第一話 魔の森
「こうやって焚き火を眺めながらお話しするのは、久し振りですね、アリス姉さん」
「うん。ずっと、忙しかったからね……」
「わたし、日本ではキャンプなんてしたことなかったから、新鮮でなんだか楽しくなってきたわ」
「暖かい火を囲んで座って、たわいのない話をする。これこそが、キャンプの醍醐味だよね」
私は淹れたばかりのホットコーヒーを一口飲んでから、ホッと一息つく。
「こんな状況じゃなかったら、もっと良かったんだけどね。ふぁ〜あ」
私が大きな欠伸をした次の瞬間、黒く大きな影が私達の前を横切った。残像が見える程の速さで走っていたそれは、突然空中でサイコロステーキのようにバラバラに刻まれた。
「……またつまらぬものを斬ってしまった」
「流石芹奈ちゃん、お見事〜。でもそれ、斬鉄剣じゃなくてただのアイアンソードだよ?」
「今日だけで何回目ですか? いい加減落ち着いてくれないと眠れないじゃないですか」
そんな呑気な話をしながらビスケットを口に運ぶ。あー、やっぱりブラックコーヒーと甘さ控えめなビスケットの組み合わせは反則だよ。美味しいな……。
でも、視界に映らないだけで私達を囲う黒い影の数は次第に増えていってる。いい加減邪魔だから、さっさといなくなって欲しいんだけどなぁ。
しかし、その影は全く怯む様子もなくこちらへと向かってくる。
「あー、二人とも。残念なお知らせが二つあります」
「聞きたくなーい」
「……もう眠たいです。勘弁してほしいです」
二人ともぐでーっと緊張感の欠片もなくチェアに身を任せて、今にも眠ってしまいそうな顔でボヤいた。
「じゃあ言うよ? 一つ目はこの森、思っていた以上に魔物の数が多いみたいだね。既に魔除けのお香を撒いた範囲の外にはうじゃうじゃ魔物がいるみたい」
私の言葉に、二人からの返事はない。仕方ないので。私は構わずに続けた。
「二つ目はその魔物達、全くお香が効かないみたいなんだよ……、ねっ!」
突如背後から放たれた炎を『水球』で打ち消し、その方向へ『水刃』で追撃する。
グシャリと、肉片が血の海へ落ちる嫌な音が夜の森に響き渡り、折角の良い気分が台無しになる。
「アリス姉さんの『土要塞』に籠るのはダメなのですか?」
「えー、わたしはこのテントキャンプの雰囲気が良いなーって思ってたのに。……まあ、そうも言ってられないみたいだけどさ」
「それじゃあ私は拠点を作るから、二人で対処お願いね」
「分かりました。快適な拠点をお願いしますね」
「結局今夜も殺戮かー。ま、やってやるわよ」
全く、どうしてこんなことになってしまったのやら。私はうんざりしながら、『土要塞』の作成を開始するのだった。
◇
王都での騒乱の果てに、私達は正式に魔族領へ出立することになった。でも、すぐに出発する訳にはいかない事情もあったんだ。
それが、【要塞都市フォルト】の復興支援だった。王様に要請して受諾してもらったとはいえ、私自身が全く支援しないのはどうかと思ったんだよね。
それにサイガさん達の最期を知った今、もう一度彼らの慰霊碑にお参りに行きたくなったんだ。天国にいるのか私みたいに転生しているのかは分からないけど、彼らの冥福を祈らずにはいられなかったから。
当然、暇してた両親も連れ出した。ギルマスとも知り合いだったみたいだし、連れて行くのが筋だと思ったしね。
それからは三週間くらいフォルトにいたと思う。毎日建物を修復したり、今尚怪我や恐怖心に苦しむ人々をケアしたり。
そんな中、フォルトの復興に一番貢献したのは芹奈ちゃんだった。彼女は滞ってしまった物流の支援のため、サスペンションが付いた新型の馬車を開発したらどうかと提案したのだ。
私はすぐに設計図を作り、フォルトの職人さん達に託した。その結果、この世界で初めてとなるサスペンション付きの馬車が誕生したのだ。
この馬車はフォルトの商人達に「革命的だ」と感動され、とても重宝された。そしてサスペンションの作り方はフォルトの鍛冶屋だけに教えたから、この馬車を買いたければフォルトにやって来る他ない。
