第十六話 多重空間
「カミラさんストップ!」
路地を走っていた私は、突然響いた芹奈さんの叫び声を聞いて慌てて足を止めました。
「どうしたんですか芹奈さん?」
「遂に見つけたのよ、結界を。カミラさんから数歩先に、人一人が潜り抜けるのがやっとな程に小さな入り口があるわ。この大きさではさっきの場所から見つかるはずもないわね」
芹奈さんはそう言って私の前に出て、何もない空間に手を翳しました。その瞬間、さっきまではただの直線だったはずの路地が突然迷路のようにクネクネした道へと変わってしまいました。
「せ、芹奈さん、これは……?」
「"世界眼"によると、この結界は多重空間を作り出すものみたいね。わたし達は既にその中に捕らわれているから、もう戻ることはできないわよ」
確かに後ろを振り返ってみても、そこにあったのはさっきまで歩いてきたのとは明らかに様子の違う路地でした。
その上周りの建物もさっきまでよりも高くなっています。これが多重空間、ですか……。
「急ぎましょう。この空間内なら、わたしの"世界眼"で全てが分かるわ。……有栖君がどこにいるのかもね」
「そ、それじゃあ……!」
「ついて来て。わたしもう、ゆっくり走るつもりはないから」
芹奈さんはそう言うや否や、物凄い速さで狭い路地を駆け抜けて行きました。私は負けじと浮遊魔法による高速飛行でそれを追いかけます。
それでも少しずつ距離が離されてしまうのは、流石は勇者といったところでしょうか。
私は芹奈さんに追い付こうと必死に速度を上げ、そしてゾワリとした悪寒に襲われて思わず着地してしまいました。
アリス姉さんが言うところの慣性の法則によって靴底を削りながら何メートルも滑った私が止まった時、目の前には見たこともない造形のお屋敷がありました。
ボロボロで人が住んでいるとは思えないそのお屋敷からは、それこそ人のものとは思えない程禍々しく凶悪な力が溢れ出していました。
そう、これはまるであの市場の通りで感じた気持ち悪い力が更にグッと濃縮されたような……。
「なに、これ……、武家屋敷? どうして、日本の武家屋敷がこんなところに……」
芹奈さんはそのお屋敷を見て、そう小さく呟いていました。日本というのは、確かアリス姉さんと芹奈さんがいた異世界の国の名前です。
その国の建造物がここにあるということは、まさかこの件には異世界人が関係しているというのですか!?
その考えに至った私と芹奈さんが思わず足を止めたその時でした。
突然お屋敷の二階にあった窓が破られ、何かを抱えた小さな人影が飛び出して来ました。
私はすぐに封魔の杖を構えて『氷牢』を発動させました。しかしそれはあっさりと砕かれ、その小さな人影の動きを止めることすら叶いませんでした。
「新手か!? アイツ一体で手一杯なのに、もう勘弁して欲しいんだけど!?」
そして聞こえて来たのは、聞き慣れない男の人の声でした。でもその人から感じる優しい魔力は、私の最愛の人のもので……。
「ぇ……、嘘? 有栖、君……?」
すぐ横では、芹奈ちゃんが驚愕に目を見開いてその男の人を見つめていました。その姿を見て、私は確信しました。
「って、あれ? 芹奈ちゃんとカミラちゃん? どうしてこんなところに?」
見知らぬ女の子を抱えたその人は、間違いなくアリス姉さんでした。
◇
なんでこんなところに二人がいるんだろう?
二人は確かに幽霊に操られて宿に帰ってしまっていたはずなんだけど、どうやってこんな厄介な結界の中に来ることが出来たんだろう?
私は前世の自分の姿を象った『擬態』を解いて【ナルカミ村】に入った時の女の子の姿に擬態し直しながら、抱えていた女の子を壁際にゆっくり横たわらせる。
「ちょっと有栖君! なんで昔の、有栖君の姿に擬態してたの!? そしてその女の子は誰? あと屋敷から感じるヤバい気配は一体何なの!? 説明して!」
「そうですよアリス姉さん! どうして男の姿になんか……、ってそれよりも、その子は誰なんですか! まさか、私達だけでは飽き足らず他の女の子にまで手を出そうと……」
「いやいやしてないから! それに今はそんなこと話している時間もーー」
その時、遂に幽霊屋敷に張られていた結界さえも破ったあの怪物が、屋敷を盛大にぶっ壊しながら地上に姿を現した。
どうしてこんな事になったのか。
それを思い出すには、両面宿儺に殺されそうになったあの時にまで遡る必要がある。
あの時、私の中に入り込んできた気持ちの悪い何かは私の体内にまで侵入して来て、あまつさえ身体を乗っ取ろうとしてきたのだ。
手足も動かず抵抗する術を持たない私は、その時咄嗟に自分の身体を捨てた。
これはカミラちゃんが王都で私を助けてくれた時の話から着想を得たものだった。
カミラちゃんはあの日、自分の身体を放棄して私の魔石から再生したのだと言っていた。つまり吸血鬼は、一度自分の身体を捨てることができる魔族なんだ。
この作戦は見事に決まり、宿儺の力に侵された身体から新品の身体に乗り換えることで私は難を逃れることができたのだ。
「へぇ、やるじゃない。宿儺の呪いを受けて生きていられる魔族なんていないと思ってたわ」
「流石の私も死ぬかと思ったけどね。でも私、こんな所で死ぬわけにはいかないから」
私は即座にアジ・ダハーカの加護で全身を覆い、魔石と加護の両方から莫大な量の魔力を生成する。
この両面宿儺、やっぱり伝承にあるだけの単純な存在ではないみたいだ。
どちらかというと、何か別の存在を宿儺の身体に混ぜ込んで生まれたキメラみたいな……、そんな感じがするのだ。
何にしても、中途半端な魔力で戦える程生半可な存在ではないと思うしね、本気で行かせてもらうよ。
「ちょ、ちょっと待った! アンタ何その魔力は!? そんな出鱈目な魔力見たことないんですけど!?」
慌てたような"嫉妬"の声を聞き流しながら、私は"紫炎"を構えて両面宿儺に向かって駆け出した。
宿儺はそれに対してただ手を上にあげただけだった。しかしその瞬間、私の手足は再び拘束されてしまう。
でもね、それは想定内なんだよ!
私は即座に手足を廃棄して再生、"紫炎"を持ち直しつつ『ヘルフレア』を放つ。
一瞬にして暗かった地下空間が山吹色の光に照らされて、昼間のように明るくなる。その間に周りにある岩や祠の残骸などの位置を記憶しておく。
いくらとんでもない魔力が込められているとはいえ、流石に上級魔法程度で倒れる両面宿儺ではない。
奴は『ヘルフレア』の中から容赦なく矢を放ってくる。その矢全てが宿儺と同じ紫の光を放っていて、掠るだけでも危険なのは間違いなさそうだった。
私はそれを全て"紫炎"で斬り捨てたものの、"紫炎"は全く輝かなかった。やっぱりあの力、魔力ではないんだね。
つまり両面宿儺の力は"紫炎"で無効化することは出来ないってことだ。
……さて、どうやって倒したものかな?