第二十一話 贖罪
しかし運命とは数奇なものです。心身共に汚れきってしまった私は、この記憶と共にこの世から消えてしまいたかった。
けれど、私は生まれ変わってしまったのです。魔族の娘、キルシュとして。
私はさくらの記憶を取り戻した時、すぐに自殺しようと決めました。
もう生きていたくなんてない。あの悲しい思いも、忌まわしい記憶も全て捨ててしまいたい。そう思い、家の近くにある崖へ向かおうとしました。
その時です。私の周りを大勢の子供達が取り囲んだのは。彼らは全員半透明の身体をしていて、淡く白い光を放っていました。
キルシュが持つ能力、『死霊術』で幽霊が見えていることはすぐに分かりました。
彼らは私に触れる事はできません。つまり、彼らを無視して死ににいくことは可能でした。
……しかし彼らは、触れられない代わりに口々にこう言ったのです。
「お姉さんは死んじゃダメだ。この世界でも、両親を悲しませるのか?」
「一人の死が、どれだけ大きな歪みを生むのか貴女は理解しているでしょう?」
「死は終わりじゃないんです。私達みたいに、永遠に縛られてしまいますよ」
驚いたことに、私が記憶を取り戻した直後だというのに彼らはキルシュの中のさくらを認知していました。
そんな死者である彼らに投げかけられた言葉は、私の胸に深く突き刺さりました。
一人の死。そう、さくらの家族はお兄ちゃん一人の死がきっかけで壊れてしまいました。
あの後両親がどうなったのか、私は知りません。ですが、お兄ちゃんに続いて私まで死んでしまったのですから、それを知った両親の悲しみ、苦しみは想像すら出来ません。
それを思うと、自然と涙が溢れて止まりませんでした。
「ごめんなさい……、ごめんなさい……っ!」
私は拭っても拭っても溢れる涙に溺れるように、その場へ蹲りました。
この時初めて、私は自分が犯した罪の重さに気付きました。
殴る直前に見えた、悲しみに暮れるお母さんの表情。娘の前で涙は見せまいと、必死に歯を食いしばるお父さんの姿。
……私は自分の感情に支配されるまま、取り返しの付かない過ちを犯してしまっていたのです。本当なら、私が二人を支えてあげるべきだったのに。
そして私は二度と同じ過ちを繰り返さないために、この世界ではちゃんと親孝行して生きていくことを決めたのです。
それからは必死でした。
私の家は貧乏だったので、稼ぎの良い志願兵になって戦場に赴きました。
当然最初は反対されましたが、得意の『死霊術』と我が家に代々伝わる両面宿儺を組み合わせた戦術で、私は大きな戦果を上げ続けました。
骨を折ったり気絶させたりして敵戦力を無効化させつつ、しかし決して殺しはしない私の戦い方は同僚の目には良く映らなかったみたいです。
それでも私には、人を殺すことが出来ませんでした。
そんな生活を続けていた、ある日のことです。私が家に帰ると、客室に見知らぬ男がいました。
その男は丸々太ったピエロのような風貌で、私がこれまでに会った魔族の中でも明らかに異質な空気を纏っていました。
死霊ではありませんが、限りなくそれに近いそのピエロは、私を一瞥してこう言いました。
「……ったく、なんだってこんなガキがそんな危ねぇもん持ってやがんだ。そりゃ無双するわな」
これが、レオとの出会いでした。
それから私は、レオに魔王城へ連れて行かれました。正直彼の事は信用できませんでしたが、魔王様のお呼びとなれば話は違います。
もしかしたら、両親の暮らしをもっと良くできるかもしれない。そんな思いで謁見に臨んだ私は衝撃を受けました。
なんと魔王様直々の配下、"七つの大罪"の一員にならないかと持ちかけられたのです。
どうやら"七つの大罪"には空席が二つあり、人間との戦争中においてそれは非常に由々しき事態であると。
更に人間が勇者を召喚したとの情報が入ったことにより、"七つの大罪"の席を埋める必要が出てきたのだそうです。
そんな中、戦場で目覚ましい戦果を上げていた私に白羽の矢が立つこととなったようです。
レオ曰く私には「兆候が見えない」ものの、少なくとも"憤怒"とはかけ離れているということで"嫉妬"の席をいただくこととなりました。
それからは戦場に出る機会がぐんと増えたものの、給与も十倍以上に上がり、順風満帆な日々を過ごしていました。
しかしある事件をきっかけに、運命の歯車が狂ってしまいました。
それは私が魔王城へ出向いている道中のことでした。突然空が真っ黒に染まり、雷鳴よりも激しい咆哮が轟きました。
慌てて空を見上げると、そこには巨大なドラゴンの姿がありました。
その姿を見ただけで全身から力が抜けて、心臓が止まりそうになりながらも私は決死の覚悟で両面宿儺を呼び出しました。
「……ほう、何やら邪悪な気配を感じてみれば両面宿儺ではないか。貴様、まだ生きていたのか」
「……」
両面宿儺は何も答えませんでしたが、ドラゴンはまるで彼を知っているかのような口振りでした。
「へぇ、そんな因縁があったとはね。やっぱりその強さ、おかしいとは思ったんだよなー」
そこに現れたのはレオでした。彼は指の先で何か丸いものをくるくる回しながらニヤリと笑いました。
「貴様だったか、我が子を拐かした下郎は」
「おお怖い怖い。別に俺はコレが欲しくて盗んだ訳じゃねーよ。ちと別の目的の為に借りていただけさ。ほら、返すぜ」
レオがそう言ってその丸い物体を放ると、ドラゴンはそれを優しく包み込むようにキャッチしました。
「貴様、そんなに死にたいのか?」
「ご冗談を。俺はご主人様の命の次に自分の命が大事なんだ。死にたい訳ーー」
「なら死ね」
その瞬間、十メートル以上離れて両面宿儺の背後に隠れていた私の全身を焼く程の熱風が放たれたのです。
この時、幽霊の子達が私を守ってくれなければ、私は死んでいたかもしれません。それ程までに強力なブレスを受けて尚、レオは平然とした様子でドラゴンに笑いかけていました。
「よせよ。俺にとってご主人様の命が大切なように、お前さんはその子の命が一番なんだろう? それならこんなところで変なリスクを負うのは愚の骨頂だと思うがね?」
その言葉に、ドラゴンは舌打ちしながらも素直に引き下がりました。
「ふん、次は無いと思うのだな。それからそこの宿儺の主たる転生者。くれぐれもそれの扱いには気をつけるのだぞ。一度暴走すれば、文明一つ滅ぼすのも容易い故にな」
その時、レオの目がスッと細められました。そしてドラゴンはそれ以上何も言わず、何処へ飛び去ってしまいました。
事の成り行きを呆然と眺めていると、突然レオに腕を引かれ、気付いたら私は魔王城にいました。
そのまま何の説明もされずに魔王様の前へ引きずり出され、手荒に投げ飛ばされました。
私が抗議の目を向けて口を開こうとした時、彼はこう言ったのです。
「すまねぇなご主人様。この女、転生者だったわ」