もしもの始まり
銃声は、確かに鳴った。
乾いた音が鳴り、確かに肉を貫いた。
しかし、銃弾は儂の体を貫いてはいない。
「勝手に死なれては困ります、あなたはバカなんですか?」
透明な少女の声が響くと同時に、儂に銃口を向けていた兵士が、倒れた。
血が地面に水たまりを描き、鼻につく匂いが兵士を戦慄させる。
他の兵士が銃を向けるが、その前に少女の銃弾が眉間へと突き刺さる。
全ての兵士が倒れ、縛られた儂は唖然とする。
「まああなたが織田信長なら納得は行きます、何せあなたは尾張の大うつけ、つまりは馬鹿なんですから」
銃口から煙が出ている銃を、少女は首から掛けているポーチに入れる。
よく見ると、綺麗な女の子だった。
白いひらひらの着物の上に分厚く赤い着物、下には赤に金色の刺繍が施されたひらひらに、膝まである白くきれいな靴下、その下には赤色の変わった下駄を履いていた。
目は透き通った青色で、首によくわかんないのが掛けてあり、金色の髪はうなじにぴたりとくっつくように、紐ような物でまとめてあった。
少女は首にかけてある小包から変わった小刀を出し、儂の手足を縛る縄を切りながら言う。
「まあ馬鹿でも戦力は戦力、助けて損はありません」
少女はそう言って、雪のような白い手を差し出した。
「立てますか?」
儂はハッとして、自分で起き上がる。
「ああ立てる立てる、それにしてもお主、中々肝の座ったおなごじゃな」
「?『キモノスワッタ』とは何ですか? あなたの国のおまじないか何かですか?」
不思議そうに尋ねて来る少女に、儂は首を横に振る。
「違う違う、肝が座ったって言うのはな…あー、なんだろうな」
少し悩んだ末に、儂は自分を指差し、大声でこう言った。
「ほれ、儂みたいな男のことを言うのじゃ!」
「そうですか」
「反応薄っす……」
少女の反応の薄さに儂は少し拍子抜けし、肩をがっくりと落とした。
ぶつぶつと文句をこぼす儂、それを見た少女は無表情に儂を見つめた。
儂は少女の視線を感じ取り。
「何だ? 儂の顔に変なモノでもついてるか?」
と尋ねた。
すると少女は首を横に振り、何気ない様子で儂の後ろの方を指さした。
「いえ、あなたの顔がどうかしたわけではなく、後方に追手が来ていr」
言葉を紡ぎ終わる前に、儂は少女を抱え、走り始めた。
ビュウン!と、街中を全力疾走する儂は、米俵の如く抱えた少女の尻を叩いた。
「儂を助けた事は褒めてやる、じゃがな! 逃げなかったことは切腹物の大失態じゃ馬鹿モン!」
「切腹の意味は分かりませんが、敵兵の接近を伝えてなかった事は謝罪します」
余りにもあっさりと謝られたものだから儂はズッコケかけ、体勢を崩しそうになる。
「こなくそっ!」
だがそこはジャパニーズド根性で持ち堪え、何とか体制を崩さないまま全力疾走した。
道行く人々を華麗に避けながら、儂は走り続ける。
これが何ともまあお上手なこと、人を抱えて走ったのは初めてのくせに、道を歩く人々には指一本触れてはいない。
しかもこの男、自分では意識せずにただ自分の勘と運動神経を頼りにしているだけだ。
常人なら人を避けようとしてぶつかるか、少女を落っことすとか、そんなことになりかねない。
にも拘らず、この男は岩の間を流れる水の如く、止まることを知らずに走り抜けていく。
儂は自分の後方にいる追手を見ながら、米俵のように抱えている少女に尋ねる。
「おい小娘! 名はなんという⁉」
「今は逃げるのが優先されると思いますが、なぜ私の名を?」
抱えられながら儂の方を向く少女が落ちそうになったので、ヒヤヒヤしながら抱え直した儂は半ば怒鳴り散らす形で言った。
「自分の家臣を小娘小娘呼んでる天下人なんて儂は聞いたことがない! いいからはよう言え!」
少女は小首を傾げ、落ちかけたゴーグルを片手で押さえながら儂の問いに答えた。
「……私の名前はアメリア・イアハート、世界で初めて空を飛び、そして空で死んだ女です」
少し歯噛みしたのか、声に何か嫌な感じがした。
「ところで、その「かしん」と言うのは何ですか?」
儂はまたズッコケかけ、二度目のジャパニーズド根性で持ち堪えた。
「お主は儂を馬鹿にしておるのか!」
「意味を聞いただけですが」
無表情に言われた儂は少女を投げかけたが恩があるのでやめた。
