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依って立つべき中心軸 第1章

作者: けんたろう

鼓動が響く。不安と焦燥が僕を支配する。意識が混濁している。酸素が薄い。”もっと息をしなければ!”視界が点滅しだした。出鱈目に息を吸っては吐きを繰り返し僕は懇願する”早くこの時間よ過ぎ去ってくれ!”いつも前触れもなく”それ”はやってくる。初めはいつだったか。軽度のパニック障害だと自覚するにはそれなりの時間を要した。若い頃、まだ精神的に余裕がない時期に”それ”はよくやってきた。歳を追うごとに徐々に無くなっていき今では年に一回あるか無いかだ。その一回が人生を変えることもあるのだと知るのはまだ先の話だ。


人生の転機は一生に何度かやってくる。最初の転機は小学4年のとき新宿の学校に僕が転向してきたとき、一番最初に話しかけたきたのがアイツだった。「おれ日下修治。宜しくな」くさかしゅうじ。そのときはまさかコイツとここまで人生を共にするとは思わなかった。「多崎渉。宜しく」たざきわたる。僕の名前だ。シュウジは運動神経が良く、男らしい豪胆な性格で男女問わず人気があった。シュウジはそこにいるだけでクラスメイトが自然に集まってきていつの間にか彼が中心になる。人気者になるべくしてなったタイプだ。僕もやはり少なからず彼に憧れていた。しかしそんな僕の気持ちを知ってか知らずか彼はいつも僕を気にかけてくれ(転校生を孤立させない為だったと思う)また近所ということもあり、よく二人で下校した。


その1年後に二回目の転機が訪れる。夜中にふと目覚めた僕はなかなか寝付けず、しょうがなく親に隠れてリビングのテレビをつけた。あるお笑い番組がやっていた。10組の芸人がネタをやり投票で上位5組だけがテレビでネタを披露できるという番組だった。これは後に知ることだが、その日はその番組の記念すべき第1回目だった。僕は5組の中のあるコンビのネタに衝撃を受ける。1人が完全にカカシのように喋らないキャラに徹底して、もう片方が永遠と喋りたおすというネタだった。なんて斬新なんだと思った。そしてお笑いの無限の可能性を感じた。また真剣に笑いに取り組む芸人さん達になんというか色気みたいなものも感じた。間違いなくこのとき僕はこの世界で生きていきたいと強く思った。


芸人になる為にどうしたらいいかわからなかった僕は録画したネタ番組を片っ端から見ては巻き戻してまた見てを繰り返した。それに飽き足らず、とうとう僕はネタのセリフを文字に書き起こすほどになった。書き起こして初めて気付くこともある。明らかに文字数が少ないコンビがいる。間の使い方が違うのだ。そして間の使い方にも種類がある。当時僕が好きだったのは敢えて長めの間を使う手法だ。長めに使うことでそこに独特な緊張が生まれる。(ある落語家さんが「緊張と緩和」という方程式をあみ出した。緊張を作って、それを緩和させることで笑いは起こるということだ。笑いの種類は数あれど笑わせる方法は緊張の緩和ただ一つである)しかし間を長くすればするほどハードルは上がっていくのでそれ相応の強めのボケが必要になってくる。高度なテクニックだ。


中学生にもなると、それなりに僕も人気者になっていた。クラス替えして初めて会うクラスメイトに「お前がワタルか!面白い奴がいるって聞いてるよ」なんてありがたい言葉を貰うようになった。シュウジとはたまに遊ぶくらいだったがある日の帰り道。「なぁワタルの家行っていいか?」シュウジが家に来たがるのは珍しい。いつも外で汗をかくのを好む男だった。「相変わらず綺麗な部屋だな」「余計なものが何も無いからな」「おっ!これこれ」シュウジはお笑いのDVDを手にとった。「え?シュウジお笑い好きだったっけ?」「最近興味でてさ。良かったらいくつか貸してくれよ」「いいよ。これとかオススメだよ」それからDVDのいくつかを一緒に見た。「なぁワタルは芸人になりたいとか思ったりしないの?」ドキっとした。本当のことを言うべきかどうか。結局恥ずかしくてはぐらかすことにした。「シュウジみたいな男前な相方がいたら人気出るかもな」「調子良いこと言うな」と言って2人で笑った。この日のことはお互い覚えていた。忘れられない青い日々。


