第十四話 カミラと芹奈
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だれか、助け、て……
「……っ! あ、あれ? 私どうして宿に戻って?」
気がつくと、私は宿のベッドに座っていました。先程までアリス姉さんと芹奈さんと三人でお買い物をしていたはずなのですが……。
ふと横を見ると、そこには虚な目をした芹奈さんが私と並んで座っています。ですが、アリス姉さんの姿はありません。
トイレにでも行っているのかと思いましたが、戸をノックしても返答はなく、それどころか宿中探し回っても姿が見当たりません。
嫌な予感に、背筋が凍ります。
「芹奈さん、アリス姉さんが……、アリス姉さんがいません!!」
私は慌てて芹奈さんにそう伝えたのですが、反応がありません。これは、相当に厳しい事態に陥ってしまったのかもしれません。
芹奈さんの様子は、明らかに普通ではありません。確実に、第三者による干渉が原因でこうなってしまっているのでしょう。
私自身、宿に帰ってくるまでの記憶が無いのですから先程までは同じ状態になってしまっていたのかもしれません。
「ど、どうしたら……」
もし仮に私と芹奈さんの意識を操るような相手が敵なのだとしたら、私一人では万に一つも勝ち目はないでしょう。
特に今の私は、魔力を回復する手段を持ち合わせていません。魔力回復ポーションも買えませんでしたし、在庫は完全に切れています。
となれば、どうしても芹奈さんの助力が必要です。でも、一体どうすれば……。
「……これならもしかしたら」
その時、ふと目に入った芹奈さんのうなじを見て思いつきました。
あんまり気は進まないですが、今はそんなことを言っている場合ではありません。私はすぐさま芹奈さんの白く綺麗なうなじに噛みつきました。
一瞬だけピクリと揺れるも相変わらず虚な目をした芹奈さんを抱きしめ、血を吸い上げていきます。
それと同時に、私の魔力を少しずつ芹奈さんの中に流し込んでいきます。この魔力の循環で、彼女の中の異物を中和できれば……。
私はアリス姉さんみたいに頭が良くありません。なのでこうなってしまった原因だって推測する事ができません。
ですが、吸血鬼の本能が言っています。こうすれば、芹奈さんは戻ってくるかもしれないと。
……それにしても、この人も凄い魔力を持っていますね。悔しいですがアリス姉さんに匹敵する味ですし、量も異常な多さです。流石は勇者と言ったところでしょうか。
そんな芹奈さんも次第に呼吸が荒くなっていき、頬が紅潮してきました。吸血鬼の魔力が回っている証拠です。
そして遂に……。
「……へ? あっ、んあっ……! やめっ、ひぁああああ!!」
ビクンと大きく身体を震わせた芹奈さんは、そのままベッドに倒れ込んでピクピクと小刻みに震えていた。
無事に意識は戻ったみたいですが、少し気の毒な事をしてしまいましたね……。
意識が戻らない間にもずっと私の魔力が注がれていたのですから、身体が溜め込んだ快楽物質の量はとんでもないことになっていたはずです。
それが意識が戻ると同時に一挙に押し寄せて来たのですから、こうなってしまうのも当然です。ご愁傷様です。
「なっ、何これぇ……。わたし、こんなの知らない……」
「あー、よがっているところごめんなさい芹奈さん。緊急事態なので早く起きてくれませんか?」
「だ、誰のせいだとっ、んっ! お、思ってぇ……」
まったくこの人は、状況を把握していないからって呑気ですね……。
「芹奈さん、これは本気の緊急事態なんです。アリス姉さんが姿を消しました。そして私と芹奈さんは二人とも、何者かに意識を奪われて宿まで帰ってきたようなのです」
その瞬間、赤かった顔がみるみる真っ青になっていきました。私でさえ克服するのに時間がかかった吸血鬼の魅了をこんなに短時間で克服するなんて、やっぱり勇者は出鱈目です。
私の魔力と比べて、アリス姉さんの魔力が強力すぎるのもありますけど。
「カミラさん、それなら有栖君は今何処に!?」
「お、落ち着いてください芹奈さん! 私が死んでいないということは、アリス姉さんは無事だということです。それより、勇者の能力で追跡とかできないのですか?」
「そ、そうか"世界眼"なら!」
芹奈さんはそう言って虚空を指でつつきだしました。アリス姉さんにはこれで何をしているのか大体想像が付くようなのですが、私にはさっぱり分かりません。
