家臣を残して死ねませんから
信長はよたよた歩きで、アメリアの後を追っていた。
いろいろあって彼女にボコボコにされたため、壁を伝わなければ歩けないのだ。
「痛いなぁ…ほんと痛いなぁ……」
年寄りは労わるものじゃなくていたぶる物なのかなぁと、狂気的な真実を知る信長なのであった。
はあ、と、ため息をついた信長は空を見上げた。
「こんな時は空でも・・・・・ん? 何だあれ?」
空に変なものが見える。
あれは……人か?
眼を細くして見るが、老眼の信長には見えない。
「…ナニあれ」
思わずそう一言。
いや、だってそうじゃん。
空を飛んでる人ってあるわけ……。
「……空?」
『……私の名前はアメリア・イアハート、世界で初めて空を飛び、そして空で死んだ女です』
頭に稲妻が走ったような、そんな感覚と共に目眩がした。
その場に膝を着く信長、その表情は疑問でいっぱいだった。
なんだ、今の。
これは、記憶か?
(もしかして、私は前にアメリアちゃんと会っていた?)
何か思い出しそうだが、思い出せない自分がもどかしい。
頭を抱え、その場で思わず声を上げた。
「分からない!」
そりゃすぐに思い出せないのも無理はないのである。
「信長こーう!」
「ん?」
アメリアの声が聞こえてきた気がして、片目を開け、目の前を見る。
戻ってきてくれたのかな? と、そう思った直後。
アメリアがすんごい速度で、自分の鳩尾に突っ込んできたのだ。
一瞬、ちょっとだけ何が起きているか察し。
次の瞬間、信長は。
「ふぅざけるなぁあああああああああああああああああああああああああ」
と絶叫し、アメリアを優しく抱え、受け身を取ってごろごろ転がっていったのだ。
ごぉおん! と、民家の壁にぶつかり上から降ってきた過敏に頭をブレイクされた信長を、
アメリアが半場発狂しながら揺さぶる。
「だっ……大丈夫ですか⁉ 信長公!」
「でぇ~いじょ~ぶぅ~」
「血が出てますけど!?」
パニック状態のアメリアをとりあえず撫でながら、信長は首を横に振りまくった。
「……なんで空飛んできたの?」
「事情は後で! それより早く逃げないと!」
アメリアは信長の手を取り、引っ張りながら走った。
引っ張られるがままの信長は、痛む体を庇いながら走った。
「急いで! 追いつかれます!」
「だから何から逃げてるんだって!?」
叫ぶ信長を無視し、アメリアは逃げる。
(…ジャンヌさんっ!)
無事だとは、思う。
彼女はジャンヌ・ダルクだ、救国の聖女だ。
簡単に死ぬわけない、今頃勝っているのが普通だとも言える。
でも、怖い。
忘れられない。
あの女に槍を向けられた瞬間、終わったと思った。
その恐怖が今でも、絶え間なく体を駆け巡っている。
(……たぶん、勝てない)
直観的に、それを思う。
(ナポレオンでも、ジャンヌさんでも、信長公でも)
体中が冷えるのを感じた。
(あれには、勝てないッ……!)
そして、アメリアが曲がり角を曲がろうとしたその瞬間。
「いいですねぇ、男と女の絆、愛、羨ましい限りです」
ビュウン! と、声が聞こえた瞬間、アメリアの眉間に矢が飛んできたのだ。
曲がり角の先の死角からの一撃、反応どころか認識すらできなかった。
(回避をーーーーー)
アメリアが首を動かそうとするが、それより矢の方が早い。
「アメリアさぁん!」
グイっ! と、寸前の所でアメリアの手を引っ張った信長。
アメリアは信長の腕の中にぶつかり、矢は信長の頬をかすった。
「大丈夫!? 怪我とかない!?」
「そんなことより前向いてください! 私は大丈夫ですから!」
アメリアの叫びに反応した信長は、前方から来る無数の矢を見た。
今から回避しても、間に合わないほどの数と範囲。
全方向からの、攻撃を。
ほぼ反射的に信長は背中の刀を抜いた。
「アメリアさん! 絶対に動かないでください!」
そう言って、信長は刀を振るう。
そう、自分たちに迫る矢に向かって。
「どおぁあっ!」
バキィっ! と、半場殴り落とす形で矢を圧し折り、すぐさま別方向の矢を殴り切る。
ガキィン! ベキィっ! と、矢を堕としているうちに、信長の体に変化があった。
とても熱い。
焼け焦げるような、はらわたが煮えくり返るような、そんな熱。
ギギィン! と、矢を弾いているうちに、疑問で頭が埋め尽くされる。
(なんで……私は刀の振り方なんて知ってる?)
吹き飛ばされた矢が民家の壁に突き刺さる。
(なんで……私はこの子を守る?)
