第十三話 幽霊屋敷
屋敷の内装はこの世界では見慣れない、しかし有栖にとっては見慣れた造りになっていた。
用意されたスリッパで踏みしめてはギシギシと音を立てる木目の床、灯りもなく薄暗い廊下の左右にある部屋と廊下を隔てるのは障子の貼られた襖。
一部開いている襖から見えるのは、ボロボロに破れた畳。この屋敷は間違いなく、日本家屋だ。
【ナルカミ村】は確かに西洋風の建築物が多い村ではないけれど、だからと言ってこんな純日本家屋みたいな家は一軒も無かった。
明らかにここだけが浮いている。それこそ、私と同じ転生者、若しくは芹奈ちゃんみたいな転移者が建てたとしか思えない程に。
「こちらです。さあ、お上がりください」
「ひっ……!?」
突然すぐ近くの部屋の襖が開き、誰もいないのに女の子の声が響く。
もうダメだ。恐怖で頭がおかしくなりそうだよ……。
私は恐る恐る、その部屋の中へと入っていく。相変わらず薄暗いその部屋を照らす唯一の灯りは、天井付近に備え付けられている神棚に置いてある蝋燭のものだった。
その神棚には小さな蜜柑が乗せられたお餅がお供えされており、すぐ傍には徳利まで置いてある。
「はは……、本当に日本に帰ってきたみたいだ」
恐怖のあまり、自然と口からそんな言葉が溢れていた。もう嫌だ、早く帰りたい。なのに帰れない。
どうして、こんなことになってしまったんだろう?
「へぇ、随分と怖がりなんですね。転生者のくせに。この程度で怖がっていたら、ふふっ♪ この後どうなっちゃうのかなぁ? 泣いちゃう? それとも暴れる? もしかして狂っちゃったりするのかなぁ?」
「だ、誰!?」
そして突然響く、女の子の声。部屋の中には誰もいないはずなのに、まるで耳元で囁かれているかのようなその声に、全身が総毛立つ。
「ふふっ、さぁね? 教えてあげるとでも思った? でもそうね、これくらいなら言ってあげてもいいかな。ウチは魔王様の配下、"嫉妬"。転生者のアリスって人を探すように命じられていたんだけど、それってあなたのことよね?」
「ま、魔王の配下……!?」
まさかここで七つの大罪が一つ、"嫉妬"の名を聞くことになるなんて。
しかも彼女がこの屋敷の主だとしたら、もしかしたら元日本人の可能性がある。つまり、魔族陣営にも転生者がいたことに……。
「ねぇ、人の話聞いてる? さっさと答えてよ。あなたはアリスなの? 違うの?」
「……答える前に一つだけ教えて。もし私がアリスだったらどうするの?」
「魔王様から殺すように言われてるから、当然殺すわよ。違うなら、ウチと一緒に魔王城まできて貰うわ」
やっぱり、そうなるよね……。まさか魔族領に来て最初の村で魔王の配下に出会ってしまうとは思いもしなかった。
「あ、分かってると思うけど嘘は禁止だから。もし嘘ついたら……、ふふっ♪ 覚悟してね」
だからって、本当の事を言えば殺されるんでしょ? 理不尽過ぎる……。
でも、相手が幽霊なんかじゃなくて魔族だと分かってしまえばこっちのものだ。この屋敷の様子だって、私を怖がらせるための演出に過ぎないと思えばいい。
だから私は腹を括って、口を開いた。
「……分かった。私の名前はアリス。魔王が殺せと言ったのは多分、私で間違い無いと思うよ」
その瞬間、部屋の温度が氷点下まで下がったのではないかと錯覚する程の殺気が私を貫いた。
「……へぇ、素直な良い子じゃない。忌々しい。あー嫌だ嫌だ。あの人の事を思い出しちゃったじゃない」
次の瞬間、鋭く長い針を持った日本人形が私を囲い、更にその周囲を青白い光を放つ鬼火が照らしていた。
更には片目のない女の子や舌のない男の子、更には両足を失って這いずっている女の霊までもが私に襲いかかってきた。
恐怖で自分でも驚く程大きな悲鳴を上げながら、私は必死にその場から逃げ出した。
間違いない、さっきの幽霊は本物だ。どういう理屈か知らないけど、"嫉妬"は幽霊を使役している!