この情報をレイさん達に流してもらうと、程なくして評判を聞きつけた商人達が大勢やって来た。
馬車は飛ぶように売れた。そして当然馬車一台の値段は物凄く高額で、尚且つ元々使っていた馬車を下取りすることでその素材も手に入るのだから利益率はとても高かった。
そして商人が来るということは、当然その護衛も大勢フォルトに訪れた。彼らは上質なフォルトの武器や防具を買っていくし、屋台のご飯を食べ、旅に必要な物資を買っていき、当然宿にも泊まる。
物資や食料については王様が手厚く補助してくれて、心配する必要が無くなってたのも大きかった。この補助がなかったら、一気に食糧難になっているところだったよ。
ともかく、こうして一気に大量のお金がフォルトに落とされ、想定よりも速く私たちの手を必要としない程度にまで復活することが出来たのだ。
勇者芹奈ちゃんの案が、一つの都市を救ったんだ。
それを祝って開かれた宴の席で、お酒を飲まされた芹奈ちゃんが酔っ払って私にキスをしたり、それに対抗したカミラちゃんが襲って来たりとてんやわんやの大騒ぎがあったりしたけれど、それはまた別のお話だ。というよりあんまり思い出したくない。
こうしてフォルトの復興を成し遂げた私達は両親を家に帰してから、いよいよ魔族領へと踏み込んでいくことになったんだ。
しかし魔族領はフォルトから非常に遠く、飛行魔法を使っても軽く一ヶ月くらいかかってしまう。
なので私は、『転移門』を使うことにした。魔族のカイドさん達を送った湖かアイラ達を送った花畑かで悩んだけど、結局私は湖を選んだ。
一応、他の人からサリィという名前を聞いたのはカイドさんが最初で最後だったからね。少しでも情報を得られる可能性の高い方を選ぶなら、こっちかなと思ったのだ。
しかし、芹奈ちゃんの存在が問題だった。
カイドさん達はあの場では引いてくれたけど、もう一度芹奈ちゃんと会ったら戦いになるかもしれない。
その可能性がある以上、迂闊に彼らと接触することは憚られた。例え『擬態』しようとも、いつどこでボロを出すかは分からないしね。
芹奈ちゃん、ちょっとポンコツなところあるし。
なので湖に転移した後、芹奈ちゃんとカミラちゃんに隠れてもらった上で、私だけが街へ地図を買いに行った。当然、『擬態』で姿形を変えた上でね。
カイドさん達の街にサリィがいないことは確認できているから、私達はまず大都市である魔王城の城下町を目指すことにした。
しかし地図を見ると城下町まではかなり遠くて、物資や食料のことを考えると四つもの街を経由する必要がありそうだと分かった。
ざっと見た感じで、最初の街まで徒歩で二週間弱くらいの距離がある。
魔族領で飛行魔法を使うのは目立ちすぎると考えた私達は、仕方なく走って移動することにした。
でも、いくら身体強化で速く走れるとは言っても一週間はかかる程の距離。当然、私達は毎日野営をする羽目になった。
そしてどうせ野営するならキャンプしようよと芹奈ちゃんが言い出したのだ。女の子達がゆるくキャンプするあのアニメにハマってたみたいだから、したくなっちゃったんだろうね。
私もそうだから、気持ちはよく分かる。
問題だったのは、ここが魔族領だってことを失念していたことだ。
初日、呑気にお肉を焼いてワイワイ喋っていたら、突然一つ目の狼みたいな魔物に襲われた。
当然アッサリ倒したものの、それからというもの次から次へとこの狼が襲って来て、結局徹夜して戦う羽目になったのだ。
そして今日、徹夜明けということで皆んな睡魔に襲われている中キャンプを結構した結果こうなった。
眠すぎて思考力が低下してて、『土要塞』で寝るという考えに辿り着くまでに時間を掛けすぎた。
辺りは既に血の海と化しており、鼻を突く鉄の匂いと生臭い臓器の臭いが混ざり合い、猛烈な不快感を与えて来る。
「あーもう、早く寝させてー!」
その血溜まりの中心にいる芹奈ちゃんの悲痛な叫びに苦笑しながら、私はどんな内装にしようかなと頭を巡らせるのだった。