第十七話 ナパーム
初めて『ナパーム』を本気で使ってみたんだけど、これはちょっと強すぎるかもしれない。
それと魔力消費が大きすぎる。魔力量Sとはいえ限界ギリギリまで魔力を使っちゃった。
マジックバッグから取り出した残り少ない魔力回復のポーションを全部飲んで漸く8割くらい回復できたけど、乱発するのは無理そうだね……。
それから、元は森だったはずの壁外の様子を見てみる。そこは、正真正銘の地獄だった。
蟻の大群みたいにうじゃうじゃいたはずの魔物の姿は殆ど見えず、辛うじて見える中でもちょっと大きめの魔物は炎に巻かれてのたうち回っている。
遠い上に焼け爛れているから、元がどんな魔物なのかの判別もできないね。
そんな数少ない生き残り(?)達も、それからちょっとしたらピタリと動きを止めて次々に倒れていった。あれは多分、炎に酸素を取られたことによる酸欠か、一酸化炭素中毒で死んだんだと思う。
魔物だって呼吸をしている以上は酸素を必要としているはずだし、酸素が必要ということはつまり一酸化炭素があれば中毒を起こすということになる。
「カイドさん、私が良いと言うまで絶対に、誰一人下に兵を出さないでくれませんか? 死んじゃいますので」
私はその様子を見て、カイドさんにそう忠告した。
あれだけ大きな魔物が死んじゃうくらいなんだから、あんなところに人が降りて行ったらあっという間に死んじゃうと思う。
カイドさんは唖然とした様子で、ロボットみたいにカクカクと頷き、兵士達に指示を出していった。
まあ、あれだけ盛大な火の海に飛び込む命知らずなんていないとは思うんだけどね。私のせいで守るべき人が死んじゃうことだけは避けたいから、念の為だ。
……それにしても、これだけやっても未だに死なないで、怒り狂ったようにフォルトに向かってくるあの魔物達は一体どれだけ頑丈なんだ。
「残る問題は、Aランク以上の魔物達、かな」
そう、ベヒーモスは一体も死んではいなかった。もちろん無傷ではなくて、身体中から血を流しているし火傷だってしている。酸欠でふらふらしているしで、とてもAランク級の力を残しているようには見えないけど、生きている。
「カイドさん、今ならベヒーモスも城壁の装備でも十分討伐できると思います。私は魔力を温存しておきたいので、兵士の皆さんで対処してもらってもいいですか?」
「あ、ああ分かった。……お前ら聞いたか! バリスタ要員は矢を放て!」
カイドさんは次々と兵士達に指示を出していく。そして雨のように放たれる、極太の矢。
放物線を描いて飛んでいったそれらは、重力で加速されて猛烈な速度でベヒーモスに突き刺さっていく。
ベヒーモスは非常に速く走る魔物なんだけど、酸欠でふらふらな今の状態なら命中させるのは簡単だ。しかも皮膚が焼け爛れているおかげで刺さりやすくもあるらしく、ものの十分程度でベヒーモスは駆逐された。
こうして、魔境の森に一番近い危険地帯である北側城壁の安全は確保されたのだ。
「か、勝った……。勝ったぞォオオ!!」
カイドさんの渾身の叫びと、歓喜に沸く兵士達の歓声により、城壁の北側はパチンコ屋並の喧騒に包まれてしまう。
「う、五月蝿い……」
私は我慢できずに『雑音相殺』を発動させようとして、突如遠くから響いてきた低く轟く咆哮に身をすくませた。
それは、魔境の森がある方角から聞こえてきた。しかしそちら側には、私が作り出した火の海が広がっているだけで、動くものの姿は全く見えない。
……いや、違う。もっと、もっと遥か遠くから聞こえてきたんだ。
そしてそれは、確かな絶望を伴ってフォルトへと向かってきていた。
「た、隊長! ド、ドラゴンです! ドラゴンが飛んできます!! しかもその周囲には、ワイバーンの大軍がいます!!」
双眼鏡で監視をしていた兵士がそう叫んだその瞬間、歓喜に沸いていたはずの城壁は、再び悲鳴に包まれた。
涙を流す者、神に祈る者、一目散に逃げ出す者、呆然と立ち尽くす者。皆一様に、目の前に迫り来る脅威に戦意を失っていた。
