第三十六話 宣言
次の瞬間、私の目の前に"怠惰"の顔が現れた。そすてニヤリと口を三日月型に開き、私の顔を掴もうと手を伸ばしたところで横から残像が見える程にの鋭さで剣が振り抜かれた。
それは確かに"怠惰"の首を刎ねたかのように見えたけれど、斬られたはずの彼の姿は次第に霞のように消えていった。
「有栖君、大丈夫!?」
そしてすぐに芹奈ちゃんが駆け寄って来てくれて、私に『キュア』を施してくれた。
お陰でなんとか立てるようになったけど、そもそも私には一体何が起きたのかさえも掴めていない。
これが本物の魔王の配下の実力……。あのレオも、本体は同じくらいの強さなんだろうか?
いや、余計なことは考えるな。今は目の前の敵に集中しないと。
「へぇ、あの一撃を退けるとは流石勇者だな。あちらさんもおっ始めたところだし、オレ達も始めるとするか」
「望むところよ。絶対に、ウチの事思い出させてあげるんだから!」
そして同時にさくらとオイゲンさんの打ち合いが始まって、教会内に甲高く連続した金属音が響き渡る。
「あ〜あ、面倒臭いなぁ。僕の攻撃は避けられちゃうし、オイゲン君は五月蝿いし、早く帰りたいなぁ。ふぁ〜あ」
いつの間にか元いた祭壇の上で寝転んでいた"怠惰"は、相変わらずの調子でポリポリと頭を掻いて欠伸している。そんなに帰りたいならどうぞ帰って下さいと言いたいところだけど、それでオイゲンさんを連れ帰られるのは困る。
そして彼の言葉を聞いたらしいオイゲンさんが、さくらの拳を躱した勢いのままに教会から飛び出した
さくらもそれを追って行ったので、完全に分断される形になってしまった。
尤も、どうせさくらは"怠惰"には一ミリも興味を示していなかったし、目的が違うからいいんだけどさ。とにかく、オイゲンさんを注意しながら戦う必要が無くなったのは有難い。
しかしあの謎の力は一体何だったのか……。そう思っていると、カミラちゃんが寄ってきて"怠惰"に聞こえないように私の耳元でこう囁いた。
「アリス姉さん、気を付けてください。"怠惰"の言葉は全て"言霊"になっているみたいです。私は封魔の杖を持っているので影響はありませんが、アリス姉さんとは相性が悪いかもしれません」
"言霊"って、言葉に霊力を乗せることでそれを具現化させるっていう……。
でも霊力なんてこの世界に来て聞いたことないし、そこは別の力を使っているのかもしれない。
「でもわたしは一度も食らってないわよ?」
「そこは勇者の謎ぱわーのお陰じゃないですか?」
「え、何それ欲しいんだけど。芹奈ちゃん、私にそのぱわー分けて欲しいなぁ」
「いやいや、わたしにも何でなのかさっぱり分からないのよ。"世界眼"でも自分の事は良くわからないし」
それは残念だけど、こうなると今回私はやっぱり戦力として数えない方がいいかもしれない。
まあ、"怠惰"が殺そうとしている標的である以上、何もしない訳にはいかないんだろうけど。
「隙ありぃ。はい、取ったよ〜」
そうやって私達が作戦会議していた時、突然私の背後から声がそんな声が聞こえてきて、また意識が飛びかける。
油断しているつもりは無かったし、私達は常に"怠惰"から目を離さずに話していた。それなのに、まるで最初からそこに居たかのように彼は現れた。
それだけじゃない。そもそも"怠惰"はまだ祭壇の上に座って……。
「まさか……、分身……?」
足の力が抜けて倒れ込みそうになった私だけれど、何故かそうはならなかった。まるで、誰かに支えられているように……。
「……え?」
私はジクジクと痛む自分の胸元を見て、目を見開いた。
そこには、腕があった。
背後に現れた"怠惰"の腕が、私の胸を貫いていたんだ。そしてその手には、私の魔石が掴まれている。
「魔王様が警戒するからどんなものかと思ったけど、弱いねぇ君。ねえねえ、今僕がこれを握り潰したらどうなっちゃうのかな? 死んじゃう? 吸血鬼なのに死んじゃうの?」
まるで無邪気な子供のようにはしゃぐ"怠惰"。誰が見ても私の敗北は間違い無いだろうと思うだろうこの状況。
だけどね、それはちょっと甘いよ。
「誰、が……。死んじゃうって?」
私は即座に自分の身体を放棄して、彼の持つ魔石を使って再生する。それと同時に"紫炎"を抜いて"怠惰"の首を一閃、今度は確かな手応えと共にその首を斬り落とした。
「ぐうぅ……! い、今のは何? どうして僕の首が……!?」
さっきまで眠そうだったり勝ち誇っていたりと情緒不安定だった"怠惰"だったけど、今度は分かりやすく苦痛の表情を浮かべていた。
祭壇の上で首を摩っている彼の様子を見るに、分身へのダメージもちゃっかり本体に入るみたいだね。
流石は実態のある分身を作り出すなんて強力な力、代償もちゃんとあるんだね。
そして今の攻撃によって、彼は私に色々な事を教えてくれた。もうこれで、負ける事は無いかな。
「えーと、ピグロだっけ? 貴方の攻撃、完全に裏目に出たのでよろしくね」
「僕の攻撃が裏目に? 冗談はその馬鹿げた能力だけにして欲しいんだけどなぁ」
"怠惰"は相変わらず言葉に力を乗せて、私の頭を揺さぶってくる。でも、もうそんなものは効かないよ。
それは彼にもすぐ分かったみたいで、慌てたように視線をぐるぐるさせながら私を指さして叫ぶ。
「ど、どうして僕の"言霊"が効かないのさ! 勇者でもないのに! さっきまでは普通に効いてたのにぃ!」
「うーん、確かに普通は防げないよね。でも考えてみればヒントはあったんだよ。魔力量が多くても、転生者でも防げない。でも、封魔の杖では無効化できる力。私、それ知ってるんだよね」
「あっ、アジ・ダハーカ様の加護……」
「カミラちゃん正解! そしてそれに気付きさえすれば、私は自由に加護の力を操れるからね。防ぐのも簡単なんだよ」
まあ、実際に気付いたのは"怠惰"に魔石を触れられた時なんだけどね。
私という存在を作り出している核でもある魔石は、体表よりも遥かに鋭敏だ。だからすぐに、私を襲った力が加護によるものだって分かったんだよね。
そして分かったのは、それだけじゃない。
「それから貴方、全然私達の事知らないでしょ? 私が加護を操れることも、魔石を取ったくらいじゃ倒せないことも」
「そ、そんなの当たり前……」
「じゃないんだよね。だって、あのレオは全て知っているんだから。つまり貴方達は、全く連携が取れていないんだね。戦いにおいて一番大切なのは情報だよ。それを蔑ろにしているようじゃ、勝てる戦も負けるのみ」
私はわざとらしくニヤリと笑い、宣言する。
「この勝負、私達の勝ちだよ。降参するなら今のうちだけど、どうする?」