴンはそう言って、大きく息を吸い込んだ。これだけの実力差があって、危険な芽だって? 冗談も大概にして欲しいよ。
そして、あのモーション。私は勘を頼りに全速力で空高く飛び上がった。その瞬間、紫の森が消失した。
私が使ったナパーム並みの高威力、広範囲の竜の息吹が森を焼く。まったく、私が魔力を使い果たす勢いで放った魔法と同レベルって、チートにも程がある。
『よく避ける羽虫だ。いい加減面倒になってくるな』
「私も、もう一回死ぬのは嫌だからね。生きるために必死なんだよ」
私がそう言うと、ドラゴンは先程までとは比べ物にならない程の猛烈な殺気を振りまいた。まるで腹の中に鉛の塊でも放り込まれたかのように、身体が重くなる。
『そうか、貴様転生者か。ならば遊んでいる場合ではないな。潔く消えてくれ』
くそっ、完全に地雷を踏み抜いてしまったらしいね。というか、転生者って他にもいたんだね。
そしてなにより、一体どんなことをやらかしたらドラゴンをここまで怒らせる事が出来るのか意味がわからない。
いや、今はそんなことを考えてる場合じゃない。誰のせいだろうと、あの殺意は今私に向いているんだから。
「そう簡単に死んでたまるかっ!」
私はまずドラゴンを氷牢に閉じ込め、そこに数百本のフレイムアローを撃ち込んだ。ハノーヴァー伯爵に使った、魔法と物理現象のコンボ。
例えドラゴンが魔法障壁を使ったとしても、水蒸気爆発による衝撃波を打ち消すことはできない。しかも見た目にも派手なフレイムアローの雨あられを見れば、物理障壁を使おうなんて発想にはならないはず。
ドラゴンは特に氷牢から抜け出そうとする素振りすら見せず、無抵抗で私の攻撃を受けた。その瞬間、水蒸気爆発による猛烈な衝撃波によって竜の息吹により燃え盛っていた紫の森は、その地表ごと抉り取られた。
まるで火山の噴火のように激しいそれはキノコ雲を作る。これだけの衝撃を生身で受ければ、いくらドラゴンといえども無事とは思えない。
そう、思っていたんだけど……。
『なるほど、魔法障壁では防げないとは不思議な術を使うものだ。……それで、今の攻撃はこれで終わりなのか?』
そこには、全く無傷で佇むドラゴンの姿があった。あれだけの衝撃波を受けて、鱗の一つも剥がれていないなんて、一体どれだけ強靭な身体なんだよ……。
爆発や炎、更には刃も通らない鉄壁さ。こうなったら、体内に直接干渉するような魔法を使わないとダメージは与えられなさそうだ。
そこで次に私が発動させたのは、『ヘヴンズゲート』。天界の門を召喚してそれを開くことで、あらゆるものを溶かす程の強烈な光線を放つ光属性超級魔法。
私はそれだけはなく、天界の門が開くと同時に巨大な水球を凸レンズのような形で発動させた。ただでさえ強力な光線を、凸レンズで凝縮させて放つ。
ここまですれば、流石のドラゴンにもダメージを与えられるはずだ。更に光の速度を超えることはドラゴンでも不可能。それは天才アインシュタインが特殊相対性理論により示している。
案の定、ドラゴンは避けようとする動作を取ることも出来ずに凝縮光を受けた。
それを受けたドラゴンの羽には穴が空き、血が噴き出る。私はそのまま光を操作して、片方の羽を胴体と分離させることに成功した。
それだけに留まらず、私は即座に『絶対零度』を発動させた。世の中にある全てのものは原子で構成されている。それらは全て熱振動をしているんだけど、それが全て止まってしまう温度を絶対零度という。
正確には不確定性原理によって全く止まることはないとか言われているけど、そんな難しいイメージをする必要はない。
重要なのは全ての原子の動きを止めることで、事実上全ての物質を完全に凍りつかせること。当然振動が止まるということは体温を維持出来なくなって死んじゃうし、そうでなくても細胞は全て死に絶えるだろう。
そんな有栖の知識を元にして創った、必殺の魔法。難点は範囲が狭くて単体相手にしか使えないこと。広範囲用のナパーム、単体用の絶対零度。それが私の創り出した、最強の魔法だ。
……いや、そのはずだった。
『ふむ、中々厄介なことをしてくれたじゃないか人間。だが、貴様如きに我が殺せる訳がなかろう?』
「は、はは……、これでも、ダメなのか……」
もう、余りにも絶望的すぎて逆に笑っちゃうよ。
ドラゴンがしたことは単純。ただ、魔法障壁を展開しただけだ。それだけで、私のほぼ全魔力を注いで発動させた『絶対零度』は、掻き消されてしまった。
それだけではない。切り離したと思っていた羽も、いつの間にか元通りになっている。多分、ヒールであっさり治してしまったんだろう。
魔力量S? そんなもの、ドラゴン相手には毛ほどの役にも立たなかった。
二年間の修行? 何を言ってるんだか。相手はおそらく何百年と生きる神話級の魔物。たかだか二年の修行でどうにかできる訳がない。
前世の知識? 雑魚狩り専門としてなら役に立ったけどね、真の強者相手には通用しなかったよ。
魔力切れの症状で視界がボヤける。もう、飛んでいるのも限界だ。
『なんだ、もう終わりなのか。なら潔く死ね』
ドラゴンは軽く、デコピンでもするかのように指一本で私の身体を弾き飛ばした。
その瞬間、身体の中の決して潰れてはいけない何かがグシャリと潰れる感覚と共に、私は何百メートルも吹き飛ばされ、フォルトの城壁に打ち付けられた。
それだけで城壁は簡単に崩れ、その残骸が地面に倒れた私の元に降り注ぐ。
私の意識はそこで途切れて、もう帰ってくることは叶わないであろう深い闇の中へと堕ちていった。