大学も卒業間近になって僕は悩んでいた。好きな道に進むか現実的な道に進むか。しかし答えは既に決まっていた。僕は現実的な道に進むことにした。この歳にもなるとよくわかる。僕にお笑いで食べていけるほどの才能はない。”僕にお笑いで食べていけるほどの才能はない”それは芸人になることしか考えていなかった僕を絶望の底に叩きつけた。こんなにお笑いが好きなのになぜ僕にお笑いの才能を与えてくれなかったのだと神様を呪った。でも結局僕はゼミの先生に紹介していただいた名も無い会社に就職することにした。


就職して1年が過ぎた。それなりに仕事も覚え、当たり前に日常が過ぎていく。しかし”何かが違う”のだ。本当は違う夢を持ちながらする仕事は辛かった。このまま挑戦もせずに終わっていいのだろうか?自問自答の日々は続いた。更に1年が過ぎた。なんの生産性もない毎日。しかし、それにも慣れつつあった。お笑いは意識的に見ないようにしていた。


ある日、僕は渋谷を歩いていた。目まぐるしく変わっていく街。あるライブ小屋の前で足を止めた〈無料ライブやります!〉と書かれたポスター。下には出演する芸人の顔写真がある。僕の大好きな芸人の写真もある。それはまさに邂逅だった。何かに導かれるように僕は小屋の中に入った。ライブが始まるまでの間いろんなことを考えていた。当たり前に過ぎていく日常。もしかしたらお笑いなんて好きにならなければ良かったのかもしれない。そうすればこんな思いしなくて…「どうもー!」ライブが始まり思考は中断された。僕が大好きな芸人さんが目の前にいる。トークでは愛くるしいキャラクターで楽しませてくれるがいざネタに入るとその熟達された漫才は見た人々を圧倒する。僕は泣いていた。笑いながら泣いていた。お笑いに人生をメチャクチャにされた。けど、そんな僕を救ってくれたのも、やはりお笑いなのだ。ライブが終わり僕は感情を発散させるため走った。僕は走りたくて走った。何年ぶりだろう。あるいはそれは初めてのことだったのかもしれない。人はどんなときに走ると思う?運命を変えるときだよ。


芸人になると決めてからまず初めにやったのがネタ作りだった。とりあえず何も考えずにいくつか作ってみて見えてきたことがある。どうやら僕はボケとツッコミで笑い所を作るネタの方が面白く作り易い脳らしい。相方が必要ということだ。と、いうことで近くのファミレスでアイツが来るのを待っている。「久しぶりだな」やはりシュウジには華がある。それは何をやるにも役に立つ素晴らしい才能だ。「急に話しがあるなんてどうしたんだ?」「まぁ、そのなんていうか、大した話しでもないんだけど…」こういう婉曲な言い方を僕はあまりしない。まずい。シュウジの目が警戒に満ちてる。「あの、変な宗教の勧誘とかなら俺」「いや、そんなんじゃないからそれは安心してくれ」「良かった」我ながら情けない。初めて女性に告白したときより緊張している。「あの…さ、一緒にお笑いやらないか?」「お笑い!?」ここですかさず僕は予め考えてあったことをプレゼンした。「何も考えずにただなんとなく誘ってるんじゃないんだ。僕は既にネタをいくつか考えてある。そのネタにシュウジが必要だと思ったから誘ったんだ」「でもどうやって始めるんだ?先もよくわからないのに何十万か払って学校なんて行きたくないぜ」「そこも大丈夫だ。今現在、都内でお笑いライブなんて山ほどあるんだ。その一つ一つにプロの芸人さんがいちいち出てられるか?」「確かに」「エントリー料さえ払えば素人が出れるライブは割とあるんだ。そこで結果を出せれば学校に行かなくても事務所に所属できる可能性もある。リスクはそんなにないと思わないか?」「確かに。俺もお笑いは好きだ。1年。1年で結果出せるか?」正直言って厳しいだろう。しかし自分で商品価値を下げるわけにはいかない。「出せる」「今の仕事もすぐ辞めるわけにはいかない」「土日のライブに出よう。あと仕事終わりにネタ合わせもしたいんだがいいか」「…しょうがない。やってみるか」こうして僕は1番仲の良い親友を失い、相方を手に入れた。


