第三十一話 猟犬
さくらのお父さんーー名前はオイゲンというらしいーーによると、どうやら"猟犬"というのは魔王の配下である"怠惰"が従える組織の事らしい。
自分で動くことのない名前の通り怠惰な主人に仕える、従順な僕。その半分はなんと魔物で構成されているというのだから驚きだ。
魔族は魔物を従えると以前お父さんに聞いたことがあるけど、これまで実際に会ってきた魔族達は誰もそんなこと出来なかったし、してこなかった。
おそらく、お父さんが言っていたのはこの"猟犬"のことなんだ。もしかしたら、両親が仲間を亡くした原因も……。
そんな"猟犬"の戦力は凄まじく、一人一人がAランク冒険者相当の実力を持ち、魔物もAランクがゴロゴロしているのだとか。
そしてそれをボコボコにしていたオイゲンさんの実力って、実はかなり高いってことに……。
まだまだ聞きたいことはた沢山あるけれど、そうも言ってはいられない。私達は黙って彼の言葉に耳を傾ける。
「"猟犬"の一番恐ろしいところは、その数の多さにある。そして当然数が揃えば、個々の得意分野も異なってくる。例えば諜報が得意な者、近接戦闘が得意な者、魔法が得意な者。それらが緻密に連携を取り合い、標的を追い詰める。仲間である分には最高に頼りになる存在だが、敵に回すと最悪だ」
「……仲間、ですか?」
「ああ。オレも昔、"猟犬"の一員だったからな。マリーがその身にキルシュを宿した時、オレは"猟犬"から抜けたんだ」
オイゲンさんが何でもないかのように言ったその一言は、衝撃的なものだった。つまりこの人は昔、"怠惰"の部下だったということだ。
そんな事、さくらは一言も言わなかった。だから多分オイゲンさんは、彼女にそれを伝えていなかったんだろう。
その理由は分からないけど、さくらの家が貧乏になった原因は分かった気がするよ。
あ、因みにマリーというのはさくらのお母さんの名前らしい。
「話が逸れたな。本筋に戻すぞ。"猟犬"を動かしているということは、"怠惰"はこの村に来ているはずだ。それを踏まえて今夜生き残る方法は二つ。一つは、今回どれだけの"猟犬"が放たれているかは分からないが襲いかかってくる者全てを殺す。二つ目は、"怠惰"本人を殺してしまうことだ」
「随分と野蛮な方法しかないんですね。逃げる事は出来ないんですか?」
カミラちゃんの主張は尤もで、無血で事が終えられるのならそれが一番なのだろう。けれど、オイゲンさんは首を横に振った。
「さっきも言ったが、"猟犬"には凄腕の諜報員がいる。どこへ逃げようとも確実に尻尾を掴まれるが故、時間稼ぎにしかなり得ない。そして"怠惰"は『テレポート』が使える。その意味が分かるか?」
またその魔法か……、と肩を落とす私達。『テレポート』には重い代償があるとはいえ、人間の領地、それも王都を直接攻めることが出来るほどのチート魔法の使い手がまた一人現れた。
そして魔王を裏切った形になった"嫉妬"を、家族諸共皆殺しにしようとしている。
もし仮にフォルトへ逃げたとしたら、その優れた諜報力を使っていつかそこへ"猟犬"と共にやってくる。そうなれば、フォルトの住民達にも迷惑がかかる、どころか犠牲者まで出かねない程の惨事を招くことになるだろう。
「それは厄介ね……。しかも『テレポート』を使う本人は全く動かないから、デメリットも有って無いようなものね」
「そうなんだよね。あのレオでさえ、自分の姿は晒していた。でも今度の相手は……」
「では、倒すしかないですね。その場合は"怠惰"本人を叩いた方がいいと思います。正直、諜報員を含めた隠密の達人を皆殺しにするのは難しいと思いますので」
皆殺しって、確かにやる場合はそうなるけど物騒な……、とか思っていたら、オイゲンさんが驚いたような声をあげた。
「おいおい、もしかして参加するつもりなのか? この圧倒的に不利な戦いに」
私はその意味が分からなくて思わず首を傾げて、それからなるほどと理解した。
