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1 現代算数科教育とその批判 掛け算の順序

こんにちは、アタマオカシイと申します。

小説の更新が捗らないので、代わりになるかわかりませんが、個人的見解を書いていこうと…いや、まてよ、書いたところでおもんないぞ?


とりあえずどこかで叫びたいレベルで腹が立つことがあったり気になることがあったりして、ためつづけるのもよくないと思うので、書いていきます。


僕は教育学を学び始めたくらいでかじった程度ですらないのですが、授業で学んでいた「掛け算」について調べる機会があって、その時に気になる単語が目に留まりました。


『超算数』という言葉です。「なんのこっちゃ」と思って、ちょっと調べてみたら、

「掛け算の順序問題」の話だというのです。

例えば、『お友達が5人います。持っている一人に4つずつアメを渡しました。アメを全員に合わせて何個渡しましたか?』という問題があったとします。

正答は「4(個/人)×5(人)=20(個)」ですので、計算は4*5でないといけない。つまり、5*4と書いては間違いだとする、というお話。


ツイッターでもたびたび話題になっています。「息子の、娘のテストの解答が、答えがあっているのに正解にならない」と。



掛け算といえば、授業でいただいた資料だと、「ちゃんと掛け算がどんなものかわかっている」小学生はかなり少ないという印象を受けました。


「リンゴが4個あります。みかんが5個あります。掛けたらいくつでしょう」

大人ならこの問題のおかしい部分は分かるでしょうが、4*5の問題を作れ、と小学生に言ったら、掛け算を習っている3年~6年生がこう答えるのだと言います。もちろん、ちゃんと答えられる子供もいますが、誤答のほうが多い。


掛け算の意味が分かっていないので、やっている計算は何のため、何を答えとしているのか理解できていないのです。だから、「順序の違う誤答」が多数出てくるということです。


ただ、「わからずに」順序が違うのか、「わかっているけども小さい数×大きな数」のほうがやりやすいから順序を変えているのかも分かっていない教師が、「すべて×」にしてしまうのはおかしな話です。もちろん、再確認するほど教師は暇ではないので、そうしてしまうのは分かる話ではあるのですが…


正直に言って、順序の意味がわからないのにそのままにしておくのは、ラケットを持ったばかりで基礎練習をまったくさせずに試合しようとする、まともにラケットに当てられないのにスマッシュを打とうとするテニスのような、あるいは筋力が付いていないのにいきなり50㎏のダンベルでトレーニングするようなものだと思います(たとえが下手くそか)。


(問題作成問題は、理解度がわかるすごくよくできたテストだと思います。解答例は無限大だし、わかっていなければとんちんかんな問題を作ります。)


さて、超算数に戻ります。超算数というのは、現代日本の算数教育を、例えば1.1+7.9=9.0と書いたら誤答、というように”本来算数にない固定観念を子どもに植え付ける”ことだそうで。ぶっちゃけこう評価している先生方も被害者みたいのものですが…実際教師たちもそのように教わってきたのですから。例に関して言うと、正直なところ誤答にするのはやりすぎだと思います。〇は付けるけれども注釈を書いておくほうが、子どものためにもなるでしょう。有効数字の問題で、明らかな「正解」を「間違い」とされるのはおかしいです。教え方としてはそうなるでしょうが、誤答とするならば問題作成の時点で、「小数点以下で0で終わるなら、その0を消す」という風に書き添える必要があると思います。


なぜ掛け算の話をしたかというと、掛け算の順序についても「超算数」と揶揄される事例があったためです。

これまたツイッターの話ですが…3×5は5×3と別物というツイートに対して、その考え方を子どもに植え付けるのはおかしい、と反論していました。3*5と5*3は計算結果が同じなのだから同じもの、どっちで書いてもいい。順番なんて言う無意味で無駄なことに時間をかけている場合は、算数の初等教育にはない、そういっているように感じました。


正直なところ、確かに結果はおなじでしょう。が、3のまとまりが5つあるのと、5個の塊が3つあるのでは、少々意味合いが違うのです。結果は同じでしょうが、だからそれを無視していい、むしろ現代社会ではそんなところはどうでもいいんだ、なんていうのは極論でしかないと思います。


どんなものでも、最初はパターン暗記です。九九なんかその最たるものですし、合わせて10になる足し算なども繰り返し練習して植え付けるものです。意味を考え出すときりがありませんが、それを無視して押し付ける現代教育も、それを「完全に時間の無駄」と切り捨てる批評家も、ばかばかしい議論をしているとしか思えません。最優先させるべくは子どもの“理解”であって、その足掛かりとして“パターン”で教え、その理由を子どもたちと考えていくことが重要だと思います。棚が何か、どうやって作るのかをまったくわかっていない子どもに、「どの道具を使ってもいいから棚を作れ」といっても、いつまでたっても棚は出来ないでしょう。かといって「こうするのだ」と道具を押し付け、腕を持ってすべて作ってしまうのでは、子どもの成長はありませんし、指導者がいなくなると何もできなくなってしまいます。


作り方は教えて、それ以上は自分で探すようにできることが、最も子どものためになるのです。やり方を教えるのに、「どっちでも結果は同じ」だからといって、まっすぐ進んでから右に進むのと、右に進んでからまっすぐ進むのではルートが違うでしょう。かといって、まっすぐ進んで右に行く、と盲目的に刷り込むのもおかしい。


超算数と揶揄し、非難するのは簡単ですが、そういっている方々も、言っていることは無茶苦茶なことが多いです。子どものために議論しているのに、すべては自分たちの言い分が正しいことを押し付けようとしているように見えてなりません。「本当の子どもたちのための指導」を、そう議論している教師の方々にはしていってほしいです。

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