私も、足がガクガクと震えてまともに立っていられない程の恐怖を感じている。
ドラゴンはない、いくならんでもドラゴンはないよ……。
だって、ドラゴンはSランクに指定されている神話級、最高位の魔物なんだから。
かつて勇者によって倒されたという記録がある以外、討伐記録が残っていない本物の災厄。
くそっ、まだ北側以外の戦局がどうなってるのかも分からない状況でドラゴンが出てくるとか、そんなのってないよ……。
しかもB+ランク相当のワイバーンの大軍もセットだって? こんな理不尽ありなのかよ……。
「あ、アリスさん……。貴方なら、ドラゴンにも勝てるのでしょう? そ、そう言ってくださいよ……」
何人かの兵士さんが、縋り付いてきて、私が震えているのに気付いて崩れ落ちる。
「……カイドさん、貴方は皆さんを率いてワイバーンを討伐してください。私は、ドラゴンの相手をします」
「無茶だ、と言いたいところだが我々にドラゴンの相手が務まらないのも確かだ。不甲斐なくて申し訳ないが、承知した」
カイドさんは血が出るほど強く拳を握りしめ、悔しそうに頷いた。
それから兵士達に指示を出し、それでも一度戦意を削がれてしまった彼らを統率するのは簡単な事じゃなさそうだ。
でも、ここはカイドさんに任せる他ない。ドラゴンは、既に私にも目視できるほど近くまで来ているんだ。
「それじゃあ、御武運を」
私はそれだけ言って、浮遊魔法で城壁を飛び立った。そしてグングンとスピードを上げて、ドラゴンの元へ向かう。
……ごめんね、カミラちゃん。やっぱり私、約束守れないかもしれない。
……ごめんね、サリィ。もしかしたら、サリィを探す旅は、ここで終わってしまうかもしれない。
だけどね、もし私がここで逃げ出してしまったら、カミラちゃん、そしてギルマスやサキさんまで死んでしまうかもしれないんだよ。
フォルトの街並みも破壊され、そこに住む大勢の人々も殺されてしまうかもしれない。
私には、そんなの耐えられない。これはただの私の我儘なんだけどさ、どうか許して欲しい。
『ふん、こんな小さな子供一人を生贄に捧げるとは、人間とは相も変わらず愚かな生き物だ』
私がドラゴンの元へと辿り着くと、頭の中に直接そんな声が響いた。流石は伝説の魔物、言葉を交わせるほど知能が高いなんて、恐れ入ったよ。
「違う、私は自分の意思でここに来ました。あそこには私の大切な人たちがいるの。だから、どうか、手を引いてはくれませんか? 私達には、あなたと戦う理由はないんです」
『面白いことを言う。貴様らに戦う理由があろうがなかろうが関係ない。我らに戦う理由がある以上、交渉の余地はないな』
ドラゴンは鼻で笑って私の申し出を一蹴した。その声色には、悍ましい程の憎悪と敵意が滲んでいた。
「で、でしたら私にその理由を教えてください! きっと何かできる事が」
『くどい。貴様に出来ることは、今すぐこの場から身を引くことだけだ。我も貴様如き羽虫を一匹潰す理由はないのでな』
ドラゴンはそれだけ言うと、すぐにまた猛スピードでフォルトに向かって飛んでいった。
ダメだ、言葉が通じるならと思ったけど、交渉の余地なんて全くなかった!
もう、戦うしかない。
私は、喉が張り裂けそうになる程の叫び声と共に、渾身の魔力を込めてフレイムアローを放った。
そしてそれは、ドラゴンの羽に直撃した。Aランクの魔物にも致命傷を与えられそうな程の威力だったはずの火矢を受けたドラゴンの羽には、傷一つ付いていなかった。
しかしドラゴンはフォルトに向かうのをやめ、私の方へゆっくりと振り向く。その瞬間、気を失いそうになる程の強烈な殺気を受け、私は飛行魔法を中断しかけてしまった。全身から嫌な汗が噴き出るのが止められない。
『なるほど、貴様はただの羽虫ではないようだ。いいだろう、そんなに死にたいのならまずはお前からあの世に送ってやる』
こうして私は、勝ち目のない戦いへと挑むことになるのであった。




