第六十話 仮説
連れられて行ったのは、廃ビルの地下だった。
コツン、コツンと不気味に足音が反響する薄暗くて気味の悪い通路をしばらく歩いていくと、やがて女の子の呻き声が聞こえてきた。
その声は間違いなく、私の知るサリィのものだ。
私達は息を殺して声のする方へ向かっていき、やがて隙間から薄く光が漏れ出している扉が見えてきた。
その頃には、呻き声にしか聞こえなかったものがしっかりした言葉として聞こえてくるようになっていた。
「なんで……、どうして動いてくれないの!? 伝説の勇者の装備なのに、なんで……。私は、私はお父様のお役に立たなければいけないのに……」
その声を聞いて、サリィが胸を押さえて苦しそうに顔を歪める。
多分、彼女にはもう一人のサリィの気持ちが痛いほど理解できてしまうんだ。
だって、二人はどうしようもなく同じなのだから。
「サリィ……」
「……ごめんね、大丈夫だから。あとは、お願いね」
私は頷き、そして一人で部屋の中へ入る。悪いけど、ここは私一人で行かなくちゃ意味がないから。
その部屋には、血のように赤い光を放つ魔法陣が天井、壁、床問わず夥しい数描かれていた。
そしてそれぞれの陣は複雑に重なり合い、猛烈な相乗効果までも生み出しているみたいだ。
内装を見るに、ここは誰かの書斎だったのだろう。この世界ではまず見ない画面の割れたパソコンが置かれた机や、読めない言語で書かれた本が大量に入っている本棚がある。
魔法陣とパソコン。余りにも不釣り合いな二つがどちらも存在しているこの部屋の様相に、思わず苦笑してしまう。
サリィはそんな部屋の真ん中にいた。彼女は綺麗な紅い光を放つ大きな正八面体の水晶のようなものの中に閉じ込められていて、それを割ろうと必死に剣を振るっていた。
これは確かに、勇者の装備を身に着けていようとも逃れるのは容易ではないと思う。
事実、リキャストタイムごとに放たれる空間切断でさえも水晶は傷つけられず、部屋に描かれた魔法陣の極一部が光を失うだけに留まっていた。
まあそれでも、相乗効果を打ち消す役には立つだろうから、やはり時間の問題ではあったんだろうね。
「……っ! ど、どうしてあなたがここに!?」
余程切羽詰まっていたのだろう。水晶のすぐ近くまで寄った時に、漸く私の存在に気付いたみたいだ。
「ついさっきだよ、ここに来たのは。久しぶり、って言うにはまだ一日しか経っていないけど」
「……何しに来たんですか? この結界を使ったのはあなたではありませんよね?」
サリィはあからさまに警戒した様子で剣を構える。けれど、その刃が私に届くことはない。
「確かに私じゃない、っていうかそもそも魔法陣なんてものの知識なんてほとんど無いからね。これだけ高度な結界を作るのは不可能だよ」
……本当に、サリィの執念がどれだけのものだったかがよく分かるよ。精神分離の魔法やら、超絶規格外な結界やらを創り出してしまうだなんてさ。
「そしてここに来た目的の一つはね、『取り寄せ』」
私がそう唱えると、手元にずっしりとした重みが加わり、囚われているサリィの表情がみるみる内に青ざめていく。
「ど、どうして鎧と剣が……!?」
「ごめんだけど、盗ませてもらったよ。これで君の能力は全て元に戻る」
「そうではなくて、どうして盗むことが出来たのかと聞いているのです! ゆ、勇者の武具は使用者と一体化するというのに……」
そう、この鎧と剣は女神"アナーヒター"の加護により使用者と一心同体となる特性がある。
だから遠くに剣を弾き飛ばされてしまったとしてもすぐに手元に引き寄せられるし、そもそも自分でしか脱ぐことも出来ないらしいのだ。
けれど、私が創った『取り寄せ』は特別製なんだよね。
