休講
今朝の占いは12位だった。英語の講義に向かう途中、階段の12段目に、蜂が一匹死んでいた。どこかで読んだなと思いながら教室に入ると遅刻だった。12時。一番後ろの席に座ると元カノが隣に座っていた。レジュメがなかったので「見せてくれませんか」と元カノに頭を下げた。ふと顔を上げると斜め前に彼女が座っていた。教官が来週の授業でグループプレゼンをしろと言った。
「3人グループを4つ、近くの席で組むように」
俺と彼女と元カノは顔を見合わせた。プレゼンのテーマはfamily lawだった。教官は俺たちを見て、「君らは結婚をめぐる法制度ね」と言った。彼女と元カノは妙に可愛らしい顔で中身のない会話をしていた。
「あたしは26に結婚したいな」と彼女。
「うーん、仕事してたら30超えてるかも」と元カノ。
「あのう、誰が原稿書きますか」と俺が言うと、2人は同時に黙った。
「塔子ちゃんプレゼンターやったら? 英語うまいしそういうの得意だよね」と彼女。
「全然そんなことないよー。雛子も一緒にやろ」と元カノ。
「おっけ、きまりね」というのは、俺が英語の原稿を書いて英語のパワポを作ることと同義だった。そして2人とも俺の方を見なかった。
12階の食堂は人でごった返していた。食券を買おうと財布を見れば1万円札しかない。大量の釣り銭をしまいながら歩いていたら、すれ違ったカップルの女とぶつかった。
「きゃっ、ごめんなさい」
周囲の視線はカレーうどんがかかった俺の白いシャツに集中した。カップルはもういなかったので、そのまま丼物受け渡し口の列に並んでいたら、雛子が目の前を素通りした。
やっとのことで親子丼が出来上がった頃には食堂は満席になっていた。ひと所で突っ立っている訳にもいかず、うろうろしていると、背後から「お兄さん、ここ空いてるよ」という声がした。振り向くと、2人がけのテーブルで、彼女が真向かいに座っているかっこいい男が俺を見ていた。
「どこが空いてるの?」と彼女の真っ当な質問。
「君、だってもう食べ終わってるでしょ」とかっこいい男は言った。
「私が席を立てってこと」と彼女は怒るでもなく言った。かっこいい男はそれを無視して、俺のシャツに目を止めた。
「ついでにどっかでシャツ調達してきて。金なら後で出すから」
不気味なほど物分かりのいい彼女は、俺を無表情に見つめると、すっくと立ち上がり、どこかへ消えた。
「いいよ、席ないんだろ。座りなよ」
かっこいい男は実にスマートに椅子をすすめてくるので、思わず座ってしまった。
「ありがとう。だけどあのう、どこかでお会いしましたっけ?」と俺が言うと、かっこいい男はかっこよく微笑んだ。
「まさか。今日が初対面だよ。名前なんていうの?」
「鈴木ですが」
「学部は?」
「文学部」
「専攻は?」
「ドイツ文学です」
「ふうん、ドイツ文学の鈴木か、いいね」とかっこいい男は満足げに言った。親子丼はすっかり冷めていた。
「ここにいたのって彼女さんですか?」
「ああ、あいつはあれぐらいでちょうどいいから、いいんだ」
「もしかして、たまにタバコとか買いに行かせてます?」と俺が言うと、なんでそんな当然のことを聞くのか、と言わんばかりの顔をした。
「敦道さん、これでいいかな」
噂をすればその彼女がビニール袋を提げて俺たちの前にやってきた。かっこいい男は一瞥もせずにそれを俺に回した。
「カレーのにおいをぷんぷんさせながら午後を過ごすのもあれだろ。あげるよ」
「ありがとう」と俺が言うと、かっこいい男は薄く笑った。
「そう気味の悪そうな顔をするなよ。君が言いたいのはつまりさ、見ず知らずのイケメンに自分のような冴えない大学生が親切にされるいわれはない、新興宗教の勧誘かはたまた詐欺に遭っているのか、分からないが逃げた方が得策だ、ってね。どう?」
「逃げようとは思ってないよ。そちらがかっこいいのは確かだし、今日の俺の運勢が12位なんだと思う」
「人のこと言えないけど君も大概だね」
「今度どこかでお礼を」と言って、俺は席を立った。
もう3限は始まっていたが、誰かが腹を壊しているらしく、トイレは行列していた。ようやく入った個室でビニール袋を破くと、SサイズのピンクのTシャツと対面した。幽霊のような女の顔が浮かび、俺はそれを頭からかぶった。3限の授業教室に向かうと、照明は消え、誰もいなかった。休講だった。