第一話 始まりの森
私は何故、空を見上げているのだろう。どうして、身体がピクリとも動かないのだろう。
両腕とお腹と、右脚が温かい。動かすことは出来ないけれど、そのヌルッとした温もりは、決して軽くはない怪我をしていることを示しているのだろう。
そして、段々と体の熱が奪われていく感覚。これはきっと、血が出ているんだ。不思議と痛みは感じないけれど。
そうか、私は大怪我をして仰向けに転がっているんだ。
どうして私は、こんな目に遭っているんだっけ……?
さっきまで、幼馴染のサリィと一緒に森の中で遊んでいた。お家からちょっと離れたその場所は、美味しい実のなる木が沢山あるし、魔物とかも立ち寄らない安全な森。
だから何度も遊びに来ていたし、お使いを頼まれて一人で木の実を取りに来たこともある。
そもそも村の周りに魔物はいない筈なんだ。お婆ちゃんも、この村は魔物に一回も襲われたことがない、平和なところなんだよって言ってた。
……でも、違う。それは、偶々出会わなかったっていうだけのことだったんだ。
魔物がいたんだ。何度来ても安全だったし、お母さんも、村の人達だって魔物なんて見たことないって言っていたのに。
サリィとお花の冠を作って遊んでいた時に突然現れたソレは、血のように赤黒い毛並みで、私の背丈の4倍はあるんじゃないかというくらい大きな怪物だった。
レッドグリズリーと言われる、Bランクに相当する魔物。熟練の冒険者が4人パーティーを組んで倒しに行くような、とても危険な怪物。
私は、サリィの手を引いて頑張って走った。必死に走って、走って、走っている内に、自分が何処にいるのかも分からなくなってしまった。
レッドグリズリーは、私達をずっと追いかけてきた。本気を出せば子供の足になんて負ける筈がないし、私達はきっと遊ばれていたんだ。疲れて動けなくなったところを、ゆっくり食べるつもりだったんだ。
そして、私達の体力が限界寸前になったとき、更に絶望的な状況に追い込まれた。
目の前に、崖があったんだ。
あの森に崖があるなんて知らなかった。こんなに奥深くに来たことなんてなかったから。
あらゆる状況が絶望的だった。
後ろにはレッドグリズリー、目の前には崖。正に袋の鼠。そもそも森の奥に来てしまった時点で、村とは逆方向に逃げてしまったということ。つまり誰の助けも呼べないんだ。
まだ5歳の、"適正検査"すら行っていない女の子2人が生き残るなんて無理なことなんだって、分かってしまった。
私は泣いた。この世の理不尽さを呪うように、恐怖に高鳴る胸の鼓動を掻き消すように、大声で泣いた。
でも、サリィは泣かなかった。まるで子供をあやすように優しく背中を撫でてくれた。それどころか、大丈夫だよと笑いかけてくれた。
何が大丈夫なもんか。私達はこれから、生きたままあのバケモノに食べられるんだ。それを、どうして呑気に笑っていられるんだ。
私は、八つ当たりでそんな酷い言葉をぶつけてしまっていた。
私は、なんて醜い人間なんだろう。自分のことばっかりで、サリィだって同じくらい怖かっただろうに、八つ当たりして。今思うと、私は親友に最低なことを言ってしまったんだ。
……それを聞いていたサリィは、悲しそうな顔をして一言「ごめんね」とだけ儚げに呟いて、私を崖の下に突き飛ばしたんだ。
その時は、意味が分からなかった。酷いことを言ったから、サリィは私を殺そうとしたんだと思った。
途中何度か崖に身体を叩きつけ、それでも最後は木々がクッションになってくれたから死なずに済んだんだ。途中木の枝でお腹がザックリ裂けた気もするけど、死ななかった。
サリィは、私を助けてくれたんだ。
……そうだ、サリィは。サリィは何処にいるんだろう?
サリィも一緒に崖を飛び降りたんだろうか。それともまさか……、いや、考えたくない。
探さなきゃと思って力を入れて、それでも全く動かない身体にイライラする。
こんな時に、私も魔法が使えたらよかったのに。
風魔法を使えば空を舞える。光魔法が使えればケガを治せる。そうすれば、サリィを探すことだってできる筈だ。
でも、魔法なんて非現実的な力が存在する訳がない。
そんなもの、御伽噺やゲーム、漫画の中にしか存在しない想像の産物だ。
……?
いや、そんなことはない。子供はみんな、7歳になったら“適性検査"で魔法の適正を調べてもらうんだ。
どれくらい魔力を持っているか、どの属性に適正があるのかを、街の教会で教えてもらう一大イベント。その時の適正が将来の職業選択にも繋がる、正に運命の日。
そんなものがあるのに、魔法が存在しないなんて、あり得ない。それに、ゲーム? 漫画? なにそれ?
……いや、私はそれを知っている。
そうだ、私は、私の名前は星川有栖。
海に転落して死んでしまった、哀れな高校生だ。