第九話 冒険者ギルド
翌日。寝付きが悪かったせいでめちゃくちゃ眠い中、私達四人は冒険者ギルドに向かった。
冒険者ギルドは三階建てと思しき大きな建物で、屋根には巨大な風車が鎮座している。あれは一体何のためにあるんだろう?
そんなことを思いながら、私は入り口のやたらと大きな扉を開いた。その瞬間、強烈なお酒の臭いとパチンコ屋かと疑う程の喧騒が襲ってきて、思わず「うへぇ」と声が漏れてしまう。
そこは沢山のテーブルと丸椅子が置いてある大きなフロアになっていた。奥まった位置にはカウンターがあり、そのカウンター裏にはバーのように沢山のお酒が陳列されている。
その光景は、ギルドというより酒場だった。右手奥に大量に貼られている依頼書が目に入らなければ、ここが冒険者ギルドだとは到底思えない。それにしても、こんなに五月蝿くて臭いだなんて聞いてないよ……。
「お父さんもお母さんも、よくこれに耐えられるね……」
「くさいです……」
私とカミラちゃんは二人して鼻を摘んで涙目になる。有栖の時からこの臭い、ダメなんだよね……。これはアルコールの臭いなんじゃなくて、それが代謝された後のアセトアルデヒドの臭いなんだっけ?
ダメだ、寝不足と悪臭と喧騒のせいでおかしくなってる。『へぇボタン』すら一度も押されないくらいの超無駄知識を思い出すくらいにはおかしくなっている。
「これが冒険者になるための始めの一歩だからな。俺も最初はキツかったが、数回で慣れちまったよ」
「私は今でも少し苦手だわ。せめてもう少し静かにしてほしいわよね。これじゃあ可愛いアリスの声が聞こえにくいじゃない」
そうかー、数回で慣れるものなんだーってお母さんのはちょっと理由がおかしくない?
私とカミラちゃんは、そんないつまで経っても親バカな両親に連れられて、カウンターに向かった。
お父さんとお母さんは途中何度も話しかけられて、それに笑顔で対応していた。かかる声は全て好意的なもので、やっぱりAランク冒険者というのは凄いんだなって思い知らされた。
私とカミラちゃんも、そんな有名人な二人の娘(に見える)ので質問攻めに遭いそうになったけど、お父さんがそれとなく防御してくれて助かった。
カウンターに着くなり私が受付嬢さんにギルドに来た理由を伝えると、ニ階に上がるように指示された。その瞬間、フロア全体が騒ついた気がするけど、気のせいかな?
二階は一階と違ってかなり綺麗な作りだった。床は全てレッドカーペットだし、酒臭くもない。見た目は日本の市役所が近いんじゃないかな。もちろん、この世界には電気がないのでパソコンとかは無いし、机とかも全部木製なんだけど。
そして不思議なことに、職員さん以外の人が一人もいない。飲食禁止っぽいけど、それだけでこんなに過疎るものなのかな?
私がそんな不思議空間に視線を彷徨わせていると、職員さんが一人私達の元にやってきた。私はその人の姿を見て、思わず声が出そうになるのを必死に堪える羽目になった。
「ようこそいらっしゃいました、アリスさん。お話は領主様より伺っておりますので、どうぞこちらへ」
「は、はい!」
柔かに微笑む彼女の頭では、ふわふわと可愛らしい耳がピンと立っていて、お尻のちょっと上のあたりからはもふもふした尻尾が揺れている。
……この人、獣人さんだ! 初めて見た!!
150cmくらいの低い背丈に対して、豊満な胸をお持ちの童顔な獣人さん。ちょっと属性盛りすぎたと思いますよ。可愛すぎる、というかあの耳と尻尾をもふもふしたくて堪らない。
何の獣人さんなんだろう? 猫かな? 狐かな?
私はすぐにでも飛びつきたい衝動をなんとか抑えながら、職員さんに連れられて個室に通された。
「それでは領主様をお呼びしますので、少々お待ちください」
丁寧なお辞儀と共にぴょこりと揺れる耳。あとで触っていいか聞いてみようそうしよう。
「アリス、獣人が耳や尻尾を触るのを許すのは、心を許した相手にだけだ。絶対に触ったらダメだからな」
よっぽど煩悩が顔に出ていたのか、お父さんに先に釘を刺されてしまった。その時私の横でカミラちゃんが一瞬ピクッと震えたけど、もしかしてカミラちゃんも?