コンビを組んでまず初めに取り組んだのは”声”を作ることだ。様々な芸人を見て来たが声に力がある人間とない人間がいる。たとえ面白いネタを演じていても”声”が弱いとウケも弱くなる。逆にそれほど良いネタとは言い難いものでも力のある声で演じると笑いが起こったりする。よく素人が「あの芸人は声がデカイだけだ」なんて的外れな批評をしているのを見かけるが”声がデカイ”ということが芸人にとってどれだけの宝なのか理解できていないのだ。まずは”声”を作る。芸人になろうと思ってすぐ面白いネタを作ろうとするのは間違いだ。因みに歌が下手な人を音痴という。正解の”キー”がわからないのか、あるいはわかっていても実践できないのか。お笑いにおいても実は正解の”キー”は存在する。正解の「なんでやねん!」の言い方とそうじゃないのとでは明らかにウケに影響してくる。やはりお笑いは”聴覚”を刺激しなければいけないので声には1番気を使うべきなのだ。


「シュウジ、間が違うから今のところもう一回やろう」声作りがある程度できてきたらいよいよネタ合わせだ。いろいろなコンビがいるだろうがイニシアチブを握っているのはネタ作り担当の場合が多い。そして正解の”画”はネタ作り担当の頭の中にしかない。それを伝える、あるいは理解するのが相方の役割でもある。「間がどう違うんだ?」「0.5秒あけてツッコんでくれ」「…違うだろ!」「違うだろ!の前にいやを入れてくれ」「…いや違うだろ!」「そんなに誇張させなくてもいい」我ながら細かいダメ出しだ。しかし右も左もわからない子供に笑いを教えなければいけない。初めから順風満帆とはいかないだろう。漫才に極至なんてない。地道に努力を重ねていくしかないのだ。


「緊張してるか?」「してるに決まってるだろ。初舞台だぞ」「…そろそろか」僕達はあるエントリー制のライブに出ることにした。3000円払って3分のネタ時間を貰う。ここはまだ良い方だ。もっと高いところもある。僕達は舞台袖で出番を待っていた。「結構ウケてるな」自分達の前のコンビがウケていても滑っていても嫌なものだ。どうやらネタが終わったようだ。「ルーキング!」僕達のコンビ名が呼ばれた。


「なぁコンビ名どうする?」「シュウジはつけたいのあるの?」「どうせなら1年目から天下狙ってますみたいな名前がいいな」「じゃあルーキーイヤーからキングを狙っていくって意味でルーキングでどうだ?」「それ良い!めっちゃ良いよ」後に先輩方にダサいとボロカス弄られるコンビ名がここで決まった。


「まずまずのウケだったな。最初にしては上出来だ」それはお世辞では無かったが「ごめん。大事なところ噛んじゃって」シュウジは納得いって無かったようだ。「このネタはもっとウケるネタなんだ。俺がしっかりしなきゃな」ありがたい。別に仲良くしろとは言わないが相方同士、お互いが尊敬し合っていることはとても良いことだ。また、それは見てる人達にも伝わる。焦ることはない。僕達の漫才はまだまだ触媒の時期だ。これからいくらでも化けれる。


3ヶ月も経てばライブシーンではそれなりに名の知れた存在になっていた。「自分らがルーキングか。話しは聞いとるで」なんて声をかけてくれる先輩もいた。しかしできる限り付き合わないようにしておく。売れない芸人は売れない芸人と派閥を作りたがる。類は友を呼ぶなのかはたまた傷を舐め合っているのか。僕は”ココ”に友達を作りにきたわけではないのだ。「あっ!多崎さん。今日のネタも面白かったです」出待ちもちらほら増え出してくると「ぼちぼち帰るわ」「え?もう帰っちゃうの?いつも終わったらすぐ帰るんだから」なんてこともある。まぁ芸の肥やしということだ。「これから新ネタ作らなきゃいけないんだ。許してくれ姫」「もう…また連絡してよね」他の女と名前を間違えると厄介なので姫で統一させてもらっている。そういう例は案外多いらしい。貴方が女性でもしそう呼ばれているなら気を付けよう。