"アナーヒター"と対を成す神"アジ・ダハーカ"の加護を判断に盛り込むことによって、対象の持つ属性を強引に闇へと変換する。
これによってサリィと武具の関係が僅かに揺らいだその瞬間に、私の手元に転移させたのだ。
いくらサリィが"聖魔反転の秘術"を会得していようとも、感知する間がなければ問題にならなかったんだよね。
「か、簡単に言いましたけれど……、そのような魔法を創り出すなど普通のことではありませんよ!? それに、あなたも魔族ですのに何故その武具を手に持てるのですか!?」
「私、元々人間だからね。しかも別に"アナーヒター"を裏切った訳でも"アジ・ダハーカ"を信仰している訳でもないし」
だから多分、私はどちらの加護も持っているんだ。
シルフやシェディーが言っていたように、昔むかしのこの世界では、人間と魔族は共に暮らしていた。そしておそらく、戦争は人々の信仰心が引き起こした悲劇だった。
ということは、多分だけど神様同士は別に信者達が争うことは望んでいないと思うんだよね。そして、お互いを嫌っている訳でもないんだ。
つまり何が言いたいのかっていうと、加護が重複して存在したとしても別に不思議ではないんじゃないかってこと。
もっとも、普通なら加護と魔力の繋がりから重複は不可能なんだけどね。でなきゃ『竜殺し』なんて魔法は意味を成さなかったんだし。
全属性に適性がある私だからこそ、どちらの加護も得られたとも言えるかな。
「そ、そんなことがあり得ますか!? それでは何故この世界には勇者と魔王がいるんです? 争いを望んでいないのなら、そのような存在も、その武具も必要無いはずです!」
それは私も思ったし、だからこそ精霊達の話には驚かされた。
けれど、そもそも勇者と魔王のルーツって何なんだろうって考えてみると、一つの仮説を立てることが出来た。
「多分勇者は、人々と言葉を交わすことが出来ない神様達が遣わせた使者なんだよ。ただの人間が戦時中に魔族領に行ったらどうなるか……、それは分かるよね? だからといって魔王がいなければ、魔族は神様の意図を勘違いした勇者に殲滅されてしまう可能性がある。だから神様は勇者と魔王というシステムを作り上げることにしたんだ」
パワーバランスが崩れてしまうのは、大問題だからね。
「そっ……、そんな馬鹿げた話が……」
「勿論私の仮説でしかないよ。でも、そうでもなければ私が勇者の装備を触れられて、かつアジ・ダハーカの加護を扱える理由が説明できない。それに、これを思い付いたのにはもう一つ理由があるんだよ」
「もう一つ……」
「うん。ずっと考えてたんだ。なんで勇者はこの世界ではない、違う世界の人間が選ばれるんだろうって。その答えは多分、この世界の人間ではダメだったからなんだと思う」
この世界の人々はもう、それぞれの信仰を捨てることは出来ない。だから新しい風を、どちらの宗教にも属さない第三者を召喚することで取り入れようとしたんだ。
けれど、人間達の魔族への敵対心は想像を超えて膨らんでおり、歴代の勇者達は皆言葉巧みに人間陣営に強く引き込まれてしまった。
「そんな……、それなら私達は、一体何のために……」
この仮説が正しかったとすれば、今起きている戦争自体がそれぞれの神の意思に反するものだってことになる。
そうだとしたら、その戦争を起こしている魔王は"アジ・ダハーカ"を冒涜しているようなものなのだ。
父親を崇拝していると言っても過言ではないこのサリィにとって、その事実は余りにも辛いもののはず。
「……ごめんサリィ、本当は君を虐めたい訳じゃないんだ。だけど、言わなくちゃならなかった」
水晶の中で涙を流すサリィを見ていると、胸がギュッと締め付けられるように痛くなる。
けれど、ここからが本番だ。絶対に、彼女の心を掴むんだ。