そうだ、さくらには私達の正体までは明かさないように前もって言っておいたから、オイゲンさんは私達がどんな存在なのか詳しくは知らないんだ。
「それなら大丈夫ですよ、オイゲンさん。私達、結構強いので」
「だが……」
「心配してくださるのはありがたいですけど、本当に大丈夫ですよ。アリス姉さんは今回戦力外ですけどね」
訳がわからないと言うように目を回すオイゲンさんを尻目に、私達は早速準備に取り掛かった。
私は即座に土魔法で剣を作って芹奈ちゃんに渡しつつ"紫炎"を腰に差した。その脇で、カミラちゃんは封魔の杖を構える。それからさくらの家に『物理障壁』と『魔法障壁』を施して、準備完了だ。
今回の魔法は全部加護からの変換だから、『転移門』に必要な魔力には手をつけていない。それに、残った加護でも身体強化をするくらいなら問題ないから、魔法攻撃を使わない戦闘には参加できる。
「その動き、確かに強者のようだが……。キルシュの命を救ったことといい、君達は一体何者なんだ?」
「そうですね、あの子の家族に隠す意味はないので話してもいいんですが……」
私はそこで言葉を区切り、背後に土魔法で作った短剣を投擲する。
その瞬間、汚い断末魔の叫びと共に蝙蝠のような身体をした一つ目の魔物がその身体を切り裂かれた。
見た感じ、偵察型の小型魔物だと思う。
「この場所は気付かれてしまったみたいですね。私達はこれから打って出ることにします。オイゲンさんはどうしますか?」
「……あのゲイザーを一瞬で仕留めるとは、実力は本物か。オレはこの家を離れるつもりはない。家族を守るのが、亭主たるオレの責務だからな」
「でも"猟犬"って沢山いるんでしょう? 一人で守り切れるの?」
「なんとかなるだろう。"猟犬"は隠密部隊だから、陽のある内は襲ってこない。つまり、一晩耐えるだけでいいんだ」
いやいや、オイゲンさんも元"猟犬"だったなら実力差はそんなに無いだろうから難しいんじゃないかな?
あ、でもさっきは一方的にボコボコにしていたし、これは一体どういうことなんだろう?
「戦闘力だけで言えば、オレは当時"猟犬"最強を誇っていたからな。今の組織がどうなっているかは分からんが、そうそう遅れは取らないさ。それに、ここで戦うのはオレ一人じゃない」
オイゲンさんがチラリと背後を見ると、その方向からガチャリと扉が開く音がして、何者かがこちらへ向かう足音が夜闇に響く。
「あーあ、もっとピンチになってから助けに来ようと思ってたのに。いつから気付いてたの?」
「最初からだな。お前はいつまで経っても気配を殺すのが下手だよな」
「五月蝿いわね。ウチはそういう細かいことは苦手なのよ」
現れたのは、仏頂面をしたさくらだった。確かに今のさくらなら、扱いに困る両面宿儺を使わなくても十分過ぎる程の戦力になるけど……。
「分かりました。それならこの場は二人に任せます。ですが最後に一つだけ確認させてください。……オイゲンさん、貴方は自身が、そして私達がかつての仲間を手に掛けることをどう思っていますか?」
私がそう問うと、彼は少し寂しげな表情を浮かべる。
「確かに心は痛む。だが、オレはいつかこんな未来が来るかもしれないと覚悟した上で"猟犬"を出た。つまり、もう何年も前から覚悟は出来ている」
「……分かりました。では私達も、皆を守る為遠慮はしません」
私は遠くから迫って来る足音に耳を傾けながらそう言って、腰に差した"紫炎"の柄に手を添える。
「カミラちゃん、芹奈ちゃん。準備はオーケー?」
「はい、いつでも行けますよ。魔力も普段以上に蓄えましたしね」
「わたしもオッケーよ。久しぶりの対人戦だから、ちょっと緊張してるけどね」
「了解。それじゃあさくら……、じゃなくてキルシュにオイゲンさん。ここはお願いしますね」
「分かったわ。お兄……、アリスも無茶しないでね」
私達は頷き合い、そして闇夜に向かって駆け出した。
さて、一丁暴れてやりますか!