第五話 嫌な予感は的中するもの
お貴族様、マナー、不敬、死罪。そんな言葉がぐるぐると頭の中を巡って倒れそうになる。
……完全に油断した。あまりにも久しぶりに、あんなに美味しいフィナンシェなんて食べたものだから気が緩んでしまった。
私がどう謝罪を切り出そうかと頭を悩ませていると、ニーナ様がクスリと笑うのが聞こえた。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですわよ。こんなことでいちいち不敬だーっと騒ぐほど、私達の器は小さくありませんのよ?」
「そうですね。我々としても、御客人にあれだけ喜んでもらえたのならば光栄というものですよ」
「その通りですわ。わたくし達貴族は民の血税で生活しているのですから、民に尽くすのは当然なのですわ。……むしろそんな大切な事も忘れて、民を侮辱する狭量で浅はかな貴族が存在することの方が問題なのです」
ニーナ様はベルマン子爵達のことを思い出したのか、プンスカと可愛らしく頬を膨らませた。
それから二人は私達の正面のソファに腰掛け、メイドさんに差し出された紅茶を一口だけ飲んだ。そしてメイドさんにそのお手前を褒めてから席を外させた。
「改めまして、フェルディナント・フォン・ハノーヴァーです。ハノーヴァー領の領主であり、国王陛下より伯爵位をいただいております。娘のニーナについては、既にご承知のことと思いますので、紹介は省かせていただきます」
「よ、よろしくお願いいたします! 私はアリスと申します。この地より南方に位置する、名もなき村の出身です」
「わた、私はカミラと、申します……。こ、孤児でして、その、この【カルムの街】の孤児院に住んでいます。な、なので、ビアンカ様にはとても感謝しておりますと、お伝えください」
ハノーヴァー伯爵のご挨拶に続いて、私とカミラちゃんも噛み噛みながらなんとか身の上を伝えることができた。相手が超絶完璧イケメン領主様(伯爵)だから、緊張が半端じゃないよ。
というか、ここカルムの街っていうんだね。今の今まで全然知らなかったよ。
「そうか、ではそのドレスはビアンカが寄付したものだったのですね。とてもよくお似合いですよ。ビアンカには、私から伝えておきましょう」
「あ、ありがとうございます。よろしくお願いします」
カミラちゃんがそうお礼を言うと、伯爵は爽やかに微笑んだ。……あれは、完全に女性キラーだね。悲しいかな私には全然効かないけど、カミラちゃんは顔を真っ赤にしてるよ。
それから私達は伯爵に勧められるがままにケーキと紅茶を楽しんだ。ケーキ用のフォークは、さっきメイドさんが紅茶を持って来てくれた時に一緒に置いていたようだった。フィナンシェに夢中で全然気付かなかった。
そして勿論、ケーキも最高に美味しかった。私はショートケーキとモンブラン(この世界に栗はないようなので、代わりに芋が使われていた)を食べたんだけど、どっちも筆舌し難いほどの美味しさで、頬が緩むのを必死に抑える羽目になった。
どれだけ美味しくても、お貴族様の前で二度も緩んだ顔を見せるわけにはいかないからね。
でも、伯爵とニーナ様が私たちを見る目がまるで孫を見るお婆ちゃんのような温かい眼差しで、ちゃんと隠せていたかは正直怪しいものだったけれど。
そして、その場の全員がケーキを食べ終えた頃。伯爵が遂に、本題を切り出した。
「さて、雑談はこれくらいにして、本題に移りましょうか。ニーナ、説明よろしく」
「良いですけれど、自分ですればよろしいですのに」
謎の押し付けにニーナ様は伯爵をジト目で睨んでから、改めて私達の方に向き直った。
「では単刀直入にお聞きしますわ。まず、アリスさん。貴女は前代未聞の五属性適正という結果が出ましたが、実際は検査をする前からそのことを知っていたのではないかしら?」
「えっ? あ、はい、知っていましたけど……」
ニーナ様の質問の意図が分からなくて、思わず首を傾げてしまう。まあ確かに、私はそもそも五属性に適性があることは知っていたし、だからこそ検査の時には全然リアクションが取れなかったんだけど。
でも、どうしてそれを今聞くんだろう?
