第四十七話 緊急要請
その日、王国軍は恐怖した。
まるで映画に出てくるようなあり得ない規模の竜巻が通り過ぎた後のように跡形もなく薙ぎ倒された森、そしてあまりの高温に溶岩のようにドロドロに溶けた地面。
この世の地獄かと思えるような悲惨な光景は、とある点を中心にして円形に広がっていた。
そしてその中心には、一人の少女が立っていた。
聖なる輝きを放つ聖剣を手に持ち、白金色に輝く聖衣を見に纏った黒髪の少女。彼女が剣を振るう度に、その周囲の地形が変えられていく。
しかし不思議なことに気絶させられた者、手足を損壊し武器を持たなくなった者は大勢いたものの、死者は一人もいなかった。
それが聖剣の力なのか、それとも少女が手加減していたからなのかは不明だ。しかし、死者が出ないことは喜ばしい事とは限らない。
現在王国軍が劣勢に立たされている最も大きな理由、それが恐怖心だ。
圧倒的なまでに破壊的な力を前にし、かつ次々と倒され、或いは手足を失い泣き叫ぶ味方を見ていれば恐怖に駆られるのは仕方ない事だと言えよう。
この時、少女が一人でも殺しをしていたなら状況は違ったかもしれない。そうであれば王国軍に怒りの感情や復讐心が芽生え、それが兵を突き動かしたことだろう。
しかし、少女は完璧な不殺を貫いた。そして一定の領域に入り込んだ王国兵を戦闘不能にする。
こうして少女の周囲は絶対領域となり、王国軍は何一つ手出しが出来なくなる。彼女が歩みに合わせて王国軍が退くその様は、まるでVIPを迎えるかのようであった。
こうして恐怖に屈した兵士達は次々と武器を捨てて降伏し、戦況は魔王軍の勝利へと傾いていくのだった。
◇
「有栖君、緊急司令! 今すぐ王宮に転移出来る!?」
それは、本当に突然のことだった。
昨日一日さくらとデートした挙句告白されるという衝撃的なイベントがあり、もう暫くはこんなに驚くことは無いだろうと思っていた矢先のことだった。
本当ならさくらの記憶を頼りにして今日にでも魔王城の城下町へと旅立とうとしていたのに、まさかの足止めを食らうことになってしまった。
しかも今すぐと言うからには相当切迫した状況なのだろうし、本当次から次へとよくもまあ厄介事が舞い込んでくるものだ。
とはいえ愚痴っていても仕方がないので、私はすぐにカミラちゃんとさくらを起こして事情を伝え、サクッと着替えを済ませてから『転移門』を発動した。
身嗜みは『擬態』を解けば自然と整うし、気持ち的には嫌だけど顔や身体は洗わなくても『浄化』でなんとかなる。歯磨きも同じで、口内を『浄化』してしまえば必要無い、というか普通に磨くよりも圧倒的に綺麗になる。
気持ち的には嫌だから、普段はそこはちゃんとしてるんだけどね? 今日は緊急だから仕方ない。
私は『念話』でギルマスに緊急招集があったことを伝え、宿のチェックアウト手続きもお願いした。お金はテーブルの上に多目に置いておいたから、確実に足りるはずだ。
さくらの事は王様に伝えてはいないけど……、まあなるようになるだろう。
そんな訳で旅立つ前に打ち合わせておいた転移場所ーーかつて芹奈ちゃんが住んでいた王宮内の個室ーーに転移した私達一行は、既に待機していたレイさんと久しぶりに顔合わせすることになったのだった。
「お待ちしておりました。本当ならばお茶をお出ししてゆっくりご挨拶をしたいところではありますが、時間がありません。早速で申し訳ないのですが、玉座の間へお越しください」
レイさんはそれだけ言うと、そそくさと部屋を出ていってしまった。
私達が慌ててその後を着いていくと、玉座の間には既に要人が皆一様に難しい顔をしながら待機していた。
王様も例外ではなく、眉間に深い皺を刻みながら顎に手を当てていた。
私達はすぐにご挨拶を申し上げようとしたけれど、王様はそれを手で制した。その時間すらも惜しい、そういうことなのだろう。
「先ずは私の予想を遥かに上回る速さでの帰還、感謝する。見知らぬ顔もあるが、勇者殿が気を許しているのだ。今は何も聞かぬ。……事の詳細については騎士団長であるセウェルスが説明する。頼むぞ」
「承知しました、父上」
いつも通り王様の横に立っていたセウェルス王子は、しかしかつて見た事がない程凛々しく、そして焦燥したような表情をしている。
それだけ今回の件は大事なのだろう。私は思わずゴクリと喉を鳴らした。
「昨日、我が王国と魔族領の境界線上に敷かれた北西戦線の一部が崩壊した。信じられないことに死者は出ていないが、既にその地点からは魔族の侵攻が始まっており、かつ戦線の崩壊は徐々に南下していると聞く。既にキンケル辺境伯領と魔族領の境界は全て崩壊し、ハノーヴァー伯爵領の北西部にまで侵食し始めているとのことだ」
私は、脳みそが直接揺さぶられたかのような衝撃と眩暈に襲われた。
……ハノーヴァー伯爵領には私の生まれ故郷や【カルムの街】、更には【要塞都市フォルト】がある。
伯爵領は【ノルトハイム王国】内でも特に広大な領地面積を誇るが故に、北西部の国境からだと比較的西側に位置していた私の生まれ故郷からでも馬車で一ヶ月以上かかる程離れている。
それでも私には、両親の喉元に刃を突き付けられているかのように思えてしまう。
だって今回の敵は、これまで保たれてきた天秤を簡単に傾けてしまうような未知の脅威なのだから。
「そこで君達には戦地に赴き、此れを撃退してもらいたい。既に魔族の侵入を許したキンケル辺境伯領へ援軍を送ってしまっているため、そちらを支援する事は出来ない」
セウェルス王子は苦虫を噛み潰したかのように顔を歪める。
「すまない。だが私は勇者を、そして私を打ち破ったアリスとカミラを信じている。そちらの娘もまた、君達と共にいるということは強者なのだろう。王子である私は此処から動く事は出来ない。……故に、頼む。この国を、救って欲しい」
セウェルス王子はそう言って深く頭を下げた。
正直言って、怖い。だけど、そんなこと言ってられないくらいに事態は深刻だ。そして、普通の人間に対処することなんて出来ないのは火を見るよりも明らか。
ふと横を見ると、芹奈ちゃんと目が合った。それだけで、彼女の意思は簡単に読み取ることができた。
そうでなくても、ここで退くようなドライな人間が勇者になんて選ばれる訳がないんだろうけどね。
私達は皆で頷き合って、そして代表して芹奈ちゃんが口を開く。
「分かった、わたし達に任せて。必ず解決してくるとは言わないけれど、最善は尽くすと誓うわ」
私達はその言葉に頷いて、王様とセウェルス王子に意思を見せる。
「感謝する。……頼んだぞ。我々の命運は、君達に全てかかっている」
こうして私達はハノーヴァー伯爵領の僻地にある村、【ウォルド村】へ向かうことになったのだった。