第四十一話 キルシュ
「何無理してんだ、あの馬鹿……」
オレは溢れる涙を服の袖でゴシゴシ拭って無理矢理笑って見せる。
そうだよな、アイシャはそういう女だったな。
それならオレも、腹括らないといけないな。
「ありがとうよ、アイシャ。これで踏ん切りがついた」
オレはそれから『遺言』を持ってアイシャの墓に向かった。行ける日には必ず行っていたその墓だったが、それももう終わりだ。
彼女の願う通りに、オレはこれから幸せになると決めた。それなら、自分を縛り付ける過去とはある程度の決別をしなければならない。
だからオレはアイシャの墓前で宣言した。彼女が居なくても、幸せを掴んで見せると。そして今までも、そしてこれからもお前を愛し続けると。
「だからよ、安心して眠っていてくれ。オレがそっちに行く、その日まで」
オレはアイシャが大好きだった桜の花束を添えて、墓を後にした。
それから数日後、桜舞い散る河原でオレはマリーに自分の想いを告白した。ここでフラれていたら実に惨めだったのだが、彼女は満面の笑みを浮かべて了承してくれた。
プロポーズしたのは、それから更に数年経った後の事だった。
仕事にも慣れ、この頃には"猟犬"で最強とまで言われる程になっていた。マリーとの同棲生活にもゆとりが生まれてきていたこともあり、そろそろ頃合いだと思ったからだった。
彼女はこのプロポーズにも満面の笑みで応えてくれて、無事にオレ達は結ばれた。
そんな最中の事だった。ピグロ様に両面宿儺を兵器として使うように指示されたのは。
あの日のトラウマが蘇り、当然そんな事は出来ないと猛反発していたオレだったが、気付いた時には既に血の海に立っていた。
「強い、強いよ両面宿儺!! これなら、これなら失望されなくて済む!! 魔王様は、きっと褒めてくれる!!」
意味が分からず暫くの間呆然と立ち尽くしていたオレは、子供のようにはしゃぐピグロ様の姿を見て何が起きたのかを察する事になった。
このお方は、人の記憶や想いを操る術に長けている。オレは間違いなく、この人に操られて両面宿儺を使ったのだ。
その証拠に、手に持つ勾玉は熱を持っていた。それは、両面宿儺を再度そこに封じたという事実を如実に表していた。
それでも怒りを覚えなかった当たり、やはりオレも洗脳されていたんだろうな。
それからというもの、味をしめたピグロ様の命令によってオレは戦場に出る度両面宿儺を使うこととなった。
その所為で、オレが両面宿儺の性質を深く理解する事になったのは皮肉なものだ。
そしてマリーと結婚してから数年経ち、オレ達は念願の第一子を授かった。
その娘は、不思議なくらいにアイシャに似た特徴を持って産まれてきた。不思議な事に薄らと生えた水色の髪と瞳は、そして桃色の瞳はオレとマリーどちらとも似つかない。
それでいてそのちょっと勝気な吊り目はオレにそっくりだし、スラっとした鼻の形とぷっくらとした可愛らしい唇はマリーにそっくりだ。
まるでオレとマリー、そしてアイシャ三人の子であるかのように感じられて一際愛しく感じられた。
そこでオレは、この娘に"キルシュ"という名を与えることにした。
その由来は、オレがマリーに告白した場所に咲き誇っていたあの花の名前だ。
そしてこの娘の瞳の色とそっくりで、アイシャが愛してやまなかったその花は、桜。
どうかこの娘には幸せになってほしい。オレはそう強く願った。そのお陰なのかは分からないが、それまで何を言われても全て頷いて実行してきたピグロ様の命令にも逆らえるようになっていた。
当然ピグロ様は良い顔をしなかったし、オレは何よりもマリーとキルシュの事が気になってしまい仕事に身が入らなくなってしまった。
そこでオレは、"猟犬"を辞める決意をしたのだ。
当然茨の道である事は理解していたものの、これまでに募ったピグロ様への不信感もあって辞めるという選択に迷いはなかった。
それからオレは、日雇いの仕事を細々とこなしながらキルシュを懸命に育てた。
彼女が大きくなってくると、今度は両面宿儺の扱いを徹底的に教え込んだ。
当然両面宿儺を使うような状況には陥って欲しくはないのだが、それでもオレはいつか死ぬ。そうなった時に正しい扱い方を知らなければ、また新たな悲劇を生むかもしれない。
キルシュはそれをオレも驚く程のスピードで習得していった。そして扱いのセンスもずば抜けていて、十歳になった頃には既にオレよりも上手くなっていた。
そして彼女が二十になった頃、家計を助ける為と言って志願兵になった。
両面宿儺を兵器のように扱うのは当然気が引けたものの、キルシュは完璧な不殺を貫いて見せた。ここまで完璧に制御されてしまえば、オレも文句は言えなかった。
その上気付いたらピグロ様と同列の地位についていたんだから、本当に驚いた。
……本当に、凄い子に育ってくれた。
強く、優しく、家族想いな可愛らしい我が娘。
キルシュはオレ達の誇りだ。
何よりも大切な、オレ達三人のーー。
「……すまない、キルシュ。オレは……」
「遅いわよ、バカ……。でも、おかえり。お父さん」
全てを思い出したオレは、キルシュを思い切り抱きしめた。もう二度とこの温もりを忘れないように、強く、強く……。