第三話 地獄沼
「今思えば、あの霧はこのダンジョンがわたし達を招き入れるために発生させていたのかもしれないわね」
「してやられたってことですか。なんか悔しいです……」
私達はあの後、意気消沈しつつもダンジョンを練り歩いていた。芹奈ちゃんから貰ったハンカチは、三人ともマスクのように口元に巻いている。
ここまでは一本道で、更に罠も殆ど無かったのは救いなんだけど……。
「まあ、ダンジョンなんだから魔物はいるよね」
未知の先に見える大きな影を見て、うんざりした気持ちになる。何あの数、巫山戯てるの?
今見えているだけで、道を埋め尽くす程大きな魔物や夥しい数の鼠の群れなどいろんな種類の魔物が待ち構えているのが見えて来た。
「アリス姉さん、私もう嫌になってきました」
「私も逃げ出したいくらいだよ。こんな狭い場所だと大規模な魔法は使えないし、数の暴力はかなり危険な気がする」
「わたしも、鼠はちょっと……」
ただでさえ落ち込んでいたテンションが地の底に付きそうになるけれど、しかし魔物達はそんなのお構い無しに増えていく。
壁の隙間から次々と鼠や私の天敵でもある黒光りする虫型魔物まで、およそ不潔と言われる生物目白押しの最悪な面々が這い出てくる。
"瘴気の洞穴"なんて言うから汚い魔物が出てくるとは予想はしてたけど、気分は最悪だよ……。
「有栖君、これ焼き払わない? もうわたし限界なんだけど……」
「うーん、私も気持ちは同じだけどやめた方がいいかも。こんな密閉系で炎なんて出したら、酸欠で倒れちゃうかもしれないし。それに……」
私は床や壁、天井とあらゆる所から吹き出している謎の土色の煙を見る。その煙は空気中に広がって、まるで霧のように視界を埋めている。
かなり薄い色だから遠くが見えないとかってことはないんだけど、明らかに吸ったら危険な何かであることは間違いなさそうだ。そんなものが充満しているこの空間で火なんて起こしたら……。
「粉塵爆発が起きるのが怖すぎるんだよね」
「あー、それはちょっと洒落にならないわね」
「ふんじん、ばくはつ? ってなんですか?」
粉塵爆発、それは可燃性の微粒子が浮遊している空間で火花を散らすと起きる爆発現象だ。
可燃物は、その表面積が大きい程燃えやすくなる。これは以前カミラちゃんに魔法を教えるときに例え話で使ったかな。
これが粉塵にまでなると、とんでもなく燃えやすくなる。
例えば1キログラムの鉄球はよっぽど高温にしないと燃えないし、というかその前に融けると思うんだけど、これが1キログラムの鉄粉となると話は全く変わってしまう。
具体的に言うと、放っておくだけで勝手に酸素と反応してゆっくり燃える。それどころか空気中にばら撒くと火花を出しながら真っ赤に燃える、日本では消防法上で可燃性固体に指定されている程の危険物になってしまうのだ。
そんな粉塵が充満している空間で火をつけたらどうなるか、もはや言うまでもないよね。
「そ、そんなの爆弾の中に閉じ込められているようなものじゃないですか!」
カミラちゃんが目尻に涙を浮かべながら抗議するけど、残念ながらそれが事実なんだよね。
「うん、的確な例えをありがとうカミラちゃん。だから絶対、火属性の魔法を使っちゃダメだよ。それから芹奈ちゃんも、鉄製の剣は禁止ね」
「つ、使わないわよ! 火花が出ちゃったらと考えるだけで恐ろしいわ」
私はすぐにセラミック製の剣を土魔法で作り、芹奈ちゃんに手渡した。これなら火花が出る心配はないからね。
「ありがとう有栖君。でもわたし、鼠を斬るのは嫌よ?」
「あ、やっぱり? 私も嫌なんだけど、仕方ないか」
私は覚悟を決めて、魔力を練り上げる。イメージするのは、ドロドロした沼地の風景。足を取られて身動きも取れず、自らが沈みゆくのをただ待つしか無い地獄の底無し沼。
『地獄沼』。私が今創り出した、敵の足元の地面を全て底無し沼に変えてしまうという、人相手に使うのは倫理的にアウトな土水混合魔法だ。
私達の方へ勢いよく走ってきていたネズミや虫は、まるでホイホイに引っかかったかのように身動きが取れなくなり、ゆっくりと沈んでいく。
更には奥に控えていた大型の魔物までもが、もがきながらもなす術なく地面に飲まれていった。そして最後には地面をまた元通りに固めれば、私達が沈む心配もない。
火花が散る心配もないのに、この圧倒的な殲滅力、これは次スタンピードに遭遇した時にも使えそうだ。素材の回収が出来ないという、悲しすぎる欠点はあるけれど。
少なくとも冒険者には絶対喜ばれないタイプの魔法だね。
しかしこれで終わりではない。トンボと蝿を足して二で割ったような見た目の気持ち悪い虫型魔物や、壁を這うように蠢くムカデとトカゲを合体させたようなウネウネした気色の悪い魔物など、難を逃れた敵も残っていた。
『地獄沼』の弱点其の二、壁に張り付く魔物や空飛ぶ魔物には一切の効果無し。
思ったよりそういった魔物の数が多くて、残党の数だけでも数十匹はいるのかな?
