第四十話 テスタメント
その日から毎日、マリーはオレに話しかけてきた。どれだけ無視しても、構わず一方的に話してくる。
最初の内はそれさえもどうでもいいと思っていたが、あまりのしつこさに当時のオレも流石に耐えきれずに思わずこう問いかけた。
「……何故お前はオレに構う? オレみたいな罪人と語ろうとするなど、無価値だろうに」
すると、マリーはパッと花が咲くような笑顔を浮かべて鉄格子をガシャンと掴んだ。
「やっと話してくれたわねぇ! もしかしたら耳が遠いのかしらと心配していたのよ〜?」
「質問に答えろ。そうしないならば黙っていてくれ」
オレは苛立ちを隠さずにそう言って、驚いた。全てを無くし、感情をも無くしていたと思っていたオレが、確かに苛立っていたのだ。
オレにもまだ、感情は残されていたのだ。
「だってぇあなたの目、罪人のものではないもの。その目は全てを奪われた人の目よぉ。そしてその苦しみから逃げるために、亀さんみたいに殻に閉じこもってしまっているの」
オレは今度こそ目を見開き、鉄格子を掴むマリーの小さな手を潰してしまいそうになるほど強く握りしめた。
「な、何を戯けたことを! オレはただ……!」
「それならあなた、今の自分の感情を言葉に出来るのかしらぁ?」
相当強く握りしめたからか、ボキリと骨を折る音が手元から聞こえた。しかしマリーは、それがどうしたと言わんばかりの涼しい顔でオレを見据えていた。
「出来ないのでしょう? だから殻を破りなさい、オイゲン。あなたの中に眠る想いを、そして真実を教えて欲しいの」
「……何故だ。何故お前はそんな事を言うんだ? オレはただの罪人で、お前はただの看守だろう」
オレには分からなかった。何故マリーはあんな事を聞いたのか。真実は兎も角、彼女からすればオレは何十人もの親族を殺害した極悪犯でしかないはずなのに。
そんなオレの困惑を知ってか知らずか、マリーはあどけない顔で笑ってこう答えた。
「あたしが知りたいからよぉ。それに、冤罪で何十年も牢屋に閉じ込めるなんて、看守として嫌だと思うのは自然な事だと思うわよぉ」
「……何故冤罪だと言い切れる。オレがただ無気力だから、お前の目にそう写っているだけかもしれないだろうに」
「それはないわぁ。あたしがこれまで何人の囚人を見て来たと思ってるのぉ? これでも見る目には自信あるのよぉ」
オレはその時のマリーの笑顔に、大きく心を動かされた。それまでは錆びついていた時が再び動き出すような、そんな感覚を覚える程に、オレはこの時のマリーの笑顔に惹かれたのだ。
暫く呆然としていたオレは、自分が握るマリーの手がボロボロになっている事に気付いて慌てて手を離した。
彼女は吸血鬼のような特殊種族では無いから、当然骨を折られた痛みは大の男でものたうち回るほどのものだったろう。
そんな状況で、どうして冷や汗一つかかずにあんなにも綺麗な笑顔を浮かべられたのか。
この人は、オレなんかよりもずっと強い。図体ばかりデカくなって、腕っ節が強いだけのオレとは全然違う。
……彼女なら、オレが抱えている痛みを受け止め、理解してくれるかもしれない。そう思った。
翌日、マリーはいつも通りの時間に夜勤の看守と交代する形でやって来た。ポーションを使ったのか、手の骨折は完治していてホッと胸を撫で下ろしたのを良く覚えている。
「こんにちはぁ。ねえオイゲン、話してくれる気になった? あなたの真実を」
マリーは子供のように溌剌とした笑顔でそう尋ねて来て、オレは今度こそ全てを話した。
涙を流し、顔をぐしゃぐしゃに歪めながら、十年以上抱え続けていた想いをマリーにぶつけた。
無気力で無感情になってしまったと思っていたオレの心が、まだこれだけの激情を抱えているなんて自分でも気付かなかった。
マリーが言う通り、オレの心は錆びついていただけなんだ。彼女が優しい笑顔で相槌を打つ度に、どんどん錆が落とされていくのを自覚する。
気付いたらオレは、マリーに背中を撫でられていた。