そして暫くツンツンした後、芹奈さんはパタリと布団に倒れ込みました。
「なんで? どうして? 有栖君がパーティーメンバーから外れてるの……?」
話を聞くと、どうやらアリス姉さんは私達とパーティーを組んでいないことになっているようなのです。
そのせいで、何処にいるか探る事が出来ない上に体力や魔力も見えず、どんな状態異常に犯されているのかも分からないと。
……楽観視していたつもりはありませんが、思った以上に厳しい状況なようですね。
私もアリス姉さんの魔石から再生しようと試みたのですが、何故かそれも出来ませんでした。
まるでアリス姉さんの魔石が、違うものに変質してしまっているような……。
「とにかく、こんな所でじっとしていても仕方ありません。行きましょう、芹奈さん!」
「わ、分かったわ。でも何処に?」
「とりあえず、私達が歩いた道を辿ってみましょう。何か思い出すかもしれませんし」
私達はすぐに宿を飛び出しました。そして買い物するために立ち寄ったお店を全て訪ね、また擬態していたアリス姉さんの特徴を伝えて書き込み調査をしました。
しかし誰一人アリス姉さんの行方を知る人はいませんでした。
「あーもう、なんで有栖君はパーティーから外れてるの!? そうじゃなきゃ簡単に見つけられたのに!」
「そもそもどうして魔石が変質してしまっているのでしょうか? うぅ、嫌な想像ばかりが膨らんでしまいます……」
でもここで心を強く保たないと、それこそアリス姉さんを見つけるなんてことできません。
その時、ふと思い至りました。
「……あ、そうか。これがアリス姉さんの旅の目的、なんですね」
いつも楽しそうに笑って、私達と一緒にいてくれたアリス姉さん。あの笑顔の裏で偶に垣間見えたあの憂いた表情の意味、今分かりました。
大切な人が、何の痕跡も残さずに消えてしまう恐怖。これは、目の前で死なれてしまうのとは全く違う。心臓を雑巾のように搾られるような、ギリギリとした痛みを伴う焦躁心だったんですね。
アリス姉さんはこの痛みに耐えながら、私達と向き合ってくれていたんだ。
それはどうやら、芹奈さんも感じていたみたいです。
「……わたしさ、正直その、サリィって娘に嫉妬してたと思う。でも、私が間違ってたって今なら分かる気がするわ」
「私もです。私だけを見ていて欲しい、そんな我儘な気持ちを抱いてしまっていましたから」
"嫉妬"とは、人を罪に導くと見做されている七つの感情の一つです。そしてそれを抱いてしまっていた私達は今正に、罰を受けてしまっているのですね。
「"嫉妬"の罪に対する罰として、私達の一番大切な人を失う、ですか……」
膝の力が抜けて、立っていられずに崩れ落ちる。
申し訳ありませんアジ・ダハーカ様……。私が間違っていました。なのでどうか、アリス姉さんをお返しください……っ!
情けなく地面に崩れ落ちて涙ながらにアジ・ダハーカ様に訴えかける私。その姿を見て、芹奈さんは呆れたような溜息を吐きました。
「……そういう考え、わたしは好きじゃないわね。カミラさん達異世界人は、みんな神様とか運命の所為にし過ぎなのよ。確かにわたしだって"嫉妬"してしまったけれど、それは有栖君がいなくなってしまったことと繋がりはないはずよ」
「で、でもアリス姉さんがいなくなってしまったのも、何の痕跡も見つからないのも事実ですし……!」
「それもわたし達の罪とは関係ないわ。もしそんな因果関係が存在するのなら、有栖君は一体何の罪でサリィさんを失ったのかしらね?」
「それは……」
ぐうの音も出なかった。当時五歳の、前世の記憶すら取り戻していなかった頃の無邪気なアリス姉さん。
森で遊んでいただけなのに生死に関わる大怪我を負って、大切な人と離れ離れになってしまったあの人に、罪があったとは思えません。
「分かった? それならもう一度、徹底的に調べるわよ」
「……はい。情けないところをお見せして申し訳ありませんでした」
「いいのよ。わたしだってその、最初は取り乱してしまってたし」
「ふふっ、いつの間にか役割が入れ替わってしまっていましたね」
「本当よ。お互い様ってやつね」
そう言ってニカリと笑う芹奈さんの姿はとても輝いて見えて……。なるほど、アリス姉さんが好きになった理由が分かった気がします。
それからはお互い言葉を重ねることはなく、アリス姉さんの捜索を開始した。
奇遇にも同じ人を好きになってしまった私達。そんな二人だからこそ、分かり合い、そして支え合って生きていく道があるのかもしれないですね。