9話 クレオの動揺
「氷壁」
ノエミがそう呟いた瞬間、分厚い氷の壁が出現した。
バンッ!っと音を立てて火弾が弾けるも氷の壁はびくともしない。
呆然と座り込むノエミを庇おうと、自らを盾にするべく飛び出した私の身体が虚しく空を切る。
「1000の雷礫」
そんな私を気にもとめずに、続いて発せられたノエミの言葉。
ブラックワイバーンに向けて伸ばされた掌から、氷壁を迂回しながら無数の光の粒が飛んでいく。粒の一つ一つが身体に小さな穴を穿ち、たまらず逃げ回るブラックワイバーンを追尾する。
無数の光の粒が一本の帯となってブラックワイバーンに伸びていき、その光が収束したあとには何も残っていなかった。
「ふぅ」
ブラックワイバーンの消滅を確認して、一つ息を吐くノエミに掛ける言葉が見つからない。
炎のブレスを切り裂く技は、今の王国騎士団長が過去にやったと噂に聞いたことがある。私でも傷つけられなかったブラックワイバーンをいとも簡単に切り飛ばしたノエミなら、団長同様Bランクに届いていて、同じことをやっただけだと、無理やり納得する術はあった。
氷壁と呟いた魔法もそうだ、あの火弾を無傷で止められるかどうかは置いておいて、呼び名こそ違ったが魔法自体は多くの魔法師が使うアイスウォールと同じだろう。火弾の打ち過ぎで威力が弱まっていたと、強引に説明することもできた。
だが何だ?
火弾を切り飛ばした?
火弾は単純に炎が丸く集まっただけの物ではない。なにかに接触した瞬間に、凝縮された熱の力が一気に弾け辺りを吹き飛ばすという魔法で、切り飛ばせるという代物ではない。
そして1000の雷礫と呟いたあの魔法、一つ一つを見ればライトニングバレットとよく似ているが、あれ程の連続発動なんて聞いたことがなく、その威力は個人が発動して良いものでもない。
そして何よりもすべての魔法の発現にノエミが詠唱を用いていないことが、ノエミの得体のしれなさを表していて、同時に私を動揺させた。
魔法の発動と詠唱の関連は不変であり、無詠唱での発動はあり得る筈がなかったのだ。
すべてが常識外で、異常すぎた。
私とてベルトイア家に生まれて幼い頃から武魔共に修練を積んできた。生憎魔法の才能には恵まれなかったが、その分知識だけは詰め込んだ。
だからこそ、今起きた出来事が現実だと簡単に認めることが出来ない。
「クレオさん?大丈夫ですか??」
ノエミが呆然と立ち尽くす私の顔を覗き込み手を降っている。
「あ…あぁ、すまない。少し驚いただけだ……。」
そう答えながら、無意識に一歩後退りした私に向けて、ノエミは複雑そうな笑顔で返した。
「ノエミ、お前は…」
「先ずは先に戻った皆の治療に戻りませんか!」
私の言葉を遮るように、ノエミが声を上げる。
言われてみればその通りで、深手を負っていた部下たちが心配だ。
何よりカーラ様の側を長く離れる訳にはいかないと、ノエミと共にカーラ様の元へと急ぐ。
私の前を走るノエミを見ながら考える。
こんな得体の知れない人物をこれ以上カーラ様に近づけて良いのだろうか?
しかし、私や部下たちを守り、ブラックワイバーンを撃破してくれたのも紛れもない事実で、ノエミが居なかったら確実に全滅していただろう。
それもカーラ様に近づく為の作戦だろうか?
カーラ様を害するつもりなら今回の襲撃は格好のチャンスであって、我々を助ける必要はない筈だ。
他国のスパイかと疑いだせばキリがなく、疑わしいのなら排除すればいいだけなのだが、もしもノエミに他意がないのなら、ここで手放すことは国家的な損失になりかねない。
走りながら答えの出ない堂々巡りを3度繰り返した時、大きく手を振るカーラ様が目に入った。
「カーラ様ご無事でしたか。」
早々に駆け寄り掠りギズ一つ無いカーラ様を見て安堵する。
「私は大丈夫です。それよりも魔物はブラックワイバーンだったと聞きました、クレオこそ怪我はありませんでしたか?」
「ノエミの魔法のおかげで、掠りギズすらも癒えました。」
「それは良かった。他の者を逃がすためにノエミ様と二人で対峙したと聞いています。大儀でありました。」
「いえ…結局は私は何の役にも立たず、ノエミが一人で討伐してくれたのですが……カーラ様、実は…」
「ノエミ様お疲れ様でした。治療までして頂いて有難うございます」
ノエミに感じた私の疑問を、いっそカーラ様にも聞いて頂こうと口を開きかけたその時、部下たちの治療を終えたノエミが私の後ろに立っていた。
聞こえたかと動揺するが、平静を装いノエミの方に向き直す。
どこか、淋しげにも見えるノエミのぎこちない笑顔に、胸の奥がチクリとする。
詳しくは馬車の中で聞かせてくださいと、カーラ様に促され、ノエミと共に乗り込んだ。