「いいか? 家臣って言うのはえらぁ~い人に仕える者のことを言うのじゃ、儂のような大名の家臣になった者は喜ぶのが普通なのじゃぞ?」
ここに秀吉がいればなぁ、と、自分の優秀な猿顔の家臣を思い浮かべた儂、今頃あいつらどうしてるんだろうなー。
ちょっと部下が恋しくなってきた儂だったが、それはフラッシュバックしたアメリアの言葉によって砕かれた。
「ちょっと待て、お主空を飛んだのか?」
走りながら、ちょっと楽しそうにしているアメリアに聞く。
少し間を置いて、アメリアは小さな声で言った。
「まあ、はい、飛びました、太平洋を一人で」
「たいへいよう?何じゃそれ」
ちょうどよい所にハシゴを見つけた儂は、アメリアを抱えたままハシゴを掴む。
「空かぁ、天下人の儂でも空は飛んだことはなかったなぁ……」
たいへいようってのは分からんがな、と付け加えた儂に対し、アメリアは小さな声でぼそりと言った。
「……良いことなんてありませんよ」
「んあ?なんか言ったか?」
「いいえなんでも、それより追手を撒けたようですよ」
ふぇ? と、間抜けな声を出した儂が後ろを向くと、そこには銃やら剣やらを持った兵は何処にもいない。
あと少しで屋根の上に登れるところだった儂は、ほっと一息をついた。
「あーしんどい、ってかお主自分で歩いて欲しいな」
「あなたが勝手に担いだんですよね?」
あーそう言えばそうだったな畜生め、冗談の通じないアメリアにちょびっとイライラしてきた儂に、アメリアは尋ねる。
「ところで、いつまで登るんですか? もう逃げる必要も無いですしさっさと降りましょう」
「ん、ああ別に大したことじゃない、ここまで来たんじゃ、この街の景色でも拝もうかと思ってな」
そう言って儂は屋根の上に登り、アメリアを降ろした。
ビュウン、と、少し強めの風を片手で遮りながら、儂は目を開けた。
「……おぉ」
手をだらりと下げ、儂は目の前に広がる世界を見た。
言葉が出ないほど、美しい世界を。
そして何より、自分がいた場所では見られなかった世界を。
「……此処は、何処だ?」
広がる景色が目に焼き付く中、儂は自分の隣で座っているアメリアに聞く。
アメリアはゆっくりと立ち上がり、儂の問いに答える。
「此処はポルトガル、あなたの国からおよそ10000キロ以上離れた場所にある国です」
「ポルトガル……」
アメリアの方を向くことなく、儂はほぼ反射的に。
「良い、国じゃな」
心の底から、そう言った。
アメリアはそんな信長の顔が、どうしても気になった。
だから同じ気持ちになってみようと、同じ方向を向いて、同じ景色を見る。
地に根を生やし生きる緑、人が作った色とりどりの屋根の色。
何がそんなにいいのか、正直分からない。
だが、理解は出来無くても予想はできる。
信長と同じものを見ながら、アメリアは尋ねた。
「平和とは、そんなに珍しいものですか?」
信長は答えない。
ただ、微動だにせず街を見続ける。
それが返事だと、今は思うことにした。
たぶん、今日が。
このうつけ者と呼ばれた男が、始めて平和を見た日なんだと思う。
もしも、だ。
歴史という複雑で繊細な機械があり、偉人の歯車が正しく回ることで人のそれが動くのなら。
それはたった今、狂った。
本来は役目を終えるはずだった大きな歯車が、まだ動いていることによって。
たった一人の偉人、されど大いなる偉人、その歯車が狂うことで。
この物語は始まる。
狂った物語は、始まる。
これは、もしもの世界。
もしも、戦国最大の謀反である「本能寺の変」が失敗に終わっていたらの話。
混乱している方が多いかもしれないので、此処に説明を置いておきます(読まなくても大丈夫ですが、読んだ方が混乱しないで済むと思います)
まず、信長が居るこの国、ポルトガルの時代です。
時代としては本能寺の変が起きたちょっと後ってとこですかね、信長は自害してからすぐにポルトガルに飛びました(生き返ったという認識で大丈夫です)
さてここで注意なのですが、アメリアの事です。
彼女は二十世紀に生まれた偉人です、彼女は死んでそのまま記憶を有しているので、信長が知らない太平洋などの存在を知っています。
その他もろもろの質問は感想にて送っていただければ答えます。
読んでいただきありがとうございます、引き続きお楽しみくだされば幸いです。