第二十七話 初めての……
さくらの話から彼女の家は貧しいと知ってはいたけれど、実際に目の当たりにするとそれは想像を遥かに超えていた。
彼女の家は小さな平屋建てで、外観を見るだけでも部屋の数は多くても三部屋くらいしかないと分かる程。
そして壁は大量の蔦に覆われていて、しかも外壁は所々剥がれている。もしここが日本だったら、地震であっさり倒壊していると思う。
こうして見ると、田舎町とはいえあれだけ大きな家を買えた私のお父さんとお母さんは、やっぱりお金持ちだったんだなと思い知らされる。流石はAランク冒険者。
私達はそんなお家の玄関にやって来て、扉をコンコンとノックした。すると、はぁいと妙に甘ったるい声が聞こえてきて、私達は顔を見合わせた。
「今の声、さくらじゃないよね?」
「はい、さくらさんではないと思います。ですがお母さんにしては声が若すぎる、というより幼すぎる気もします」
そう、聞こえて来た声はまるで小学生かのような滑舌の悪いソプラノボイスで、とても大人のそれには聞こえなかったのだ。
でもさくらに妹がいるという話は聞いていないし、一体何者なんだろう? もしかして家間違えた?
そんなことを思いながら私達は扉が開くのを固唾を飲んで見守っていた。
そして、「よいしょっと」という掛け声と共にガチャリと扉が開き……。
「初めましてぇ。キルシュのお友達よねぇ? 話は聞いてるから、上がっていいわよぉ」
そこには、本当に小学生レベルのミニマムサイズな女の子がいらっしゃった。
この世界のさくら、つまりキルシュに良く似た顔立ちから家族である事はすぐに分かった。実はさくらが何も言わなかっただけで、本当は妹がいたのかな?
「……それとも、隠し子だったりして」
「ア、アリス姉さん自重してください。もしさくらさんがそれ聞いてたら殺されますよ」
「うっそれは確かに怖いね。特に今は"怪力"まで使えるんだし」
「有栖君、それ以上は何も喋らない方がいいと思うわよ?」
あ、これももしかして失言だった? 気を付けないとまた気絶させられる、というか今はあの時より強いんだから下手したらあんなものでは済まないかも……。
そんな話をしていた私達は、その女の子に連れられて玄関側の小さな部屋に案内された。
「ではここで少々お待ちください〜。今キルシュはトイレで踏ん張っているところなのでぇ。もうちょっとしたら出し終わると思うわよぉ」
女の子がニシシと笑いながらそう言った瞬間、私達が通って来た廊下にあった扉からバンバンと音が聞こえてきた。
「あらら、怒らせちゃったみたいねぇ。あたしは逃げるからぁ、後はお願いしますよ〜」
女の子はそれだけ言うと、スタコラさっさと部屋から飛び出していってしまった。
そしてそれと同時に、バンッ! と勢いよく扉が開かれて、般若のような形相のさくらが飛び出してきた。
「ウチのおに……、友達になんてこと言うのよ! 後で覚えててよねお母さん!!」
……ん? お母さん?
「えーと、さくら? もしかして今お母さんって言ったの? あのちっこい女の子のこと……」
「ふんっ。そうよ、アレがウチのお母さんよ。全く、いつまで経っても子供みたいな人なんだから」
えっ、いや、見た目は完全に子供でしたけど……?
「さくらさんのお母さん、異様に若いわね……。いくら魔族と言ってもあれは異常じゃないかしら?」
「はい、私の暮らしていた村の大人達にあれだけ小さい人はいませんでしたし、そもそも聞いたこともないくらいです」
そ、そうだよね。じゃないとさくらは今何歳なんだって話になるし……。
「あれ? そういえばさくらはどうして吸血鬼になったはずなのにう○こしてたの? もうそんなもの出ない体質のはずなの、に……」
私は思わず素朴な疑問を口にして、しまったと思う間も無く濃密な殺気を受けて身体が硬直した。
呆れた目で私を見てからススッと距離を置いた芹奈ちゃんとカミラちゃんに助けを求めようとして、しかし二人は私と目を合わせてくれない。
「お兄ちゃん、今なんて言った?」
今まで一度も聞いたことがない低く、重たい妹の声に私は身体をビクリと震わせた。
「え、えーと、その……。ごめんなさい」
私はこれ以上自分の口が悪さをしない内に土下座して、なんとか話をずらそうと画策する。
けれど、そんなものが我が妹に通用するはずもなく。
「それからお兄ちゃん、さっき廊下でお母さんのこと、ウチの隠し子かって疑ってたわよね? お兄ちゃんの目には、ウチがそんなもの作るように見えているのかなぁ?」
まるで可視化されたかのようにさえ錯覚する程の怒りの濁流の中に飲み込まれた私は、最早脱出不可能になったことを察した。
「覚悟してね、お兄ちゃん。ウチ、怒ると強いよ?」
「や、やめっ、待って……、ひぁあっ!?」
どうやっても抜け出すことができない程にがっちりホールドされてしまった私の首筋に、ひんやりとした何かが押し当てられる。
「ちょっと待って、それだけはやめた方が……はふぅうっ!!」
プツリという音と共に、それは私の中へと侵入していき、そして……。
◇
「ひ、酷い目に遭ったよ……」
「どう考えても自業自得じゃない。それより、あっちをどうにかした方がいいんじゃないかしら?」
呆れた顔で芹奈ちゃんが指差す先には、真っ赤な顔で倒れてピクピク痙攣しているさくらとカミラちゃんの姿があった。
あの時、怒り狂ったさくらは私に仕返しをするために吸血したのだ。その結果、案の定酔っ払ってしまった。
そこからは地獄だった。
さくらは自慢の"怪力"を駆使して私だけに飽きたらずカミラちゃんまで襲ったのだ。
その結果、唯一"世界眼"を使って襲いくる吸血鬼達を跳ね除けた芹奈ちゃんだけ無事だったけど、残りの三人はそれから乱れに乱れてしまうこととなってしまった。
服はボロボロになって、汗でぐっしょり濡れている。床は大量の血で真っ赤に染まっていて、そこからもまた魅惑的な香りが漂って来て頭がクラクラしてくる。
ここまでの惨状になってしまったのは、やっぱりさくらが原因だろう。
私もそうだったけど、最初は加減が出来ずに飲めるところまで飲んじゃうから、一気に酔っちゃうんだよね。
私だけ早く立ち直れたのは、多分身体が慣れて来ているからなんだと思う。カミラちゃんは私の血が大好きみたいだから、一度酔ったら歯止めが効かなくなっちゃうみたいで全然立ち直れていないけど。
とにかく、人の家でこの惨状はかなりまずい。私は早速『浄化』で部屋とみんなの身体を綺麗にする。
「あふぅ、アリス姉さんの、えへへ、魔力……」
「いやっ、ウチ、また……」
あー、身体が魔力に敏感になっちゃってるからこれでもダメなのね。これはさくらのお母さんに見られたら厄介なことになりそうだ。
「あ、有栖君ごめん言ってなかったんだけど、さくらさんのお母さんにはもう見られてるわよ」
ピシリと身体が硬直して、ギチギチと錆び付いたロボットみたいな動きしか出来なくなった私は、なんとか首だけを動かして芹奈ちゃんを見る。
「マ、マジで?」
「うん。だってわたし、結界とか複雑な魔法はまだ使えないから」
「うふふ、そういうこと〜。若いっていいわねぇ」
……ああ、これは面倒なことになっちゃったなぁ。
私はガラリと開けられた戸の隙間から生暖かい目を向けるお母さんの姿を見つけた私は、がっくりと肩を落とすのだった。