鉄の鳥
「まあそんな訳だ、俺はお前のカミさんを殺すつもりはねぇし、お前も俺のことは殺さない、良い交渉じゃねぇか」
ふんどしが丸見えなのも気にせず、艶めかしい太ももを露出させた大英雄が笑う。
誰もいない茶の間とはいえ、正座でもしたらどうだと少し思う。
この表情が偽られているか真かどうかなど自分には到底分からない、強者と話すことなど今回が初めてで、内心震えが止まらなかった。
気づかれないように細く息を吐き、私はその提案を飲み干す。
「その方が、貴方にとっても都合がいいでしょうね、賢明なご判断と提案、感謝の言葉もありません」
腰に手を当て、少しだけ頭を下げる。
「――――チッーーーー」
深いため息を吐いた大英雄は、顎に手を置いて言った。
「上下関係の法則も知らねぇみたいだなぁ生温い戦国の大将サンよォ、今のお前の首の角度を下が見てみろ、次の瞬間にはお前の首と胴は泣き別れだぞ」
余りの恐怖に頭を下げようとしたのは良いものの、気迫と殺意が籠った言葉が頭をよぎり、恐怖で瞬きしかできなくなった。
ものの数秒で体中の内臓が火を噴くほど熱くなる、額から汗が噴き出始め、目の前の女から目を逸らさないようにするだけで一日の体力を使い切りそうになる。
「・・・・・・・・」
大英雄は顎から手を離し、私の目を見据える。
殺意でも怒りでも、そう言った感情とは真反対の声色で。
「交渉成立、ってことにしといてやるよ」
ゆっくりと立ち上がり、大英雄は戸を開ける。
「俺は風呂に入る、その間に入ってきた奴はお前の家臣だろうが何だろうが殺す」
大英雄は振り返らないままそう言って、戸を閉めた後廊下を駆けて行った。
「・・・・・・・・・・」
静まり返った自分だけの空間に、死ぬほど嫌気が刺す。
まともに話すどころか、同じ土俵にすら立てない自分に。
こんな時、あのお方ならどうするのだろうか。
怒って物を投げつける?刀を抜いて戦う?
少なくとも、今の自分のように無様は晒さないはずだ。
「・・・・・・・・・疲れているな、私は」
ため息をつき、持っていた水筒に手を掛けた。
その時だった、大英雄が出て入った戸が、勢いよく開かれたのは。
余りの勢いに戸は破壊され、驚く間もなく声が発せられる。
「明智様!一大事にございます!」
浴衣を着た男が押し入り、異常なほどの気迫と罵声を浴びせる。
私が何かを言う前に男は膝を付き、頭を下げながら言った。
「率直にお伝えします、友好国である明が滅びました!」
「!?、何を馬鹿なことを・・・・・・」
「驚くべきは此処だけではありませぬ、滅ぼしたのは奥方、煕子様にございます!」
持っていた水稲が手から滑り落ち、水が畳に染み渡る。
浴衣の男は拳を握りながら、事態を報告する。
「先刻の羽柴・毛利連合全滅の件からここ本能寺城及び安土城にも帰還なされておらず、奥方が通ったと思われる道跡には無差別に血の海と例の黒き蛍が飛び交っておりました、足軽などを船に調べさせましたが、明の海域周辺にも例の蛍が飛び交っております」
私は危うく、男の喉笛に掴みかかるところだった。
だってこんなの耐えられない、裏切った自分への因果応報が、裏切りだなんて。
「如何なさいますか、海には蛍、辿り着いた陸には何があるか分かりませぬ」
着物の男は歯噛みした、打つ手がないことが、何もできないことが悔しいのだろう。
「・・・・・・・空でも飛べれば、話は変わるのだがな」
少しだけ、主君のようなことを言ってみる。
(ああ、なるほど)
浴衣を着た男の罵声など気にせず、私は笑った。
(確かに、ふざけたことを言うのは、愉快でした)
今頃、彼は何をしているのだろうか。
もしかしたら、もしかすると、本当に空を飛んでいるかもしれない。
だってあの人は、自分が見てきた誰よりも面白かったから。
「あん?なんだぁあれ」
船に乗った半裸の男が、太陽を片手で隠しながら空を見上げる。
「何だよ、鉄砲がねぇから鳥がいても狩れねぇぞ?」
「あ、いや、鳥なのか?あれ?」
「はぁ?何言って・・・・・・・」
男が指を指すその先を、もう一人の男は見据え、絶句した。
「・・・・・・鳥か?あれ」
「さぁな、俺の見立てが正しけりゃぁ・・・・・」
自慢気な顔で、半裸の男は言う。
「ありゃ、体が鉄の鳥だなしかも相当でっけぇな」
船に乗っていた男が笑いだす。
「何だよそれ、そんなのいる分けねぇだろ?」
「いいやあれは鉄の鳥だね、飼い慣らせば背中にも乗れるかもしれねぇ」
「俺たちを乗せることができるほどのでっけぇ鳥、ましてや鉄の体ときたら、そりゃぁもう化けもんじゃねぇか?」
「いいやあるね!少なくとも俺たちの孫子の代、天下泰平が成し遂げられる頃にはいるね!」
「じゃあもうすぐだな、その鉄の鳥ってやつに乗れる時が来るのは」
はっはっはっ、そんな笑い声が、会場から何メートルも離れた鉄の鳥に届くことは無い。
そしてその鳥に乗る五人の叫び声が届くことも無いのは、また別の話である。




