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十分ほど走り、並木道の途中に現れた目的地前で路駐した。
瑛二を連れてやって来たのは、以前俺たちが在籍していた県立大学だ。
夜中だからその全貌は殆ど見えないが、赤レンガで造られた建物が建ち並び、ヨーロッパの街並みを思わせる造りになっている。緑溢れる丘の上にあるキャンパスからは街並みや山々が眺められ、学ぶ環境としては最適じゃないかと思う。
俺たちは、正門前で立ち止まった。
「何か懐かしく思えるよな。ここに通ってたのが、五年も十年も昔みたいだ」
「………あ……あの。慎せんぱ」
「知ってるよ。お前のツイートが原因だってこと」
瑛二が言おうとしたことを察して、フライングして切り出した。ギクリとした瑛二は、その場から逃げ出しそうな表情をした。
何故なら瑛二は、俺に計り知れない罪の意識を持っているからだ。
約二年前、俺が逮捕され、罪の自白を強要され、一ヶ月近くも冤罪で拘置所の中にいたのは、こいつの所為だからだ。
誤認逮捕される少し前。俺はサークルのOBからとあるバイトを紹介され、他にも誰かいないかと言われて学内で声を掛けていた。瑛二も声を掛けた一人だった。内容は飲食店のホールだったが、“儲かるバイト”だとわざと詳細は言わずに誘っていた。そしたら瑛二は“ヤバいバイト”だと思い込み、頑なに断った。
当時。警察は、大学生が中心となったとある詐欺グループを追っていた。あとはリーダー格の男だけとなったが、仲間の誰もその素性を知らなかった為に手懸かりがなく、捜査は難航していた。そんな折にリーダーらしき男の写真を手に入れ、それを元に躍起になって捜していた。
一方の俺は、断られながらも次々に声を掛け続けていた。ある日、サークル仲間に紹介された後輩に話を持ち掛けてみた。興味がありそうだったから、俺は粘ってその後輩を誘おうとした。すると、その場面をたまたま瑛二が目撃し、“ヤバいバイト”をさせようとしているんだと勘違いして写真を撮り、ツイッターに上げた。恐らく、注意換気の目的だったんだろう。
ところが、瑛二がツイッターに上げ拡散された写真が警察の目に入り、捜していたリーダーの男と特徴が酷似していたことから、俺は警察署に連れて行かれてしまった。
結果的には非運が重なってしまったことだが、全ては瑛二の余計な正義感が原因だった。
俺は、おもむろに石垣に腰を下ろした。
「俺の人生ほどじゃないけど、多少なりともお前の人生も変わったんじゃないか?」
聞かずともそうに違いない。現在の瑛二の行動が、それを物語っている。
こいつは、正義感で困っている幽霊を助けている訳じゃない。誰かを助けることを償いだと思い、自分の罪をなかったことにしようとしているだけだ。
瑛二は、ビクビクしながら口を開いた。
「……先輩。オ、オレ、ずっと謝りたくて……オレの所為で、先輩はあんなことになって……すみませんでした」
瑛二は頭を下げた。ほぼ直角に腰を曲げて、誠意を表した。
瑛二の頭頂部が俺に向けられる。しかし俺は敬礼を一切見ず、地面を見つめた。
「……まぁ。そうだな……今ここで、お前に何か言うつもりはないよ」
敬礼をした瑛二は、怖々と顔を上げた。
そんな瑛二に、俺はこう言葉を掛けた。
「なぁ。善行を積み重ねれば、いつか朝日を拝めると思うか?」
「……思います」
目は怖じるも、瑛二ははっきりと言った。
「そっか……じゃあ、お互いここからやり直そうぜ」
「……はい」
俺がそう微笑みかけると、瑛二が俺に抱いていた恐れが少し薄れたようだった。叱責されなかったことに、多少安堵した表情をしていた。
向こう見ずな行動で痛い目を見たことは、人生の教訓になっただろう。次は是非、行動する前に一度ブレーキを踏んでほしいものだ。
瑛二が学んでくれたところで、俺は最後の目的を果たすことにした。
「瑛二。俺は、ここでやりたいことがあるんだ」
「やりたいこと、ですか?」
「協力してくれるか?」
「は、はい!もちろ」
瑛二の言葉が、プツリと途切れた。
高度が上がると、その分空が近くなった。
時刻は、午前四時過ぎ。東の空が白んできている。もうすぐ太陽が昇り出す。
学部棟の屋上からはキャンパス内が一望できるが、ぼんやりと灯る明かりくらいしか見えない。振り向けば芝生に覆われた広場がある筈だが、真っ黒な池のようだった。
柵も何もない縁に立ち、下を覗いた。
下は植木と芝生と、コンクリート。
縁から数メートル距離を取った。
春の早朝の風が、頬を撫でる。
目を瞑ると、これまでのことが足早に目蓋の裏を過った。
何時もは全然緊張しないのに、今日は珍しく神経が少しだけ張り詰めている。
一回だけ深呼吸した。
ワンテンポ置いて、一歩を踏み出す。
一歩踏み出すごとに、速度を上げた。
そして、縁を強く蹴って飛び出した。
刹那の時。
瑛二の意識は唐突に戻った。
ついさっきと景色が違うことに混乱する。自分がどういう状況なのか、漠然にも考えられない。
頭上から風を感じる。視界の黒っぽいレンガの建物が、逆さまになっていた。
視界の端に、道らしきものを捉える。その奥には講堂が見えた。
見覚えのある場所だった。
───あ。
状況の把握と同時に、瑛二の意識は再び切れた。
永遠に。
座っていた俺の身体が、ビクリと揺れる。
深呼吸をするようにゆっくりと呼吸し、ゆっくりと目蓋を開いた。
指を何回か曲げて伸ばす。今回も無事に、自分の身体に帰って来られたのを確かめた。
少しだけ達成感に浸り、のっそり立ち上がる。
何となく空を見上げた。
白んだ空が、暗闇を越えたことを教えてくれていた。
「……夜明けだ」
俺は、とても清々しい気持ちで呟いた。