第二話 瘴気の洞穴
魔族領に来てから5日程経った頃。もう二度とキャンプなんてしないと泣きついてきた芹奈ちゃんとカミラちゃんの要望で、あれ以来ずっと『土要塞』で夜を過ごしてきた私達。
流石に私の作った拠点は突破されることもなく、『雑音相殺』のお陰もあってやっと安眠出来るようになったんだよね。それまで辛かったよ、本当に……。
そんなこんなで体調も万全、あと数日で最初の村に着くだろうと思い浮き足立っていた私達は、目の前に立ち塞がる物々しい光景に絶句していた。
「アリス姉さん、地図、見たんですよね?」
「勿論見たよ。あと二日くらいで村まで辿り着ける、はず、だったんだけど……」
「わたし、早くも帰りたくなってきちゃった」
「奇遇ですね、私もです」
私達は揃って膝から崩れ落ちて項垂れた。
「まさか、こんなでっかい山があるだなんて、聞いてないよ……」
そう、私達は今とんでもなく高い山の麓に立っているのだ。
そんな大きな山なら遠くから見えるだろうと思ったそこのあなた、違うんですよこれが。辺りには深い霧が立ち込めていて、視界は十メートルも無い程悪かった。
その上今歩いている道以外は鬱蒼とした森になっていて、こんなの道を外れたら絶対迷子になっちゃうよ。
なので私達は、自分達に『物理障壁』を施して、三人手を繋いで走っていたのだ。こうすれば仮に何かにぶつかっても痛くないし、はぐれることもないからね。
そして少し霧が晴れてきて喜んだのも束の間、目の前に聳え立つ山の大きさに腰を抜かしてしまったという訳だ。
「なんで地図にこんな重要なこと描いてないの? 作った人は馬鹿なの? 死ぬの?」
「随分懐かしいフレーズね、それ」
「むぅ、また前世の話ですか。ズルいです」
いや、そんなことより目の前の事をどうにかしようよ。
今私達がいる場所には、分岐路がある。これまた地図には載っていないけど、どうやら山を登るルートと洞窟を潜って抜けるルートの二つがあるみたいだ。
当然、山登りとなれば道はくねくねと曲がっているから距離は伸びるし疲労も溜まる。
更には濃霧が発生しやすい関係上、そんなくねくね道を走っていく訳にはいかない。勢い余って崖からダイブなんてことになったら、どれだけ時間をロスしてしまうか分ったものではないしね。
同じような理由で浮遊魔法で飛んでいくのも難しそうだ。そもそも方向感覚を見失ったら、そのまま遭難ルート一直線だ。
つまり私達が進むべきは洞窟ルート、なんだけど……。
「洞窟って、嫌な予感しかしないのよね。ゲームとかアニメだと大体酷い目に遭うし」
「それなんだよね……。正直行きたくないよ」
「私はアリス姉さんと一緒ならどこでも大丈夫です」
今だけはこのカミラちゃんの単純さが羨ましいよ……。
そんな彼女に押されて覚悟を決めた私達は、洞窟に入ってすぐにその選択を後悔することとなった。
「……有栖君、この洞窟マジでヤバいわよ」
頬に汗を垂らして戦慄する芹奈ちゃんの姿を見た私とカミラちゃんは、即座に武器を構えた。
しかし、彼女はすぐに私達を手で制す。
「違う、敵がいる訳じゃないの。でも、この洞窟はすごく危険よ。何故なら……」
芹奈ちゃんは私達に綺麗なハンカチを手渡しながら、こう言った。
「この洞窟の名前は、"瘴気の洞穴"。未知の細菌やバクテリアが漂う、正に死の洞窟よ。しかもそれだけじゃなくて、ここ……」
芹奈ちゃんは私達が来た道、洞窟の入り口を指差して肩を落とす。そこには既に道は無く、それどころか外の景色さえも見えなくなっている。
端的にいえば、入口が消滅していた。
「ダンジョンらしいわよ。それも災厄級指定された、とびっきり危険な、ね」