彼女が牢の鍵を開けて、オレの元に来てくれたのだと気付いた時には正直生きた心地がしなかったな。
禁錮三十年を言い渡される程の大罪人が収監されている牢なのだ。開けるなど前代未聞、逃げ出されでもしたら彼女の方が極刑に処されてもおかしくない。
オレは慌ててマリーを担いで牢の外に出し、鍵を閉めるように言いつけた。彼女は渋々承諾してくれたものの、本当に命知らず過ぎる。
それからオレは一時間くらい説教した。その時の何故だか嬉しそうな彼女の笑顔を見て、多分オレも説教しながら笑っていたように思う。
そんな騒動から一週間も経たずして、オレは再度裁判に掛けられることになった。マリーが裏で動いてくれたんだろうが、この時は本当に驚いた。
そしてオレはその裁判で、初めて真実を話した。
両面宿儺の封じられた勾玉は押収されていたものの、封印の解き方を知る者が居なかったから大事に至らなかったのだろう。
そこに両面宿儺が封じられていると言ってもすぐには信じて貰えなかったが、自白剤を飲まされて尚主張を変えなかったことから最後には皆納得したらしい。
結局オレはそこで一転無罪となり、牢から出される事になったのだった。
しかし、牢から出たところでオレに行く宛なんか無かった。家は大破し、親族の生き残りは一人もいない。
十年以上牢屋に入っていたことで外の環境も大きく変わっていたから、職すらまともに探せない始末だった。
そうして路頭に迷う羽目になったオレを助けたのは、またしてもマリーだった。
彼女は伝手を使って"猟犬"という仕事を斡旋してくれた。オレはマリーに返し切れないほどの恩を受けたんだ。
それと同時に、この時オレはどうしようもないくらいに彼女に惚れてしまっていた。ここまでされて惚れない男がいるだろうか?
だがオレにはアイシャがいた。マリーを好きだと思うと同時に、アイシャを想う気持ちも決して消えてはいなかったんだ。
それに、オレのせいで死んでしまった彼女の墓前で別の女を好きになったなんて口が裂けても言えない。
そう、思っていたのに。
"猟犬"になってから数ヶ月程経った頃だった。オレの元に、アイシャの両親から手紙が届けられたのは。どうやらオレが無罪だとして出所した事を知って送ってくれたらしい。
それにはたった一言、「アイシャの想い、受け取ってください」とだけ書かれていた。
どういうことかと不思議に思っていたオレの頭に、突然懐かしくも愛おしい声が響いた。
それは、アイシャの『遺言』だった。
彼女はいつ自分が死んでもいいようにと、最期の言葉を残していたのだ。
「(あー、あー、聞こえますか? 私です。アイシャです。やだ、なんか緊張するなーこれ。でも早く言わないとね、時間制限あるし。
えーっと、ありきたりだけどこの台詞から。オイゲンさん、アナタがこれを聴いている時、私はもう死んでいると思います。
つまりアナタは一人残されてしまったのです。もしかしたら、私がいなくなってすっごく悲しんでるかもしれないね。泣いちゃってるかもしれない。挫けちゃってるかもしれない。
そしてそんなアナタを救ってくれるような、素晴らしい人と出会っているかもしれない。
もしアナタがそんな運命の出会いをしたなら……、ううん、していなくてもお相手をちゃんと探して幸せになって欲しいなって思う。
だって、私にとって一番大事なのはアナタが笑顔でいることなんだもん。
アナタの事が好きで好きで堪らないからこそ、私はアナタの幸せを願わずにはいられないの。
だから、私に遠慮せずに幸せになってね。
私のせいでアナタが一生不幸でい続けるなんて絶対、ぜーったい嫌だもん!
……勿論、そんな時が来てほしくないっていうのが本音だよ。私がずっと隣にいたいよ。そんなの当たり前なんだよ。
でもこ、それにさっきまでつらつら言ったことも全部嘘偽りない私の本音なんだよ。
……あ、もうそろそろ時間切れだね。
じゃあね、オイゲンさん。また来世で会いましょう!
アイシャでした! バイバイ!)」