幕間 とある夜の一幕③
遂に、長い長い王都騒乱編が終わりを迎えました。
明日からは、アリス達の新たな旅が始まります。
そしてなんと、本作のPV数が10万に到達しました!
読んでくださった方々、本当にありがとうございます。
これからも引き続き、アリス達の旅を見守っていただけますと幸いです。
「……次は失敗しないとは、誰の言葉であっただろうか。なあ、レオよ」
「面目ないとは、まさにこの事かね。申し訳ありません、ご主人様」
暗い書斎の中に響くのは、言葉とは裏腹に反省の欠片も見えない傲慢な態度の男の声。
そんな男の態度に、部屋の主である背の高い男は呆れたような溜め息を吐き、舌打ちする。
「そんな怒るなってご主人様。前にも言ったが、吸血鬼はヤベェんだよ。しかもアリスの方までその吸血鬼になってやがったんだ。生きて帰ってこれただけ僥倖だったさ」
「それについても、以前人間である内に始末できなかった貴様に原因があるのだがな。その上"人形"を使った上で敗北するとは」
「それこそ予想できるかっての。万が一のために態々あの忌々しい魔道具まで持ち出したってのに、アリスの奴自力で無力化しやがった。俺にはその原理すら分からなかったくらいだ。アイツは天才だ、間違いなくな」
レオはやれやれと首を振り、それから部屋の主を睨みつける。
「その上、カミラは昔アンタが取り逃がした人間の魔法使いが使っていた杖を持ってやがった。お陰で折角用意した"人形"は全く意味を為さなかったんだぜ?」
暗にお前のせいだと言われた男は僅かに不快感をその目に宿す。その瞬間溢れた殺気は、それだけで脆弱な人間程度なら即死するであろう程のものであった。
「おー、怖。まあ、負けた要因はそれだけじゃねえ。こっちは魔族全体に関わる脅威なんだが……、勇者の"世界眼"は既に覚醒している。早いとこ始末しねぇと手に負えなくなるが、これまた面倒な事に吸血鬼二人と仲良しこよしと来たもんだ。こうなっちまったら、俺一人でどうにかなる問題ではないだろう?」
「……そうか。では貴様も覚悟を決めるのだな。あの者どもと共闘する覚悟を」
男がそう言葉を発した瞬間、それまでヘラヘラしていたレオの表情がスッと消える。
「ご主人様、本気で言ってるのかい?」
「無論だ。一人で勝てないのであるならば、当然のことだ」
「だが、仮に俺達全員で共闘したとして、勝てるかどうかは微妙なところだぜ。勝算も無いのにあのクソどもと共闘するなんて御免蒙りたいものだ」
レオは依然として氷のように冷たい無表情を浮かべながら舌打ちした。
「身から出た錆というものだ、諦めるのだな。それに、勝算の無い戦いへ貴重な駒を送り込む程、我は無能ではない」
男はそう言って、部屋の入り口に立ち続けている子供ーーマルコ・フォン・ベルマン、正確には彼の持つ剣と鎧へと視線を向けた。
それを見たレオは目を細めて、男を睨む。
「……娘さん、使うんですかい?」
「ああ。最早迷っている場合では無いだろう。それにあの子が持つ唯一無二の力、あれを利用しない訳にはあるまい」
「"聖魔反転"の秘術、か。確かに娘さんなら聖剣だろうが聖衣だろうが使いこなすだろうさ。だがいいのか? あの力は、我らが神を信仰する者にとっては言語道断、不倶戴天の情を与えるものなんだぜ?」
「当然民衆が反発するであろうことは理解している。だが、手を組んだ吸血鬼二人と勇者が相手と言えば、説き伏せることは可能であろう」
「……まあ、ご主人様のカリスマ性を俺が疑うのは野暮ってもんか。しかし、あの子が素直にご主人様の命令に従うのかね?」
「問題ない。標的を仕留め損ねた以上、過去の記憶は邪魔になるだけだ。既に記憶は消してある」
あまりにも呆気なく発せられたその言葉に、レオは息を呑んだ。
「ご主人様、失礼を承知で言わせてもらうが……、正気か? 人の性質を決めるもの、そして人を動かす原動力になるのは記憶だ。自分の娘からそれを奪う事の意味、理解しているのか?」
「愚問だな。何万もの魔族の命運が掛かっているのだ。たった一人の愚かな娘の記憶など、天秤にかけるまでもないものだろう」
男は、眉一つ動かす事なく淡々と答える。そのあまりにも感情の無い声に、レオは戦慄した。
「……そうか、ご主人様の考えは分かった。もう俺が何を言おうと状況は変わりはしないんだ。なら俺は、黙ってご主人様に従うまでだ」
レオはそれだけ言って立ち上がり、部屋を出て行った。男はその背中を見送った後、残されたマルコに聖剣と聖衣を箱に仕舞わせた後に彼を気絶させた。
そして窓の外に広がる紺青の空を眺め、一人呟く。
「分かっているのだ、私が狂っていることなど。だが許せレオ、そしてサリィ」
彼はレオには決して見せなかった苦悶の表情を浮かべながら、引き出しに手をかける。取り出したのは、漆のように艶やかな黒髪を持つ女性の絵だった。
「待っていてくれ、フローラ。我が必ず、お前を救ってみせる」
男の呟きは、誰にも聞かれる事なく夜空に溶けていく。
次の瞬間には彼の顔に苦しみの色は無く、淡々と書類に目を通し始める。
彼の胸の内に秘めた想いは誰にも悟られる事なく、しかし蒼炎のように静かに燃え続けているのだった。