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それは約三ヶ月前。今日のように、三十代の元会社員の男の浮遊霊が瑛二の元にやって来た。愛理と同様に、自殺として処理された事件の男だった。
だが本人は、自殺なんか怖くてできないと顔色を真っ白にして言っていた。状況証拠から事故でも他殺でもないが、記憶の欠落があることを訴えていた。その時は成仏させることができず、男は今も何処かで彷徨っているだろう。
その男と愛理の不可解な共通点に、瑛二はいささか不気味さを感じた。
曲が六曲目に差し掛かったあたりで、駐車場の方から愛理が戻って来た。曲に浸っていた瑛二は、闇から浮き出てきた人影に息を呑む。幽霊に慣れてはいるが、いつもは構えて待っているので不意に現れると少しビビる。
合流すると、愛理は首を横に振った。
「やっぱりダメ。一応、着いた所から辿ってみたけど、帰りの駐車場からきっちり記憶が途切れてる」
「手懸かりなしですか……」
ガードレールから下りながら相槌するが、最初から期待は半々だった。これで戻ったら苦労はない。
「失礼ですけど、一緒にいた元カレさんは怪しくなかったですか?挙動がおかしかったとか」
「特になかった。彼とは普通に話しただけだし」
本当に何でもない、ただの世間話のような会話をしただけだった。心ここにあらずだったり、話の辻褄が合わないというような場面もなかった。
記憶欠落の鍵が落ちていそうだった場所には、何も落ちていなかった。留まっていても追求できそうになかったので、二人はどちらともなく歩き出す。
瑛二は何となしに、愛理の元カレとの関係について触れた。
「元カレさんと普通に食事に行けるってことは、ケンカして別れた訳じゃないんですか?」
「その逆。彼にキレられて、和解すらできずにね」
「怒鳴られて?」
「静かに憤慨されたわ」
「ケンカのきっかけは、どっちだったんですか?」
「私の方。私が、彼が隠してた過去を知って問い質したの。あの時は、形相が変わって怖かった」
「黒歴史ってやつですか」
「そんな生易しいものじゃない……逮捕歴があるのよ」
“逮捕=犯罪者”と連想した瑛二は引いた。同時に、そんな男と付き合った愛理に敬意を表す。自分だったら付き合おうなんて思わないし、絶対に近寄りもしない。そんな危険な相手に関わるなんてあり得ないと、心中で真っ向から拒否する。
瑛二の様子を察すると、引いたでしょ?と愛理は顔を覗いた。
「でも、間違いだったみたいなの」
「誤認逮捕?」
「うん。冤罪ってやつ」
その単語で、瑛二の面持ちは変わった。
何だそうだったのかという安堵や、善良な市民が罪を被せられたことへの同情ではなかった。
少し息が詰まる感覚を覚えた。
「二年くらい前って言ってたかな。最初は、詐欺グループのリーダーの疑いで任意同行を求められたらしいの。身に覚えがないから、聴取の時も何かの間違いだってずっと否認してたんだけど、罪を認めろって強要され続けて認めちゃったって言ってた。精神的に限界だったんだって。それを含めて、一ヶ月くらい留置所に入ってたらしいよ」
「……出られたのは、本当のグループのリーダーが判明したから……ですか」
「そう。それで、ギリギリ刑務所行きは免れたんだって。ほんと最悪だと思わない?身に覚えのない罪の自白を強要されるなんて。同情せずには聞けなかった……どうしたの?」
愛理が瑛二の顔を見ると、話を聞いたその表情が何故か強張っていた。
「いいえ。何でもないです」