第十四話 逃避
私は真っ先に自分にかけた身体強化の強度を引き上げた。それから即座に剣を作り出し、神速の踏み込みで手前にいたケルベロス三頭の首を刎ねる。
たった三頭を倒すのに九つの首を刎ねなきゃいけないなんて、面倒な相手だよ。
仲間が一瞬の内にやられたことを察知したケルベロス軍団は、猛烈な足の速さで私に襲いかかってくる。
でもそんな直線的な攻撃、簡単に受け流せる。私はその攻撃を全て躱したり剣で受け流したりして回避する。
「……し、しまった!」
そして次の瞬間、自分が非常にまずい状況に追い込まれたことを理解した。
ケルベロスの攻撃を回避したことで、完全に挟み撃ちの状況に持ち込まれた!
やっぱりコイツら、しっかりと連携を取って狩りをするみたいだね。前後にほぼ同じ数のケルベロスの群れ。
私は最早逃げ場は空にしかないと判断し、足元に『紫炎』を放ちながら即座に浮遊魔法で飛び上がる。
もうちょっと狩ってポイントを貰いたかったところだけど、ちょっと相手が多すぎる。ここは逃げ一択だね。
私がそう思って油断したその瞬間。
「なっ、嘘! やめっ!」
この一瞬で私の右足に一頭のケルベロスが喰らい付き、地面に引き摺り下ろそうと暴れ出した。コイツ、どうやって紫炎を避けて跳んできたの!?
「こんのっ! しつこい!!」
「アリス姉さん!?」
その状況は先に空に退避してもらっていたカミラちゃんにも見えたみたいで、慌てて私の元へと飛んでくる。
しかしその時、私がもたついている間になんと複数体のケルベロスが地面から私に向かって飛び上がってきた。
よく見ると、他のケルベロスを踏み台にして紫炎の範囲外から跳んできていた。流石にそれは予期してなかったよ!
「カミラちゃん、今は来ちゃダメ!」
私はカミラちゃんにストップをかけつつ、飛んできたケルベロスにウィンドエッジを放つ。
それで殆どのケルベロスを撃ち落とし、私の足に食らい付いていたケルベロスの首も切断。これで一安心かと思ったその時。
落下するケルベロスの死体を足場にするようにして一体のケルベロスが跳躍し、またしても私の右足に三つの首全てが噛みついた。しかも、その力は凄まじくて……。
その瞬間、私の口からはまるで獣のような叫び声が上がっていたと思う。
噛みちぎられた。そう理解した瞬間、私は壮絶な痛みと共に、本能的な恐怖で思考が一瞬止まってしまう。
私はすぐに頭を振って恐怖心を振り払い、ヒールで右足を再生する。マリアさんに鍛えてもらっておいて本当によかった。
「カミラちゃん、逃げるよ!」
「は、はい! あの、足は大丈夫なんですか……?」
「話は後! 全速力!」
私とカミラちゃんはこうしてすぐさま魔境の森を抜け出し、安全な場所に降り立ってから『土要塞』で簡易的な拠点を作ってそこに閉じこもった。
「こ、これで大丈夫、なんですよね?」
カミラちゃんは不安そうにカクカクと震えながら、不安そうに窓を覗く。
「た、多分、ね……。それより、対策を、考えない、と……」
あれ、なんだろう。急に身体が熱くなって、視界がボヤけて……。
「アリス姉さん、どうしたんですか!? か、身体中に黒い斑点が!」
黒い、斑点……?
それって、ペストみたいなもの、なのかな。だとしたらまずい。ケルベロスに噛まれた時、疫病か何かが移されたのかもしれない。
私は自分に、思いつく限りの病気や状態異常を想定したキュアをかける。すると斑点は消えていき、体調も一瞬で回復した。
思っていたよりもあっさりと治ったのは拍子抜けだったけど、これは厄介極まりない。
もし戦闘中に一度でも噛まれたら、この頭が回らなくなる強烈な疫病を発症してしまうのか。
地球でも、野犬は狂犬病を媒介するから危険って言われていたけど、似たようなものかな。
それにしても、魔境の森がここまでの危険地帯だとは思ってなかった。ギルマスに聞いたところによると、魔境の森にはBランク以上の冒険者が挑むことを許されている。
でも、入ってすぐB+ランクの魔物がうじゃうじゃしているような場所にBランクの冒険者が来てしまえば、あっという間に殺されちゃうと思う。
それに、いくら私がギルマスと渡り合えたと言っても、その私が右足を噛みちぎられるくらいに追い詰められるような場所、カミラちゃんとの二人パーティーで挑むことを許す方がおかしいと思う。
何か、おかしい。
「カミラちゃん、ちょっといいかな?」
「はい、なんでしょう?」
「やっぱりここも、安全じゃないかもしれない」
私がそう言うと、カミラちゃんは顔を真っ青にしてぶるりと身体を震わせた。
「これは予想でしかないんだけど、多分魔境の森で何かしらの異常が起きてる。そのせいで魔物が増えたのか麓に流れてきたのかは分からないけど、どっちにしても森の境界線が越えられるのは時間の問題なんじゃないかな」
あの紫色の木に魔物が好む何かしらの要素があるなら別だけど、魔物が態々律儀に境界線を守るとは全く思えない。
だとしたら、フォルトに向かって魔物の群れが押し寄せる可能性は拭いきれない。その場合、ここはフォルトと魔境の森の中間地点なんだから、安全とは言い切れなくなる。
それに、気になることもある。
「それとカミラちゃん。もしかしたらだけど、私達が遭遇したレッドグリズリーも魔境の森から流れてきたのかもしれないんだよ」
「あ、あの時の魔物がですか? でもあそこはこことは反対側の、しかもかなり遠い場所ですよ?」
確かにあの場所は魔境の森からはかなり遠い。しかし要塞都市フォルトの周りは鬱蒼とした森が広がっていて、あの街道の森と繋がっている。そして勿論、魔境の森ともだ。
「あれだけの魔物の異常発生が、私達がここに来たタイミングピッタリに起きたとは考えにくいんだよ。そしてもし、実はもっと以前からこの異常が起きていたのだとすれば、あそこまで魔物が侵攻していてもおかしくはない」
「も、もしあのレッドグリズリーが魔境の森から来たのなら、フォルトの周りは魔物だらけなんじゃ……」
「当然、その可能性はあるよ。そしてそうだとすれば、この場所も……」
私が無言で頷くと、カミラちゃんはゴクリと喉を鳴らした。
私の予想は外れているかもしれない。あのレッドグリズリーも、偶々あそこに現れただけで、この異常とは無関係なのかもしれない。
でも、あの統率の取れた狩りの仕方は、さっきのケルベロスにも似て秀逸だった。私とサリィを襲ったレッドグリズリーは単独行動をしていたし、もしあれが魔境の森の魔物固有のものだとしたら、可能性は捨てきれない。
「とにかく、一度フォルトに帰って状況を伝えた方がいいと思う」
私達はすぐに荷物を整えて、敢えて土要塞をその場に残して浮遊魔法でフォルトに向かった。
この時の私達の判断は間違っていなかったと思うし、状況を楽観視していたわけでもなかった。
しかし、状況は想像を遥かに上回る規模で進行し、後に『紫の夜』と呼ばれる【要塞都市フォルト】史上最悪の魔物災害が起きようとしていていることなんて、知る由もなかったのである。




