第三十話 夜の番人
その日の晩、私達はさくらのお母さんお手製の料理に舌鼓を打ちながら、改めて計画について説明した。
さくらのお父さんもその計画を快く受け入れてくれたので、何事もなければ明後日に決行することになった。
そして今晩もさくらだけ実家に残り、私達三人は宿へと帰ってきたのだが……。
「ねえ有栖君、気付いてる?」
「残念ながら、気付いてるよ。思ったよりも早かったね」
私は心の中で舌打ちをしながら、カーテンの隙間から外をチラリと覗く。
そして見えるのは、目元まで深く隠れるフード付きのローブを着た怪しい連中の姿。彼らはコソコソ隠れながらこちらの様子を伺っているみたいだ。
「しかしアリス姉さんの魔力を回復する時間を考えれば、出来るだけ姉さんは戦闘に参加しない方が良い状況ですし、今動かれるのは煩わしいですね」
カミラちゃんも苦虫を噛み潰したような顔で、忌々しげにそう零した。
そう、それが目下一番の問題なんだ。
敵の戦力は分からないけど、もし仮に七つの大罪の名を冠するレベルの相手が来てしまったら、私も戦闘に参加せざるを得なくなるかもしれない。
もしそうなったら魔力を出し惜しみする余裕は無くなり、計画を実行に移すタイミングが遅れてしまう。
そして遅れれば遅れるだけ、さくらの両親が危険に晒される可能性が高くなる。既に街に敵が入り込んでいるのだから、事態は一刻を争うものと考えた方が良いだろうし。
「二人ともよく聞いて。これからさくらの家に向かうけど、単独行動は禁止だよ。本当は手分けしたいところだけど、相手が魔王の配下の可能性があるからね。慎重にいこう」
「分かりました。移動手段はどうしますか?」
「私とカミラちゃんは"影使い"で。芹奈ちゃんは……」
「わたしは『影移動』で着いていくわ」
「えっ、私その魔法は教えてない気がするんだけど……」
「前に有栖君が使った時に"世界眼"でちょちょっと解析したのよ。でも詠唱句が分からなくて使えなかったんだけど、それも必要無くなったからね」
ゆ、勇者恐るべし……。もしかして私、世界で一番無詠唱魔法を使えてはならない人にやり方を伝授しちゃったのかも?
何度も影に入っては出てを楽しそうに繰り返す芹奈ちゃんを見ながら、私は勇者という存在の凄さを再認識したのだった。
「それでは行きましょうか。アリス姉さん、先導お願いします」
「了解。二人とも、遅れないで着いてきてね」
私達は彼らが宿の中に入り込んでいることも想定して、常に影の中に潜りながら宿を出た。
幸い今日は満月。月明かりによって影が出来ているから、スムーズに移動することが出来た。
それでも所々影は途切れてしまっていたので、そこでは私とカミラちゃんが"霧化"して別の影に移動した後、自作した火属性魔法『蜃気楼』で芹奈ちゃんの通る道を覆って彼女の姿が見えないようにした。
これくらいの魔法なら、加護を変換した魔力で十分賄えるからね。流石に宿からさくらの家までずっとって訳にはいかないけど。
そうして、やっとの思いでさくらの家近くまでやって来たその時だった。
私達が潜っている影に突然何かが降ってきて、グシャッと嫌な音が響いた。
そして漂う濃密な血の匂い。よく見えないけれど、これは確実に死体だ。
今の私達には声帯が無いから声は出なかったけど、影に潜ってなかったら絶対に声をあげていたと思う。
さくらの家の前で、既に何かが起きている。私達は急ぎ向かって、そして見た。
「ウラァアアア!!!」
慎重二メートルはありそうな見覚えのある細マッチョが、巨大な斧を振り回して彼に群がる魔族や魔物を次々と屠っているのを。
そしてそんな彼の顔が、メチャクチャダサいマスクに隠されているのを。
「(アリス姉さん、あの人って……)」
「(うん、さくらのお父さんで間違い無いと思う。めっちゃダサいマスク被ってるけど)」
「(え? プロレスラーみたいでカッコいいと思うけどなぁわたし)」
「(芹奈ちゃん、それは流石にセンス無い……、っていうかしれっと『念話』に割り込んでこないでよ。ビックリするから)」
「(いいじゃん、折角解析出来たんだし。本当、"世界眼"って便利よね〜)」
「(完全に一人だけチートを導入してるよ。本当、なろう小説のチート持ち主人公みたいで羨ましいよ。私は毎度毎度ボコボコにされてるのにさ)」
「(あー、有栖君。あなたも気付いてないだけで十分その素質あるからね? 特にあっちの意味で)」
「(あっちって何?)」
私達は『念話』でそんなことを話しながら、恐る恐る彼の近くの影まで移動した。
するとその瞬間、私達の潜っている影に巨大な斧の柄が突き立てられた。
影に潜ってるからノーダメージだけど、もしかして私達気付かれたの? しっかり気配を殺しつつ影に潜って近づいたのに?
「そこにいるのは分かっている。出てこい」
そしてかけられる、ドスの効いた低音に、私達は堪らず実体を表した。
「……何者だ、貴様ら」
「え? 私達はキルシュの……、あっ! 忘れてた!」
そういえば私達、街中で吸血鬼だってバレない為にずっと『擬態』してたんだった! そして"影使い"や"霧化"を使った後は『擬態』が解けてしまう。
私達はすぐに『擬態』を使い直したけれど、さくらのお父さんが向けてくる懐疑的な目が変わる事はなかった。
そりゃそうだ。『擬態』はそんなに難しい魔法でもないから、街中で私達の姿を見た誰かがその姿に化けたのかもしれないと考えるのは自然な事だ。
「中々判断に困る事をしてきたものだな、貴様らは。本物なら後で謝るが、偽物なら容赦はしないが覚悟は出来ているのか?」
「生憎と本物なので、覚悟なんて出来てませんよ。"影使い"を使ったら『擬態』が解けてしまう事を忘れてただけですし」
「つまり、昼に会った時の姿からして偽物だったということか」
昼? 私達が会ったのは夕方から夜にかけての時間だったはずなんだけど……。
私達が首を傾げて顔を見合わせると、その姿を見たさくらのお父さんはホッと溜め息を吐いた。
「あー、本物だったか。すまないな、少し神経質になりすぎていたみたいだ」
「……えっと、私達何も言ってませんけど」
「反応を見れば分かる。お前は嘘をつけないタイプみたいだな」
「確かに、アリス姉さんはなんでもすぐ顔に出ますからね」
「分かるわー。凄くよく分かるわー」
確かに何度もそう言われてはきたけどさ、まさか会って間もないさくらのお父さんにまで言われるなんて思わなかったよ……。
「……ゴホン。それよりキルシュのお父さん、状況を教えてくれませんか? 私達はまだ何も掴めていませんので」
「オレも把握しきれてはいないんだが、どうやら"猟犬"がこの村にやってきたらしい。おそらく、キルシュを含めたオレら家族を殺す為にな」
"猟犬"って言葉には聞き慣れないけど、どうやら私達の想像は当たっていたみたいだね。
「時間がないから奴らの情報を手短に話す。着いてきてくれ」
彼はそう言って、物陰に私達を誘った。
……長い夜が、始まろうとしていた。