第六話 模擬戦
「この闘技場には魔法の威力を軽減する結界が張られていますので、思う存分力をぶつけてくださいね」
柔かに笑う伯爵。大丈夫です、そんな力をぶつける度胸は私にはありませんので。
「それではどうぞ、始めてください」
しかし無常にも、ニーナ様の掛け声で模擬戦は始まってしまった。
でも、お互いに手の内が全く分かっていない。なので間合いを取って睨み合う時間が続いていく。
というか伯爵、私に木剣を渡して自分は真剣を使うってことは私に対して傷つける事なく、確実に勝てるという確証があるってことだ。
……まあ7歳児に負ける想定をする人はそういないだろうとは思うけどさ。それでも、舐められているようで少しムッと来たのは事実なわけでして。
「……後悔しても知りませんからね」
先に動いたのは私だった。私は即座に無詠唱で得意のフレイムアローを放とうとして、そして気付いたら目の前に伯爵の顔があった。
「は、速い!?」
お互いに十メートルは離れた位置に立っていたのに、気付いた時には目の前にいた。それこそ瞬間移動でもしたんじゃないかと疑うほどの速さだ。
……この速さ、そして戦術。お父様にそっくりだね。そして、それ故に私は対処できる!
「……っ!?」
今度は伯爵が驚きで息を詰まらせる番だった。私は木剣では耐久力が足りないと思い、即座に土魔法で短剣を作り、伯爵の剣を受け流した。
そして返す刀で伯爵に水球をぶつけて距離を取る。そのまま邪魔な短剣を虚空に消し去って、代わりに槍を生成して再び伯爵と睨み合いの形に持っていった。距離を取るには、リーチの長い槍が一番都合がいいからね。
頭からびしょ濡れになった伯爵は、目を見開いて私を見ていた。正に水も滴るいい男ってね。
「まさか、7歳の女の子があれを防ぐだなんてね。いくら私でもそれは予想できませんでしたよ。それにアリスさんが放ったのがウォーターボールではなくファイヤーボールだったなら、私は死んでいたかもしれません」
「ハノーヴァー伯爵こそ、Aランク冒険者の父と同じくらい速い剣筋で驚きました」
なんでお貴族様なのにそんなに強いのかって謎と、何で防がれると思わないほどの全力の一撃を、態々自分から持ちかけた模擬戦で振るったんだという疑問が浮かぶ。しかし、私がそれを聞く前にまた伯爵が動いた。
今度はさっきとは違い、緩急のついたステップと共に連続した高速の突きを放って来た。そのステップの独特な緩急は、距離感を大きく狂わせてきて非常に厄介だ。
私はそれを長槍で全て防いでいく。時には槍の腹で受け流し、時には突いて伯爵に距離を取らせ、かと思えば投擲して新たな槍を生成して追い討ちをかける。当然、投げた槍は相手に利用されないように虚空へと消し去っておく。
「驚きました。まさか槍術までこれ程のレベルで扱う事が出来るとは……。しかも先ほどから何度も無詠唱で魔法を発動させ、武器を造っている。信じられない程の才能……、いや、努力の結晶です」
「それは、どうもありがとうございます」
でも、伯爵の剣が鋭すぎて苦手な槍術では防戦一方になる。そこで私は、再び槍を投擲した。当然伯爵はそれを躱してカウンターを仕掛けてくる。
私はそれを、土魔法で作成した剣で弾く。やっぱり、リーチが短いとはいえ剣が一番扱いやすいんだよね。……お父さんのスパルタ教育のおかげで。
その後は突き出されるレイピアを全て剣の腹で弾き、最後に身体強化を乗せた小振りながら強力な一振りで伯爵を吹き飛ばした。これでも折れないあのレイピア、相当な業物だね。普通の武器なら今ので折れているのに。
「成る程、次は剣ですか。次から次へと即座に武器を作成し、その全てを巧みに使いこなす万能型、ですか。まったく、あの人は一体どんな修練を積ませたんでしょうかね」
「あの人、ですか?」
「いえ、こちらの話です。それよりも、どうしてアリスさんは攻撃魔法を使わないのですか?」
そんなの、何かあったら後が怖いからに決まってるでしょう!? とは言えないので、とりあえず笑って誤魔化しておく。
