異国の言葉
街を歩きながら、細かな所をよく見てみるとここが日本ではないという事実がどんどん強固になっていった。
看板に書いてある文字らしきものは自分の国の物とは全く違い、耳を傾けてみれば人々の口から出る言語は全く聞き取れなかった。
どうにかしてこの呪文のような言葉を理解してやる、そんな子供じみたことを考えていると。
「何をやっているのですか、置いていきますよ」
透明で無感情な少女アメリアが、鬼の形相で看板を睨む信長に言った。
「ちょっと待てアメリア、儂は今この異国のへんちくりんな文字を読んでいるのだ、少し黙っておれ」
片手を上下に振り、信長は目を細める。
一歩下がって看板を眺めたり、今度は近づいて見たりする。
「……そうか! この言葉はポルトガル語じゃな!」
指を鳴らして手を叩く信長、アメリアは目を見開いた。
「驚きました、信長公でもやればできるんですね」
「じゃろう!? ほれもっと褒めてもいいんじゃぞ?」
「それで、此処には何と書いてあるんですか?」
ぎくり、信長の顔が引きつる。
正直言って何書いてるか分からない、文字は見た事があるだけで読みは出来ない。
だがここは信長、強がりの高笑いをしてあてずっぽうで言った。
「厠じゃな⁉」
「いいえあれは私の後ろの木々の歴史を記した看板です、それにこの近くにトイレ……厠はありません」
しーん、沈黙が場を包む。
だらだらといやーな汗が流れる信長に、アメリアは無表情に追い打ちをかける。
「まあ別に、異国の言葉をすぐに読めるほどあなたには期待していませんでした、しかし…かの信長公ならもしかしたら……と思った私がいたのも事実です、せめてもっとマシな回答をしてほしかった」
「ええい黙れ黙れ! 何が異国の言葉じゃくだらん!」
論破されかけた信長はアメリアから目を逸らし、キリキリと歯ぎしりしながら歩いて行った。
そして何歩か歩いた後、後ろを向いてアメリアに怒鳴り散らす。
「ほれ、さっさと行くぞ! 道が分からないんじゃ行くところにも行けぬわうつけ者!」
そのまま信長は手をぶんぶん振り、「早くこっち来い」と言いたげな顔をした。
アメリアはしばらくそんな信長を見ていた。
反応を示さないアメリアにしびれを切らしたのか、信長は一人で歩いて行ってしまった。
ポツン、と、ベンチの前で一人寂しく立っているアメリアは、当たり前のことを一言呟く。
「……うつけの意味がバカって、本当なんですね」
まだ信長の姿が見えるうちに、アメリアは駆け足で背中を追いかける。
一応言っておくが、アメリアは何も悪くない、悪いのは信長だ。
そんなこんなで、何とか仲直りした二人は街中を仲良く(?)歩いていた。
「さっきからずっと歩いているが、一体どこに向かっているんじゃ儂ら」
「説明してもあなたは怒るので着いてから話します、もうすぐですよ」
アメリアの相変わらずな顔と声に、信長は腕を組んでため息をついた。
何処か心配そうに、疑り深く。
(儂、昨日家臣に裏切られたばっかなんじゃよなぁ……)
燃え盛る本能寺のことが頭から離れず、さすがの信長でもトラウマとなっているのだ。
また火あぶりとかやめてよーもー、そんなことをぶつぶつ言うが、やっぱりアメリアは反応しない。
「着きましたよ、通り過ぎてどうするんですか?」
ふぁ? 信長がハッとして目を開けると、後ろの方でアメリアが小首を可愛らしく傾げていた。
アメリアは顎に手を当て、小さな声で呟いた。
「そう言えば……信長公は御年47歳……脳の衰えが気になるお年頃ですよね…」
「聞こえてるからなー、家臣が主の悪口言うとか前代未聞じゃぞー」
ほんと処刑しないだけありがたいと思ってほしいのう、半ばあきらめムードの信長はアメリアの下にとぼとぼ歩き、目の前の建物を見た。
「それにしても……これは……」
信長は目を細めた。
何処にでもあるような一戸建ての家、特に何の特色も無く、面白さもなんも無い。
「ただの一軒家ではないか! 儂へのサプライズ犬山城とかじゃなかったのか!」
「そんなものありませんし、一軒家に住んでる人に謝ってくださいぶっ飛ばしますよ」
珍しく暴言を吐いたアメリアの無表情な殺気に、稀代の戦国武将織田信長も少したじろいだ。
だがすぐに咳払いをし、ドアノブに手を触れる。
「えー……まあ、とにかくだ、ここに入ればいいんじゃろ?な?」
「はい、そして一軒家を馬鹿にした罰で私の足つぼマッサージを受けてもらいm
「お邪魔するぞぉ!」
殺人拳が炸裂する前に、信長は部屋に逃げ込んだ。
「逃げるな! 一軒家の誇りを侮辱するなっ!」
なんか異様に一軒家へのこだわりが強いアメリアが信長の腰に突っ込む。
「ーーーーーーーあ」
グキリ、その中年なら誰もが頭を抱える音が響くとともに、信長は腰を抑えて倒れた。
(やばい、腰やってしもた…)
激痛の中、信長は腰をさする。
だがアメリアは腰を抑えてもだえる信長に、無情にもレスラーの如く飛び乗った。
「とーい」
やる気のなさそうな声が響くとともに、信長の意識が激痛によって遮られる。
ぴくぴくと痙攣する信長を見て、プチ復讐が完了したアメリアは信長から飛び降りる。
「今度から一軒家を馬鹿にしたらこうなることを思い知ってくださいざまあみろイエーイ」
アメリアは無表情なまま謎の喜びの舞(?)を踊り、顔ではなく体で感情を表現する。
と、アメリアがかわいらしく踊っているところに、足音が一つ。
「手荒なことはするなって、言ったはずなんだけどね」
金平糖が入った籠を抱えたその男は、呆れた様子で痙攣している信長を見た。
アメリアは踊りながら男に言う。
「一軒家を馬鹿にされたんです、仕方がありません」
「うーん、まあそういう事にしとくか」
苦笑いでソファーに座り、コーヒーを啜る。
「でも、死なれちゃあ困るのは君も同じだろ?」
片目を閉じ、男は言う。
アメリアはぴたりと踊りを止め、両手をだらりと下げる。
男はそれを見て目を閉じ、親指で自分の後ろのドアを開けた。
「あっちにベッドがあるから、その人を連れてってあげて、ぎっくり腰は辛いからね」
こくりと頷いたアメリアは、信長を小さな体で背負い、ドアを開けベッドがある部屋に行った。
ガチャリ、と、ドアが閉まった部屋の中で、男は金平糖を齧る。
甘ったるい、非常に甘ったるい。
コーヒー啜ろうが血を流そうが、甘さも欲も洗い流せない。
「まあでも、彼が来たなら話は別さ」
そう言って、男はコーヒーを飲み干す。
「君を歓迎しよう、織田信長、戦国の世を終わらせる「はずだった」君のその力、僕たちの願いの為に使わせてもらうよ」