第十九話 最期の願い
「落ち着いてください。暴れてもお兄さんは帰ってきませんよ」
カミラちゃんがそう冷たく言い放ち、キルシュの身体を影で縛り付けた。"影使い"を極めると、あんなこともできるようになるんだね。
「何これ、影……!? アンタ吸血鬼だったの!? 放してよ……!」
「暴れても無駄ですよ。貴女が抜け出せるほど、吸血鬼が扱う影は弱くありませんので」
カミラちゃんがそう言ってもなかなか諦めない、異常な程の執念を燃やしていたキルシュだったけれど、結局その場を一歩も動くことすら出来ずに力無く倒れた。
そのあまりにも必死な姿に、私達は困惑するしかなかった。
「キルシュ、君はどうしてそこまでお兄さんを求めてるの?」
「……約束、したから。何があってもウチを守ってくれるって。一緒に綺麗な景色を見に行こうって。それなのに……、それなのに……!」
ぐらりと視界が歪み、胸が裂けるかと思う程の痛みに襲われて私は膝から崩れ落ちてしまった。
『水球』に押しつぶされて首の骨を折っても、ドラゴンゾンビに腑を抉られても、両面宿儺に内臓を潰されても殆ど痛みを感じなかったのに、今の私は痛みに耐えられずに蹲ってしまっている。
でも、こんな運命の悪戯なんてあるの? 信じられない。
もしかしたらこれも、逃げ出す為に今考えた策なのかもしれない。
だって、喋り方が全然違うじゃないか。見た目も、似ても似つかない。少なくとも私が知っている彼女とは、別人としか思えなかったんだ。
……あの一瞬を除いては。
「キルシュ……、一つ聞いてもいいかな?」
私はフラつく足でなんとか彼女の元に向かう。
「……君のお兄さん、なんて名前なの?」
胸の魔石が焼けた石のように熱くなり、体内を循環する魔力が暴走しそうになるのを必死に抑えながら、私はキルシュの目を見た。
思えば、彼女の目をしっかり見たのはこれが初めてだったかもしれない。
その瞳は、綺麗な桜色をしていて、まるでそう、彼女そっくりな……。
「有栖お兄ちゃん。ウチのお兄ちゃんの名前は星川有栖よ。ねえ転生者、アンタは見てないの……、って急にどうしたのよ!?」
その言葉を聞いた瞬間、私は耐えきれずに彼女の身体を思い切り抱きしめていた。溢れる涙も鼻水も、拭おうという気は一切起きなかった。
「ごめん、ごめんさくら……! ダメなお兄ちゃんで本当にごめん……」
「お兄ちゃんって、嘘でしょ……? だってアンタは女の子で……」
「違うんだよ……。今の私は確かに女の子だけど、でも……」
私はそれから、自分の過去を話した。かつて愛する二人に話したように、隠す事なく全てを伝えた。
キルシュ、いや星川さくらはそれを黙って聞いていた。でも私は、彼女が今どんな顔をしているのか怖くて、彼女を見ることができない。
「約束守れなくて、本当にごめん……。指切りまでしたのに、私は本当にダメなお兄ちゃんだったよ」
そんな情けない私を、いつの間にか影の拘束が解かれていた彼女はギュッと抱きしめ返してくれた。
それから私達は無言で抱き合った。その手に感じる温もりが、夢ではないのだと実感するまで、ずっと……。
暫くして、沈黙を破ったのはさくらだった。
「……本当に、お兄ちゃんなんだね」
静かに放たれたその一言は、重たく私にのしかかってくる。私は小さく頷いて、しかしまだ顔を上げることができない。
「まさか女の子になっちゃってるなんて思わなかった。でも、ちゃんと約束は覚えてくれていたんだね」
「……うん。有栖の記憶を思い出してから、一度も忘れたことなんてないよ」
「そうなんだ。……それじゃあ、今度こそ叶えてくれる? ウチのお願い」
さくらは私の頬を掴んで、強引に目を合わせる。その瞳の奥に、深い悲しみの色を滲ませながら。
「ウチを殺して、お兄ちゃん。そしてどうか、お兄ちゃんは生き続けてほしいの。それが、ウチの最期のお願い」
「えっ……?」
次の瞬間、私はさくらの胸を剣で貫いていた。芹那ちゃんとカミラちゃんの叫び声を聞きながら、私は淡々とその剣を捻ってトドメを刺す。
さくらの胸からは噴水のように血が吹き出して、私の体を染めていく。
さくらの綺麗だった瞳は白く濁り、もはや一片の疑いの余地もなく彼女の命が尽きていることを示していた。
「あ、有栖君どうして!? わたしみたいに、世界を超えて奇跡的に再開できた妹さんなんでしょう!? どうしてそんな……」
「……いくら妹さんの願いでも、アリス姉さんがこんな事をするはずはありません。一体、妹さんに何をされたんですか?」
戸を一枚挟んだように霞んだ二人の声を聞きながら、私は何が起きたのかを必死に理解しようとしていた。
私には、さくらを殺そうなんて意思は全くなかった。それなのに、私はこうして彼女を手にかけてしまった。
意味が分からない。頭が沸騰して、今すぐ泣き叫びたい衝動に全身が支配されていく。
私はそれを必死に抑え込んで、必死に考える。
「有栖君! ねぇってば!!」
「やめてください芹奈さん! 今は、アリス姉さんの邪魔をしちゃダメなんです!」
そうだ、今と同じ感覚には覚えがある。地下でさくらを助けたあの瞬間、私は同じように全く自分の頭で何も考えていなかったのに身体が動いていた。
「『死霊術』……、幽霊と対話し、お願いを聞いてもらう能力」
もしその能力が、転生者にも有効なのだとしたら?
転生者は皆一度別の世界で死んでいる、謂わば生ける屍だ。そしてさくらの言っていたお願いというのが、かなりの強制力を持つものなどしたら。
「さくら、もしかしてそれを分かって……」
彼女はこの世界に来て、魔王の配下になる程には長く暮らしていた。そらなら当然、自分の能力がどのようなものかは理解したいたはずなんだ。
「でもさくら、どうしてお前は死ななくちゃいけなかったんだよ……!! それに、どうして態々私に殺させたんだよ! やっぱり、それだけはどう考えても意味がわからないんだよ!」
こうなったら、本人の口から直接聞いてやる。
「……芹那ちゃん、カミラちゃん。協力して欲しいことがあるんだけど、お願いできる?」
「私は構いませんよ。アリス姉さんの頼みなら」
「えっと、全然状況が理解できないんだけど……。まあいいわ、手伝ってあげるわよ。でも、何をするかはちゃんと教えてよね」
「……ありがとう、二人とも」
私は二人に頭を下げ、それから私の考えを伝えた。
それを聞いた二人は目を見開きながらも、すぐにそれを成功させるべく動いてくれた。
絶対に、このまま死なせはしない。