「やはり、そうでしたのね。では次の質問です。自身の適正をご存知ということは、既に魔法を使うことが可能なのでしょう? ではどの程度まで魔法を操ることができるのでしょうか?」
「どの程度、という表現は難しいのですが、初級から上級までは一通り使えます。……私にはどうしてもやらなければならない事があるので、その為に二年前から毎日練習してきましたので」
私がそう事実を答えると、伯爵とニーナ様は驚いたように顔を見合わせた。まあ、魔法学校にも通っていない7歳の田舎娘が既に魔法を使えるなんて、驚きもするよね。
ふと横を見るとカミラちゃんまでもが目を見開いてこっちを見ていた。そんな珍獣を見るような目で見られると、なんともフクザツな気分になるよ。
「まさかその歳で魔法を使えるのみならず、上級魔法まで扱えてしまうのですね……。それではカミラさん、貴女はどうでしょうか。魔法を扱うことはできますか?」
「わ、私はまだ何も使えません……。あんなに適性があっただなんて、思いもしませんでした」
成る程、カミラちゃんはあれだけの魔力と適正があっても魔法を使ったことはないんだね。
……それもそうか。私だって、あんな目に遭わなければ使うこともなかっただろうしね。
「ふむ、それでは迷う必要がないな。アリスさん、申し訳ないのですが少し付き合っていただけませんか?」
私とカミラちゃんの答えを満足気に聞いていたハノーヴァー伯爵は、まるで玩具を買ってもらおうとおねだりしている子供のような、期待に満ちた眼差しを私に向けて来た。なんだろう、すごーく嫌な予感がする。
しかし相手はお貴族様、私にできるのはイエスと答える事だけなんだよね……。
「か、構いませんが、一体何を?」
「そう難しいことではありませんよ。ついて来てください。カミラさんも、一緒に来てくれますか?」
「「は、はい……」」
こうして私とカミラちゃんは、ニコニコと嬉しそうに微笑む伯爵と、少し困ったような顔で苦笑しているニーナ様に連れられて屋敷の中庭にやってきた。
そこは表の庭と違って緑はなく、地面には飴色の砂が敷き詰められ、端の方には木剣やら木槍やら鎧やらが立て掛けられた武具置き場がある。
フットサルコートを二回りくらい大きくしたくらいの面積を誇るその場所は、正に訓練場もしくは闘技場と呼ぶに相応しい造形だった。
……嫌な予感、的中かも。
「アリスさん、もうお気付きかもしれませんが、私のお願いとは、貴女と手合わせをしたいというものです。改めて、よろしいでしょうか?」
だから、そんなキラキラした笑顔でサラッとエグいこと言わないで! しかも私はイエスとしか言えないんだからさ!
「……はい、大丈夫です」
「え、ええアリスさんいいんですかぁ!?」
「はぁ……、本当にごめんなさいね。お父様、ああ言い出すと止まらないんですの」
カミラちゃんが驚いたように叫び、ニーナ様がやれやれと頭を抱える。私も頭を抱えたい、というか逃げ出したいくらいだよ……。
「ルールは簡単。剣を使うも良し、魔法を使うも良し。ただし、トドメを刺す場合には寸止めでお願いします」
伯爵はそうニコニコと笑いながら、木剣を差し出してきた。私は、なんとか笑顔を保ってそれを受け取る。絶対引き攣っていた自信はあるけど、もうそんな体裁ばかり気にしている余裕はない。
相手はお貴族様。例えヒールで治療しようと、傷を付けただけで平民なんてあっさり断頭台送りになってしまう相手だ。
今回の模擬戦はあくまで伯爵が主催しているからそんなことにはならないけど、正直メンタルやられます。
「さて、それでは始めましょうか」
そう言って伯爵は、腰に差していた綺麗なレイピアを抜いた。
……それ、真剣じゃないですかね?
こうして私は、この街の領主様たるハノーヴァー伯爵と、剣を交えることとなるのだった。