自分の背中の少女が頭を抱えてうずくまる。
(なんで…私は……)
ビュウン! と、飛んできた矢を、突きで切り裂く。
(こんなにも怒っているんだッ……⁉)
べしゃあっ! と、切った矢から何か液体がこぼれ、信長にかかる。
着ていた着物でガードし、顔には掛からないようにした。
「信長公!」
アメリアが叫び、立ち上がろうとする。
「立たないで! 守れない!」
大きな声でアメリアを威圧し、信長は着物についた液体を見る。
つるつる滑り、ねとねとしているこの液体。
「……油?」
矢を警戒しながら、信長はねとねとした液体を見る。
何で油なんか……疑問に思っていた信長は、一歩下がる。
振り返り、どこからでも矢を弾けるように。
(なぜ油なんか……液体を付けるなら、もっと毒性のある物や、目くらましでもすればいいのに……)
考えても仕方ない、そう思いながら、信長はアメリアに言った。
「アメリアさん、矢がどこから来ているか分かりますか⁉」
「矢……北の方から来ていますが…まさか」
「どこか安全な所に隠れていてください、さっきから矢が来ていないということは、矢が切れたか、弓が壊れたかです」
責めるなら今だ、そう言いたげに信長は歩き始める。
「‥‥‥待って!」
高い声が聞こえると同時に信長の着物が掴まれ、動きが止まる。
もう少しの所でバランスを崩しそうになった信長は、刀で体重を支えた。
「馬鹿じゃないですか⁉ 相手が一人だと決まったわけじゃないんですよ!?、これは罠です!」
腰が抜けているのか、立ち上がらないままアメリアは信長に怒鳴りつけた。
今までの彼女からは想像もできないほど、感情が爆発していた。
「逃げましょう! 別に戦わなくてもいいじゃないですか!」
とっさに両腕を伸ばし、抱きしめる形で足を拘束する。
華奢で細い腕からは想像もできないほどの力が、信長の足に掛かった。
「そんなこと言ったって……背中を狙い撃ちされたら…」
追加の矢を警戒しながら、信長はアメリアに言う。
今この時この瞬間、アメリアの顔をちらっと見るだけでも危険なのだ。
一刻も早くアメリアを安全な所に置いて、矢の方向にいる犯人をどうにかしないといけないのだ。
なのに、彼女は首を横に振り、額を足のふくらはぎに付ける。
「…死ぬかもしれないんですよ…?」
小さな声で、アメリアは尋ねる。
ふくらはぎから顔を離し、信長を見据える。
何も言わない、だが、言いたいことは痛いほど伝わった。
「‥‥‥」
何を言おうか、それが頭を支配したせいで、何時襲ってくるか分からない矢のことなど眼中に無かった。
「人間は貪欲なんですよ!? あなたがここで死んだら私はずっと後悔することになる!、だからもうやめてください!」
懇願するように、自分を見捨てろと言わんばかりに、少女は叫ぶ。
いろんな葛藤があっただろう。
もしも、自分に何か特別な力があれば、この人は記憶を失わずに済んだかもしれない。
もしも、自分にこの状況を打開するだけの頭があれば、こんなこと言わずに済んだかもしれない。
「もう…後悔したく、ないんです……」
摺り寄せた額の感触が、油で濡れた着物を挟み伝わる。
気が付けば、片手の刀は鞘にしまわれていた。
「アメリアさん」
ゆっくりとしゃがみ込み、信長はアメリアの目を見る。
「さっき私に聞きましたよね、なんで勝手にいなくなったのか、って」
きょとんとしたアメリアのその顔を、信長は優しい目で見た。
「そんなの分かりません、だって覚えてませんから」
「……は?」
思わず眉間にしわを寄せたアメリア、すかさず信長は言葉を紡ぐ。
「私は私のやりたいことをして、今ここに居て、あなたを助けたいんです」
呆れ顔のアメリアのおでこにデコピンした後、くしゃくしゃに頭を撫でた。
「別に私は死にませんよ、だって主君は家臣を残して死ねませんから」
ぴくっ、と、アメリアの肩が動いた時には、信長はすでに立ち上がり、走り出していた。
走りながら信長は、後ろを向いてただ一言。
声は聞こえなかったが、口の動きでなんとなく分かった。
口の動きは大きく、小さく、上がり下がりが激しかった。
馬鹿みたいな大きい声で、子供みたいにこっちを向いて。
心配するな、儂は天下を取るまで死なない。
そう言って、信長は近くの梯子を猿のように登り、屋根の上を走っていった。
ぽつん、と、一人置いて行かれたアメリアは、ゆっくりと立ち上がる。
「はぁ……はぁ…アメリア! 大丈夫⁉」
荒い息を吐きながら、ナポレオンが剣と銃を持ってやって来た。
ナポレオンはアメリアの体を一通り見た後、辺りを見渡した。
「ここは危険だ、ノブと合流してさっさと逃げよう!」
ってあれノブは⁉ と、驚いた声を上げるナポレオンに対して、アメリアは。
「……信長公が、信長公になってた」
「え、何言ってんの?」
こめかみを突きながらナポレオンは言うが、アメリアは無視して走り始めた。
涙を拭い、梯子に手を書ける。
それを見たナポレオンがぎょっとして、アメリアの服を掴む。
「な……に、やってるんだ! 逃げるんだってば!」
「信長公が思い出したんです! 私が家臣だってことを!」
「はぁ!? 何言って…」
「良いからお前がこっちに来い!」
がしいっ! と、ナポレオンの服を掴んだアメリアは、力いっぱい屋根の方へ投げた。
ぶっ飛んだナポレオンは屋根に叩きつけられ、肺から空気がすべて出される。
朦朧とする意識のナポレオンなど気にせず、アメリアは銃を奪い走る。
「助ける……」
獣のような表情で、アメリアは呟く。
自分のやるべきことを。
少女は走る、銃を以て。
その銃は殺める為に在る訳ではなく、救う為に在る。
引き金に指をかけ、走る。
北に、信長がいる方向に。
今度こそ、後悔しない。