「今日はバトル制のライブか」ライブにはいろんなパターンがあるがその一つに客の投票で順位を決めるバトル制のライブがある。今回はそれなりに名のある芸人も出ているので業界関係者も見に来ているかもしれない。「気付いてるかシュウジ?今日でコンビ結成してちょうど1年だ。今日結果を出そう」終わってみればその日の出来はもの凄く良かった。何年かに1回ネタ中にその場が現実から乖離した世界のような不思議な感覚に陥ることがある。そういう日は頭で考えるより先に台詞が口から出る。「2位か。上出来だな」「ワタル。やっぱりお前すげーよ。ホントに1年で結果出すなんてな」因みにこのとき1位を獲ったコンビは結局売れることなく解散していった。お笑いという華やかな世界の陰翳。面白くても辞める芸人はごまんと居る。『辞めない才能。続ける努力』とは良く言ったものだ。「おい聞いたか?」楽屋がなにやら騒がしい。「今日3位だったフルートってコンビ芸歴1ヶ月らしいぞ」僕はちょうどそのコンビのネタを見ていた。顔の印象は希薄だがネタが抜群に面白い。特に萬意の含み方が絶妙だ。しかし1ヶ月しか経っていないコンビにあそこまでのクオリティを出すのが可能なのか。恐ろしいコンビが出てきたものだ。


「ねぇ他にも女いるんじゃないの?」「いや。姫だけだよ」”この姫”は人妻のくせに独占欲がある。自分は旦那がいるのに不公平じゃないか、とは思わない。『女性は愛すべきものであって理解するものではない』多くの男性諸君はそこがわかっていない。別に無理に理解しようなんて思わないでいいのだ。所詮男と女そもそも思考回路が違うのだ。あと余談だが『恋はするものではなく落ちるものだ』という言葉があるがそれは子供の恋だ。大人の恋は”仕掛けるものだ”。携帯が鳴った。懇意にしている作家からだ。「もしもし。わかった。すぐ行く」「嘘でしょ?もう帰るの?」「打ち合わせなんだ。行かなきゃ」「貴方は私を物としか見てない」「そんなことないよ。僕の大事な姫」と言ってキスをしといた。が、こういう女は後々、枷になる場合が多い。徐々にフェードアウトの方向に持っていこう。


「ここはもっとこうした方がいいと思うんだ」「ここで天丼を入れてみるのもアリだな」いろんなネタ作りの形がある。完全にネタ作り担当の芸人が1人で考えたり、相方とエチュード的な作り方をしたり、作家と一緒に考えたり。僕は1人でなかなか納得いかないときだけ作家に相談することにしている。因みに天丼とは同じ種類のボケを被せていくことだ。「少し休憩するか」そう言い終わってすぐ作家のナカタさんの携帯が鳴った。「うん。うん。そうか。今近くにいるから来るか?」若手の芸人からだろう。ナカタさんは元芸人ということもあって、若手から特に慕われている。「ちょっと1人来たいって言ってる奴がいるんだけど呼んでいいか?」「別にいいですよ」10分もしないウチにそいつは表れた。「あっ、どうも。ちゃんと話すのは初めてですね。フルートの宮部裕太です」みやべゆうた。「知ってるよ。1ヶ月であれだけのネタをやれるコンビなんていないよ。ネタはどっちが書いてるの?」「僕が書いてます。ウチの相方は全然努力をしないタイプでいつも厳しく言ってるんですが聞かなくて」「相方を掌握しようとするとお互い潰れるよ。慈しむべきとまでは言わないけど最低限の尊敬は必要だと思うよ」「あっ。はい!忠告ありがとうございます。俺ルーキングさんのネタ大好きです!めっちゃ面白いですよね!」「コンビ名はダサいけどな」ナカタさんが茶々を入れてくる。こういうことを言っても嫌味に聞こえないのがこの人が慕われる要因の一つだ。それから3時間ほど三人で喋りたおして解散した。それからすぐあとフルートは名実ともに将来を嘱望される芸人に成長していった。1位になっても2位になっても脚光を浴びる奴は浴びるし浴びない奴は浴びない。厳しいがそういう世界なのだ。

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