とはいえ、確かにこのままだとジリ貧になってしまいそうだし、何より体力では流石に大人の伯爵に勝てるはずが無い。実際、私は既に息が切れ始めている。
……仕方ない、ここは攻めるしかないか。
「それじゃあ、お望み通りいきますよ。後で怒らないでくださいね」
「私の器は、そんなに小さくありませんよ」
伯爵は、お貴族様らしからぬニヤリとした好戦的な笑みをそのイケメン顔に浮かべて、レイピアを構え直した。
私はそれを見てから、伯爵の元へ全力で駆け出した。当然身体強化をしつつ、更に四つの魔法を同時発動させる。
発動したのは風魔法のエアカッター、水魔法の氷牢、火魔法のフレイムアロー、光魔法のサンダーボルト。
氷牢は氷の檻を出現させて相手を捕らえる単純で効果的な中級魔法。そしてエアカッターとサンダーボルトは、それぞれの属性の下級魔法で、正直弱い攻撃魔法だ。でもその代わり、とてもスピードの速い魔法なんだよね。
だからとてもじゃないけど、氷牢から抜け出そうとしていたら対処は間に合わない。そしていくら弱いとは言っても当たればただでは済まない。なので当然伯爵は、氷牢から脱出するよりも先に攻撃魔法への対処を試みた。
「くっ、魔法障壁!」
魔法障壁は、自身に魔法を防ぐバリアを纏わせる光魔法だね。当然万能ではなくて、自分が使用した以上の魔力を込められた攻撃は防げないし、物理攻撃も防げない。
でも、今回私はフレイムアロー以外はかなり弱く魔法を放ったので、簡単に無力化出来るはずだ。だけど、私の狙いは伯爵ではないんだよね。
私が今回使った中で、一番速度が遅いのはフレイムアローだ。なので伯爵がエアカッターとサンダーボルトを防御し終えた後のタイミングで着弾する。
だからこそ、伯爵は気付かなかった。当然フレイムアローも自分に向かってくるものだと勘違いした。しかし、私が狙っていたのは伯爵ではなく、氷牢。
フレイムアローは、私の狙い通りに氷牢に直撃した。最初から伯爵のことを狙っていなかったそれには、たっぷりと、それこそ中級魔法である氷牢を液体を介さずに一瞬で蒸発させてしまう程の膨大な魔力を注ぎ込んでいた。
その結果起きるのは、水蒸気爆発。
水は、液体状態から気体状態になると、体積がなんと約1700倍にまで増大する。例えば1リットルの水が一瞬で水蒸気になったとするなら、なんと1700リットル(一般的なお風呂の浴槽8杯分)にまでなるのだ。
当然、大爆発が起きる。水の体積の膨張に伴い、元よりそこにあった空気は押し出されて衝撃波となる。
しかもこれ、魔法現象じゃなくて物理現象だから魔法障壁では防げないんだよね。我ながら結構エゲツない作戦だよ、うん。
ドッゴォオオオ! と盛大な爆発を起こした氷牢から、もの凄い勢いで伯爵が吹き飛ばされる。直前に私が全力で物理障壁を伯爵に使っていなかったら、死んじゃってたかもしれない。それ程までに凄まじい威力の爆発だった。
私は駆け出した勢いそのままに、吹き飛んだ伯爵に飛び掛かって馬乗りになる。そして両手に作成した短剣を、クロスさせる形で伯爵の首の両側の地面に突き刺した。
逆手に持った短剣をちょっと動かすだけで致命傷を与えられるこの状況、正にチェックメイトだね。一応短剣の刃はなまくらにしておいたから、万が一にも傷は付けられないんだけど。
伯爵は何が起きたのか全くわからないというように目を白黒させ、そして両手を挙げて降参のポーズを取った。
「私の負け、ですね。アリスさんは攻撃魔法を使った途端に、これ程までに強くなるのですね。感服しましたよ」
「いえ、私なんてまだまだですよ。……ってごめんなさいぃ!?」
アドレナリンがドバドバ出ていたせいで全然気にしてなかったけど、私今伯爵に馬乗りになってたよ!?
完全にやり過ぎた、これは誰がどう見ても立派な不敬罪。チラと横を見ると、真っ青な顔をしたカミラちゃんと目が合った。
私は冷や汗をダラダラと流しながら、闘技場に仰向けに倒れこむ。もう、限界です……。
こうして初めての模擬戦は、勝負には勝ったけれど、メンタル面で完膚なきまでに叩きのめされる散々な結果となったのだった。