第十五話 スタンピード
その日の晩、フォルトに帰った私達は門番さんに事情を伝えてから冒険者ギルドに向かった。
夜中になってしまったのは申し訳なかったけど、緊急事態かもしれないから仕方がない。
当然ながら受付にはサキさんの姿はなく、それどころか一人の冒険者も見当たらない。真っ暗だし、夜の学校みたいなちょっとした怖さがある。
というか、この世界って幽霊とかいるのかな?
魔法とかアンデッドが存在する世界だし、幽霊がいてもふしぎじゃない、かもしれない。私は少しビクビクしながら緊急時用に受付カウンターに置かれているベルを鳴らした。
ガラス製のそれはまるで風鈴のような綺麗な音を奏でる。するとすぐに、カウンターの裏にあった扉からサキさんが飛び出してきた。
「誰だ、何があった!?」
流石に緊急時用のベルってこともあって、サキさんはかなり慌てた様子だった。確かに緊急事態だけど、そこまで慌てるほどのことじゃないから、ちょっと申し訳ない気持ちになる。
「こんばんは、サキさん。私です、アリスです」
「あ、アリスぅ? お前ついこの前魔境の森に行ったばかりじゃねぇか。何があった?」
サキさんは驚きながらも、至極真面目な顔で私に説明を促した。私は頷き、魔境の森で起きたこと、そして馬車を襲ったレッドグリズリーが魔境の森からやってきたのではないかという仮説を説明した。
「……なるほどな、言いたいことは分かった。確かに五十頭以上のケルベロスが出現するのは異常だな。レッドグリズリーの件は今緊急クエストに出てる連中の報告次第、といったところか」
サキさんは顎に手を当てて少し考えるような仕草をした後、私達に少し待っているようにとだけ言って奥の部屋に戻っていった。
再び不気味な夜のギルドホールに取り残される私達。この一時の静寂が、まるで嵐の前の静けさのようで不安感を煽ってくる。私はそれに抗うように、口を開いた。
「とりあえず状況は伝えられたけど、フォルトのBランク以上の冒険者が殆どいないのは厳しい状況だよね」
「そうですね……。私も含めてCランクの人達に、ケルベロスは強すぎますよ……」
「つまり、今もしフォルトに魔物が押し寄せたらかなりまずい状況になるね。……っ!?」
その時、突然さっき置き去りにしてきた土要塞の反応が消えた。私はさっき拠点を出る時に、ケルベロスと遭遇した場所を正確に把握するため、土要塞と魔力のパスを繋いでおいたのだ。
土要塞は魔物の群れとの遭遇地点とフォルトの直線上に作っていたから、これを辿れば簡単に戻れると思っていたんだけど。
そのパスが今、なんの前触れもなく切れてしまった。これは、かなりヤバいかもしれない……。
「ど、どうしたんですか?」
「多分だけど、土要塞が壊された。もしこれが魔物の襲撃によるものなら、ヤツらは既にあの場所まで侵攻してきている可能性がある」
私がそう言うと、カミラちゃんの顔から血の気がサッと引いた。そりゃそうだよね。もし私達がここまで撤退しないであの拠点で一夜を明かそうとしていたら、真夜中の森で大量の魔物に襲われるという地獄に放り込まれていたってことなんだから。
更に言うと、あの拠点はかなり多くの魔力を消費して、頑丈に作ったはずだった。簡単に壊されるはずはないし、よっぽど強い魔物に襲撃されたのか……。
それにしても、魔物の侵攻が思ったよりも早い。私は魔境の森から徒歩なら二日はかかるくらいの位置に拠点を作った。そこに魔物達は僅か半日足らずで到達したことになる。
「で、でも、あの辺りは紫色の森から遠いですし、いくらなんでも早すぎるんじゃ……」
「なに、紫色の森だと!?」
暗闇に突然響いた野太い大声に、私とカミラちゃんはキャアと小さな悲鳴をあげてしまう。わ、私って驚くと随分可愛らしい悲鳴が出ちゃうんだね。ちょっと恥ずかしい。
というか、ギルマスいつの間に来てたんですか……。
「えっと、カミラちゃんが言ってる紫色の森っていうのは魔境の森のことで……」
「戯け。魔境の森の見かけは普通の森と変わらぬのだ。特に境などは無く、大まかに徒歩五日程の場所から先をそう呼んでいるに過ぎん。その地点より先から魔物のランクが引き上がるのでな」
えっ? と拍子の抜けた声が漏れてしまう。つまり、私達が魔境の森だと思っていたあの紫色の森は違うものだったってこと?
でも私達が飛んでいた方角に間違いはないし、距離も大体合っていたはず……。
「では、あの紫の森はなんだったんでしょうか?」
「木々が紫色に染まるのは、魔物が発する邪気に木が汚染されたからだ。だが、ちょっとやそっとの数で汚染されることはまず有り得ねぇ。よっぽど強い邪気を放つ強力な魔物がいるか、夥しい数が湧いてやがるかのどっちかだ」
サキさんはそう言って忌々しげに舌打ちをした。私達がゴブリンやケルベロスと戦った時、周囲にAランク以上の魔物の姿は見えなかった。
それにも関わらず紫の森は私達が空で見た限り、目で見える範囲全てに広がっていた。当然、見えない範囲にも広がっていることだろう。
それはつまり、あの規模の群れが超広範囲に同時に現れていたことを意味していて……。
「スタンピードだ、間違いねぇ。マスター、こりゃ緊急クエストに出た奴らを呼び戻さねぇとヤベェことになるぞ」
サキさんは苦虫を噛み潰したような顔でとんでもないことを口にした。
スタンピード。それは有栖のいた世界では小説などの中で、ダンジョン等からモンスターが溢れ出して街などに大挙して押し寄せてくる現象を指す言葉。
この世界でも同じ事で、特にダンジョン等の縛りはないものの、何かしらの理由で大量発生したモンスターが大群で襲ってくる現象をそう呼んでいる。
一般的にスタンピードは、そもそも数の多いCランク等の弱い魔物によって引き起こされる。だから高位の魔法使いが一人いるだけで、戦局は一気に有利になる。
昔、お母さんはその約四分の一を一発の魔法で仕留めたとかで英雄視されたことがあると言っていたくらいだしね。
しかし今回スタンピードが起きたのは魔境の森。ケルベロスのようなB+ランクの魔物に加え、Aランクの魔物まで存在しているとされる危険地帯。群れの大半は、Bランク以上の魔物で占められている事だろう。
危機なんてもんじゃない。下手を打ったらここフォルトが滅亡しかねないほどの未曾有の大災害が襲ってきていることに、私達は今漸く気付いたのだ。
「サキは今すぐ伝書鳩を飛ばせ。それからアリス、カミラの両名は吾輩を紫の森へ案内しろ。少しでも魔物の侵攻を食い止めるのだ」
こんな状況にも関わらず的確な指示を出すギルマスに私達は頷き、案内のためギルドの外に出ようとした、正にその時。
けたたましく鳴らされる鐘の音と共に、酷く切迫した様子の叫び声が都市中を児玉した。
「敵襲だーっ! 総員、持ち場につけーっ!!」
状況は、私達が思っていたよりもずっと早く、そして悪い方向へと動き出していた。