芹奈ちゃんはそう言って肩を落とした。まさかいきなりダンジョンに遭遇してしまうとは、私達も運が無い。しかも災厄級だなんて……。
この世界のダンジョンはゲームやアニメで目にするのとほぼ同じもので、いくつもの階層に分かれた魔物だらけの迷宮のことを指す。
しかし中に宝箱なんてものはないし、ボスを倒したらドロップ品があるとかいうこともない、ただの魔物の巣みたいな場所なんだよね。
それでも場所を選べば実質無限に魔物の素材を得られるから、金策として通う価値はある便利スポットなのだ。
当然ダンジョンによって難易度、つまり湧いている魔物の種類は違うから、下手に高難易度ダンジョンに初心者冒険者が入ろうものならアッサリと殺されてしまうくらいには危険な場所でもある。
私もフリークエストでポイントを稼ごうと思ってた時は、各地のダンジョンを調べたりしたんだよね。でもどこも大体遠いから、結局諦めたって経緯があったりする。
そんなダンジョンには難易度以外の指標があって、それが危険度と呼ばれるもの。
危険度には段階があって、下から下級、中級、上級、特級、災害級、災厄級、天災級と分かれている。
さっき言った素材集めのために挑むようなダンジョンは特級までのもので、その危険度は迷宮の構造や罠の数に起因している。
それより上の危険度に指定されたダンジョンに関しては、ギルドから侵入禁止を言い渡されているくらいの危険地帯なんだよね。
災害級以上に指定されるダンジョンには、大きく三つの特徴がある。
一つ、入ったらボスを倒さなければ出ることが出来ない。二つ、天候や地形、更には精神までを操作して人をダンジョン内に招き入れる。三つ、魔物や地形、罠以外に何かしらの危険要素があり、その危険性がダンジョンの危険度に直結する。
私達が迷い込んだのは上から二つ目、災厄級のダンジョンだ。芹奈ちゃんの"世界眼"によると、このダンジョンにおける危険要素とはすなわち"瘴気"だ。
"瘴気"とは、細菌やバクテリアが漂っている空気の事を指していて、当然そんなものを吸ってしまえは病気になってしまう。
地球で恐れられたペストやコレラ、マラリアといった感染症の病原菌がウヨウヨしてるようなものなんだから、危険極まりない。
こうしている今も芹奈ちゃんに"世界眼"を使ってもらってるけど、ものの数分で私の知らない細菌やバクテリアが百種類以上見つかっている。
つまり、未知の感染症に罹ってしまう可能性がとても高いのだ。
今は彼女から貰ったハンカチで口元を押さえて、どうにかそれらを吸わないように心掛けているけど、それもどれだけ効果があるのやら……。
しかも厄介なのが、私が得意としている『キュア』も、未知の感染症には効果が無いということだ。
あの魔法は病気の本質を知らないと効果が発揮できないからね。
いくら吸血鬼が不死といっても、病気には罹る。そして病気になってしまったら、治療法も無く苦しみ続けることになる。その上他の病気まで罹ってしまう可能性まであるんだ。
下手したら死ぬより辛い目に遭うかもしれない。そしてそんな場所から逃げ出す為には、最下層にいるボスを倒さなければならないとかいう地獄。
そしてもし瘴気を振りまいているのがボスだったなら、下層に行くほど瘴気も濃くなっていくと予想できる。
正に災厄級の名に恥じない、最悪のダンジョンだった。
「アリス姉さん、『転移門』は使えませんか? もう、私達にはそれに頼る他無いように思えますけど……」
「それは勿論試してるんだけど、ダメみたい。発動する瞬間に、突然魔力の流れが途切れる感覚がするんだよね。他の魔法は使えるみたいだけど」
私は目の前に『水球』を作り出しながら、溜め息を吐いた。
どうやらこのダンジョン、転移系魔法無効の結界まで張られているらしい。