つ、つまりさっき私を案内した女の子もやっぱり幽霊だったってことで……。
全身が震えて足が止まりそうになるのを必死に堪えながら、私は走り続けた。幸い記憶力はいい方だから、玄関への行き方は覚えている。
油断はなかった。幽霊に囲まれるなんて二度と経験したく無かったから、目が充血するんじゃないかってくらい必死に目を凝らしていた。
でも、いやだからこそ。私はこんな単純な罠に気付く事が出来なかった。
「……っ!? 落ちっ……!?」
突然ベキベキと音を立てて床が抜け、私は真っ暗な闇の底へと落ちていった。
「ふぎゃっ!」
い、痛い……。
あまりの暗さに右と左も分からず墜落した結果、思い切り顔面から落っこちてしまった。痛いしダラリと鼻血が流れるし最悪なので即『ヒール』で治す。
それにしても暗い。床を踏み抜いて落ちたはずなのに、元が暗かったからなのか上を見ても自分が何処から落ちてきたのかすら分からない。
「ここは、一体……?」
私は光属性の初級魔法『ライト』で辺りを照らす。すると見えたのは、大きな祠だった。その戸には夥しい数のお札が貼り付けられていて、明らかに触れてはならない危険な香りがぷんぷん漂っている。
「ふふふ♪ 残念、ここでゲームオーバーだよアリス。あなたの二度目の人生、ここで終わりにしちゃおう!」
そして響く声と共に、貼られたお札が一気に燃え上がる。
ま、まずい……。このままだと本当にまずいことになる!!
私は慌てて『大洪水』で火を消しにかかった。しかしその火は水の中で燃え続け、そしてお札は全て燃え尽きてしまう。
「な、なんで……!?」
「ウチの炎は特別性だからねー。それじゃあ頑張ってねアリス。頑張って頑張って、そしてその末に死んで頂戴な」
その声と共に、私が生み出した水全てを吹き飛ばしながら祠の扉が開く。
そして扉の中から出て来たのは、赤く大きな手。非常に鋭い爪と、人の物とは思えない程に長い指。
「あれは、まさか……」
その手は祠の戸をあっさりと破壊し、そして本体がゆっくりと姿を現した。
ソレの胴体には二つの顔があり、それぞれ反対側を向いていた。頭頂は合してうなじがなく、胴体のそれぞれに手足があり、膝はあるがひかがみと踵がない。
その左右には剣を帯びていて、四つの手で二張りの禍々しく紫の光を放つ弓矢を持っている。
その姿を見て、私が何と相対しているのかすぐに分かった。
「両面、宿儺……」
日本書紀に登場する異形の化け物で、人々から略奪を続けたとされている悪の権化。方や飛騨の伝説では龍を倒した観音様の化身とまで言われる正義の味方。
有栖が好きだった漫画作品でも登場したことで有名になったソレが、今私の前にいる。
でもこれは、ただ伝承にあるだけの両面宿儺ではない。
「ーーーーッ!!」
「うぐっ……!?」
男女両方の声が混じった、鋭い高音と低音が私の耳を貫く。そして同時に私の体を紫色のナニかが包み込む。
私はそれを『ホーリーライト』でどうにか逃れようとして……。
しかしそのナニかは消えることはなく、私の口の中に入り込んでくる。
異物を吐き出そうとえずき、しかしそれは止まることなく私の中に入り続け、視界がどんどん紫色に染まっていく。
て、手足も動かなくない……。これは、もうダメ、かも……。
だれか、助け、て……