第五十九話 文明の跡
"世界樹の森"では浮遊魔法は厳禁と、サリィと精霊二人から最初に言われた。
どうも浮遊魔法を使うと、精霊の加護を持っていても呪いの対象になるらしいのだ。
故に今はサリィに案内されるままに徒歩で森の中を歩いている。
どうして飛ぶと呪いを受けてしまうのか。
その理屈については精霊達にも分かっておらず、そのことを知るのは"世界樹の思念"だけだと言う。
「え、世界樹って意思があるの? もしかして喋れたりする?」
「はい。世界樹とは、生涯を終えた精霊の意思が宿る御神木なのです。あれだけの大きさがあるのも、長い歴史の中で数万の精霊の意思を宿しているこてに起因します」
す、数十万……。
それだけで、どれだけの長い歴史があるのか思い知らされる。精霊一人の寿命が仮に百年だとして、死亡時期が重なることを考えても百万年以上前から存在していることになるのだから驚きだ。
「百万年前って、もはやアウストラロピテクスの時代? 地球だったらホモ・サピエンス誕生前だよね?」
「うっ、わたし世界史苦手だったから覚えてないかも……って、そんな昔から精霊っていたの!?」
「とーぜんよ! それどころか人間も魔族もちゃんと存在してたらしいよー。その、あうすとら? とか、ホモ? とかは知らないけど」
シェディーよ、そこだけ切り抜くでない。
「……アウストラロピテクスは三百万年前とかだったと思う。百万年前だと所謂原人の時代かな? それと確かホモ・サピエンス、つまり今の人間が誕生したのは二十万年前くらいだったと思う。そう考えるとやっぱりこの世界の歴史はとんでもなく長いよ」
地球の歴史からすれば人間の歩んできた歴史というのはとても短いんだってのは知ってたけど、世界が違うとそこも全然変わってくるんだね……。
「その頃は魔族と人間は仲睦まじく暮らしていたそうなのです。精霊の数も多く、平和な時代だったと聞いています」
魔族と人間が、ね……。
絶賛戦争中の今となっては考えられないけれど、こうなってしまった原因は大体想像できる。
決してそれ自体は悪ではないし、人によってはむしろ救いとなる、なくてはならないもの。それでいて、歴史の中で数々の戦争を起こす引き金となってしまったものといえば何か。
答えは簡単、宗教だ。
人には自分が信じるものを吹聴し、そして同じ道へ導こうとする習性がある。
特に信じているってところがミソで、その信仰具合によっては過激になったりもするんだ。
しかし巨大な宗教の大半は、教祖が遥か昔に亡くなってしまっている。故に、その教えを説くのは後世の人達だ。
それが例えばキリスト教なら二千年以上も続いてきたわけで、それだけの時間があれば何処かしらで解釈違いというものは生まれてくる。
そしてその別れた解釈を受け入れられない人達は、やがて争いを始めた。
その最たるものが、カトリックとプロテスタントの対立が引き起こしたユグノー戦争だ。
異教徒を人間と認めないというような行きすぎた考えが生まれると、人の命を奪うこともある。その考えが国単位で広がれば、戦争が起きる。
これは長い人類史の中で実際に起きてきた事実であり、それがもっとずっと長い歴史を持つこの世界で起きないはずがないのだ。
ましてや今尚、現実に存在すると思われる神がいてそれぞれに味方しているのだから尚更だ。
「アリスの想像、大当たりー! むかーしむかし、人間と魔族の間でそれぞれが崇める神を唯一神として、もう一方の神を邪神とする考えが広まったんだよねー。何でなのかまでは伝わって無いんだけどさ」
「そうなんだ……。正直、日本人には無い感覚だから、それで戦争まで起きちゃうなんて想像できないかも」
芹奈ちゃんは信じられないという風に首を振る。
いやいや、君はそれちゃんと学んできたんだよね? 確かに日本はいろんな宗教の慣習がごた混ぜになる程宗教への信仰度が低い国だったけどさ。
クリスマスを祝ったり、初詣と称してお寺に参ったりハロウィンをただの仮想パーティーだと思っている人達が盛り上がっていたり……。
ある意味そっちの方が、平和的で良い世の中ではあるんだけどね。
と、段々話が逸れ始めてきたところで、シルフが幼いジト目をシェディーに向けて溜め息を吐いた。
「シェディー、一つ大切な事を言い忘れていますよ。まだ人間と魔族の間に隔たりの無い時代、その歴史が事実だったのだと証明する古き遺跡のお話を」
「あっ、そうだった! めんごめんごー、あたし最近忘れっぽくって!」
「わたしより歳下でしょうに、まったく……。もうそろそろ着く頃なのですから、しっかりしてください」
……歴史を証明する? サリィの隠れ家って、普通の建物ではないのかな?
ふとサリィを見ると、彼女は少し困ったような笑みを浮かべて前を指差した。
「うん。私の隠れ家っていうのはね、悲しい歴史が遺した負の遺産なの」
「負の遺産って……、まさか!?」
彼女が示した場所、それを見た私は思わず目を見開いた。
「これって、電線? それにあそこにあるのって室外機よね?」
「そ、そうだと思います……。それどころかこの街並みって……、お、お兄ちゃんこれどういうことなの!?」
……間違いなく、科学の痕跡だ。
これまでも刀とか【ナルカミ村】のお屋敷とか、日本……というか地球の文化は目にしてきた。
だけど、それはまだ個人の技術があればどうにかなる範疇のものだった。
でも、電気インフラやエアコンなんて一人や二人で作れるものではない。しかも今目の前に見えているのは、百年や二百年経っただけとはとても思えない程までに風化した鉄筋コンクリート製の建物だ。
これは間違いなく、"文明"の痕跡だ。
この世界は科学が発展していない代わりに魔法が発達した世界、それがこれまでの私の認識だった。
けれど、もしかしたらそれは間違っていたのかもしれない。
だとしたら、この世界とは一体……?
「さあ、こっちだよアリス。色々気になることはあるかもしれないけど、それは後回しにして欲しいかな」
「……そ、そうだね。今はやらなくちゃならないことがある」
私は何か不穏なものを感じながらも、サリィの後を追って廃ビルの中へ入っていくのだった。