「あー、面倒くさいなー」
「それならここはわたしに任せて。鼠じゃなければ、大丈夫だから」
殲滅力が高くて火花を散らさない魔法は何がいいかなと迷っていたら、私が渡した剣を嬉しそうに構えた芹奈ちゃんが一歩踏み出した。
その瞬間、まるで稲妻が鳴り響いたかの如き轟音と共に彼女の姿が消え、次に姿が見えた時には周囲の魔物が全て斬り飛ばされていた。いや、それどころか斬撃の威力が強すぎて粉微塵になっている。
もはやそこには肉片すら残らず、ただ緑と赤が混じった不気味な色の血の海が広がっているのみだった。
「雷の呼吸壱の型、なんちゃって」
「さ、流石勇者。強すぎるけどそれ以上は自重しようね?」
こんな感じで私達は、勇者と転生吸血鬼という最強クラスの戦力を存分に発揮して第一層を割と簡単に攻略することに成功した。
あの後もCランクからAランクまで多種多様な魔物が襲ってきたけど、私達にかかればなんてことない相手ばかりだった。
それ故に油断していた。
今にして思えば、既に兆候はあったはずなんだ。いつになく口数は少なくなっていたし、魔法だって一度も発動していなかったのだから。
そして二階層まで降りた時、遂にカミラちゃんの身体に異変が生じたのだ。
「ア、アリス姉さん……。ごめんなさい、私、もうダメかもしれないです」
突然カミラちゃんが倒れ、その身体がゆっくりと、しかし確実に小さくなっていく。この症状は、間違いなく魔力欠乏症だった。しかも身体が縮む程となると、失った魔力は相当な量のはず。
私はカミラちゃんを慌てて抱き抱えると、すぐに『ヒール』を施した。すると少しは表情が和らいだものの、両手から感じる身体の熱は尋常ではなかった。
「やっぱり『キュア』じゃないと効果はないみたい……。カミラちゃん、これ飲める?」
私は彼女に魔力回復のポーションを、ゆっくり飲ませてあげる。
「あ、ありがとうございますアリス姉さん。大分良くなりました、けど……」
身体の収縮は止まったものの、発熱は全然治まっていない。どうやらカミラちゃんが罹ったのは、魔力を暴走、放出させてしまうタイプの疫病みたいだ。
そして脅威は、それだけに留まらなかった。
「……有栖君、あれ見て」
芹奈ちゃんが指差す先、そこにいたものを見た私は、まるで蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。
黄土色の瘴気を全身から放つソレは、息が詰まるような悪臭と共に現れた。
階段を降りてすぐのこの場所は、野池程度のサイズの大広間になっていた。
そこに立つのは、一匹のドラゴン。全身が腐敗していて、所々には白骨まで見えている。それでいて妖しく光を放つその双眸からは、生命の息吹が感じられる。
「ドラゴン、ゾンビ……」
カミラちゃんが倒れた今、最悪の状況で現れたその災厄は、私達に向けて容赦なくその爪を振り下ろした。