横を向くとカミラちゃんとばっちり目が合って、思わず二人でプッと吹き出した。やっぱり、カミラちゃんも可愛いもの好きなんだね。
そんな感じの緩い時間を過ごしていたところ、個室の扉がコンコンと叩かれた。さっき獣人の職員さんが出て行ってから、まだ五分も経っていないんですけど……。
領主様、暇なのかな? と私がとっても失礼なことを考えていると、ゆっくり扉が開かれた。
そこには、昨日と同じくキラキラとした爽やかスマイルを放つハノーヴァー伯爵がいた。いくらここが一階に比べて綺麗だからって、お貴族様が普通にいるのはやっぱり違和感があるね。
「ようこそ、我がギルドへ。歓迎しますよ。レーナ、お客さんにお茶を」
「かしこまりました、領主様」
伯爵が声をかけると、獣人の職員さんことレーナさんは手慣れた手つきで紅茶を淹れてくれる。そのお手並みはとても見事で、本当にギルド職員なのかと疑いたくなる程だ。
「相変わらずレーナちゃんの淹れるお茶は美味いな! 全く、お前はこれが毎日飲めるってんだから羨ましい限りだよ」
「毎日は飲んでいませんよ、サイガさん。私にはギルド以外の仕事も数多くあるんですから」
伯爵は、さも当たり前かのように砕けた調子でお父さんと話しながら席に着いた。
……やっぱりこれおかしいよね?
というかお父さんがタメ口で伯爵が敬語なの、絶対アウトだと思うんだけど。私がお母さんの方を見ると、ニッコリ笑い返された。声には出ていないけど、「アリスの言う通りよ」と聞こえたような気がする。
そして一通りの世間話が終わったところで、伯爵は姿勢を改めて私とカミラちゃんに向き直った。
「それでは改めまして、アリスさん、カミラさん。答えを聞かせていただけませんか?」
……遂に、この時がきた。私は緊張に高鳴る胸を抑え、しっかりと自分の意思を伝える。お貴族様に一日答えを待たせてしまったんだし、ここは絶対にしくじってはいけない。
「承知しました、ハノーヴァー伯爵。……私は是非とも冒険者になりたく存じます。私がここまで修練を積んできたのも、Aランク冒険者となり魔族領へ赴くため。なればこそ、私に拒む理由はございません」
私は用意しておいた答えを、なんとか噛まずに言うことができた。緊張したけど、この程度のことで一気にCランク冒険者になれるんだから、ありがたい話だよ。
「それでは、カミラさんはどうですか?」
伯爵は、変わらぬ笑顔をカミラちゃんに向けている。自分のことじゃないのに、何故かドキドキするよ。
カミラちゃんは伯爵と目を合わせたまま一度深呼吸をし、意を決して口を開く。
「わ、私も、冒険者になりたく存じます。今は魔法を扱うこともできない、冒険者として生きていくことはできない未熟者であることは自覚しています。ですがもし許されるのなら、アリスさんに弟子入りをして私も魔族領を目指したいのです」
カミラちゃんが、しっかりと自分の口で意思を伝えると、伯爵は満足そうに頷いた。
「ありがとうございます、カミラさん。アリスさんも、異存はありませんか?」
「はい、私は問題ありません。私がカミラちゃんを、一人前の冒険者にします」
私がそう宣言すると、伯爵も、お父さんもお母さんも、優しく微笑んで頷いてくれた。
「分かりました。それでは、こちらをどうぞ」
私とカミラちゃんの意思を確認した伯爵は、すぐ後ろに控えていたレーナさんからトレーを受け取り、私達に差し出してきた。
そこには、ブロンズ色のカードが二枚置かれていた。そのカードには、綺麗な文字で私とカミラちゃんの名前、そしてCという文字が刻まれている。
……ハノーヴァー伯爵、私とカミラちゃんの答えを聞く前から作ってたんだね。
「こちらは、お二人のギルドカードになります。依頼を受ける時や、素材の換金時に必要になります。身分証ともなりますので、絶対に無くさないでくださいね」
「「はいっ!」」
私とカミラちゃんはカードを受け取り、自分の胸に抱く。
これでようやく、サリィを探すための第一歩を踏み出すことができる。私は胸に抱いたカードをギュッと握りしめ、改めてAランクを目指す決意を強めるのだった。