第四十二話 終幕
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「そ、そんな馬鹿な……! これは僕の、いや、闇属性で最強の魔法なのに!!」
目の前で癇癪を起こした子供のように地団駄を踏んでいる"怠惰"の姿は実に滑稽だ。
私がした事は単純。ありったけの魔力を込めた『ライト』を発動することで、膨大な闇のエネルギーを中和しただけ。
"怠惰“が使ったのは『消滅』という闇属性最強クラスの魔法で、それに触れたものは例え勇者であろうとも素粒子すらも残さず消し去ってしまうという禁忌の魔法。
ただし消滅させられる物質の量は使用者の魔力総量に依存する。つまり、彼の魔力量が私のそれより少なければ対処は容易だったのだ。
尤も、そのせいで私もこれまで温存してきた魔力と加護の力を全部使う羽目になったんだけどね。勿体ないことこの上ないけど、背に腹は変えられない。
「これが現実なんだよ。さて、覚悟はできてるかな?」
散々人を操ったり記臆を操作したりして、人の心を弄んできた"怠惰"のピグロ。
この先、彼が人の心というものを理解する日は来るのだろうか?
「い、嫌だ……! 嫌だ嫌だ嫌だ!! 来るな化け物がァ!!!」
私は魔力不足になって無様に地面を這う"怠惰"の頭を掴み、残された僅かな魔力を流し込んでいく。
「目には目を、歯には歯を。自分がした仕打ちは、その内ちゃんと返ってくるものなんだよ。……さよなら、ピグロ。次の人生では、もうちょっと人の心が分かるといいね」
「やめろぉおおおおおお!!!」
魔法起動、『記憶消去』。この瞬間、"怠惰"のピグロは全ての記憶を失った。
私は反動で意識を失ったピグロに『キュア』で痛み止めをしつつ、一度顔を焼いてから『ヒール』を施す。
こうしてピグロは記憶だけでなく顔形まで変わり、完全な他人として生まれ変わることとなったのだった。
「終わったのね」
「うん、終わった。彼はもうピグロじゃない、ただの魔人になった。"猟犬"達も洗脳を解かれているだろうし、一件落着だね」
……でも、ちょっとやりすぎなんじゃない?
そんな心の声も聞こえてくる。記憶を完全に消去してしまったということは、ある意味殺してしまうのと同義だと思うから。
けれど、彼はこれまで敵味方問わず数多くの人々の心を操ってきた。洗脳が解かれた今、彼に恨みを抱く者は相当多い筈だ。
そんな彼を、ここで放ったらかしにしたらどうなる? 魔力切れでまともに動けない彼が報復される可能性はすごく高いと思う。
そして彼は魔王に心酔し過ぎていた。魔王の為なら命だって投げ出すだろうし、見捨てられれば自殺してしまうかもしれない。
更に私達が仮に魔王と明確に敵対したのなら、絶対に立ち塞がるだろう。そうなったら、その時は本当に殺さなければならないかもしれない。
そうならない為に仕方なかった。そう自分自身に言い聞かせても、やっぱり胸がモヤモヤする。
「……はぁ、アリス姉さんは優しすぎるんです。自分の胸に穴を開けた相手なんですよ? 因果応報とも言えます」
「まあ、そうなんだけどね。……本当、人の心って難しいな」
「そりゃそうよ。それが簡単に理解できて分かり合えるなら、戦争なんて起きないんだから」
まったく、その通りだよ。
私は溜め息を吐いて思わずこめかみに手を当てる。もしかしたらこういうのを煩わしく思った時、魔族は洗脳魔法に手を染めるのかもしれないね。
「あ、こっちも片付いたんだね。お疲れ様お兄……、アリス」
「あ、さく……、キルシュも終わったんだ。お疲れ様」
気付いたら、すぐ側のボロボロに崩れた教会の瓦礫の上にさくらが立っていた。その横には、申し訳なさそうな顔をしているオイゲンさんの姿もあった。
「オイゲンさんも、無事に記憶が戻ったようで何よりです」
「あー、本当にすまなかったな。オレとした事が不甲斐ない姿を見せてしまったな」
「それにしても、人の心というのは本当に強いものなんですね。完璧に記憶を消されたはずなのに、こうして思い出す事が出来たのは本当に奇跡的です」
「ウチら家族の絆は魔法なんかに屈しないってことだね!」
「え、でもキルシュも最初は絶望していたような」
「う、うるさいわね! アンタ達だってアリスが記憶無くしたら辛いでしょ!? ……ああごめんって、そんな泣きそうな顔しないでよ!」
あー、耳が痛い。キンキンする……。まったく、女の子三人集まれば姦しいとはよく言ったものだね。絶対言えないけど。
私が耳を塞ぎながらそっと後退りしていると、いつの間にか側に来ていたオイゲンさんと目が合った。
「さっきな、キルシュから聞いたんだ。今回の件、お前がいなければオレは記憶を取り戻す事が出来なかった。本当にありがとう」
「気にしないでください。オイゲンさんはキルシュのお父さんなんですから、助けようと思うのは当然のことなので」
「思うだけならな。だがお前はそれを実行に移した挙句、魔王様直属の配下までも討ったんだ。そこまでして当然って言われちまうと、むしろ辛いくらいだぜ」
「そうかもしれませんね。それに結局、オイゲンさんを助けたのはキルシュですしね」
「あの娘を焚き付けてくれただけで有り難いのさ。あの娘はあれでかなり繊細なところがあるからな。いつもは傷付いたら中々立ち直れないんだ」
流石はお父さん、さくらのことよく分かっているね。これが、親というものなんだろうか。
「私、そういうのが得意みたいなので。もしかしたら、詐欺師の才能があるのかもしれません」
「お前が詐欺師……? がははは! 似合い過ぎるな!」
「え、私そんな顔してます?」
と、そんなくだらない方向へ話が逸れていってしまったので、私は後で話そうと思っていたピグロの今後について相談する事にした。
「それよりオイゲンさんに頼みがあるんです」
「……状況を見たら大体察したがな。続けてくれ」
散々記憶が何だと騒いでいる女の子が三人、気絶し倒れているかつての主人の姿。まあ、この状態なら察するよね。
だから私は回りくどい説明はせず、ただこう問うた。
「居候としてでも養子としてでもいい。記憶を失ったピグロの面倒、見てあげてくれませんか?」