少しだけの握手
そんな訳でロンドンの町へと放たれた私と『傲慢』であった。ホームズから少しの金を渡され、『命を賭けるんだから死ぬ前にたくさん遊ぶと良い』だの、そんな縁起の悪い事を言われてしまった。
(信長公がいれば、そんなことあるわけない……無いです、けど)
分かっている。今、私の隣にいるのは、自分の主君と互角に戦って見せた豪傑だという事。今は何故か記憶を失っており、その上で私との行動に合意しているという事。つまりは信長公に守られていると同義だという事も……。
でも、やはり違うのだ。やはり『安全』と『安心』は違うのだ。危険なことから守ってくれる何かがあるとしても、心の中の平和を守る事は出来ない……今の私は、信頼できる存在が、寄りかかって寄り添える存在が欠けてしまっている。
「浮かない顔だな、どうしたんだ?」
「っ……話しかけないでください!」
距離を取り、思わず声を荒げてしまう。大通りだったからだろうか、道を行く一部の人間の視線がこちらへと向く……私はそれよりも、目の前の白髪の男が恐ろしかった。
「す、すみません……。守ってもらう分際のくせに、申し訳ないです」
「いや、いいよ。そうだよな、怖いよな。分かってる、鏡で見てみたけど、柄が悪そうだし……」
ショックを受けては、いる。しかし気にしないふりをし、おまけにフォローまで入れてくれている。それが余計に、逆に私の良心と罪悪感を抉っていく。相手は私に対して友好的なのに、私はまだ相手を「敵」だと認識している。
信長公であればどうしただろうか? 警戒するのは当然だと言ってくれるだろうか? それとも……自分の実力に自信がある彼なら、例え一時であっても笑って接するのだろうか? ――どうやら私は、安心だけではなく判断の尺度すら、あの大きな背中に預けていたらしい。
「俺、自分の名前も思い出せないんだけどさ……この赤い棒を見て、少しだけ思い出せた気がするんだよ。俺が戦えるのは、なんかこう……自分の為だったけど、ストレートにそうじゃなかったって言うか……分かるかな、分かんないよな」
そう言うと、彼は私にぎこちなく笑ってくれた。怒りを隠しているのかとも思ったが、これは、違う。笑う事が苦手な人間が、精一杯笑ってみようという……そう云ったぎこちなさだった。
「取り合えず、俺はホームズさんに恩がある。だからジャックとか云うやばい奴を捕まえるまでは、俺がお前を守ってやる。だからそれまでは、少しで良いから信用してくれないか?」
「――」
真摯に、素直に。感情を偽らず、むき出しの心を見せつけてくる。これまで自分が一番綺麗だと思っていたくせに、さらに輝く何かを見せつけられたような気持ち。
だから信用するわけではない。これさえも嘘かもしれないし、そもそも自分に人を見抜く力があるとは思っていない……でも。
「アメリア、です。私の名前は……アメリア、イアハート」
「俺は、ワトソン。ホームズさんがそう呼んでるから、思い出すまではそう呼んでくれ」
差し出した手を、彼は少しだけ強く、そして柔らかに掴んだ。軽く上下する握手は数秒後に解けて、私たちは互いの目を見た。
「よろしくな、アメリア」
彼の全てを、記憶を失っているかもしれない彼の全てをすぐに否定するのは、何だか違うような気がしたのだ。




