犀竜は天に昇る
第十二の章 救出と謎と少年と
「じゃ、行くぜ…うらぁ!来てやったぞ、鬼ども!俺が相手だ!」
鉄平が角を出し、叫びながら集落に駆けこむと…見覚えのある鬼が、それを見つけて声を上げた。
「あいつだ!いつも邪魔ばっかりする…」
「何だと!」
「やっちまえ!」
見覚えのあるのも、ないのも…里中の鬼たちが飛び出してきて、彼を追いかけた。
「ひえー、この人数でフルボッコにされちゃかなわん…」
鉄平はすたこらさっさと逃げ出した。鬼たちが後を追って山に入って行く。
「今のうちに!」
少女二人は坂を駆け降りた。
里の中にはもうあまり人…いや、鬼の姿はなかった。
「何だ!?お前…」
一人が気づき、こっちを見るが。
「はっ!」
さやかが体当たりし、結界ではじき飛ばした。
「早く!」
「母さん!」
二人で小屋に駆けこむと、年配の女性が藁打ちをしているところだった。
「お春!?どうしたの…っ」
「訳は後!逃げよう、とにかくっ」
事態が呑みこめていない母の手を引き、小屋を飛び出した。
「母さん、行くよ!手を離さないで!」
一気に走り…里を抜けようとして。
「おい!そこで何をしている、春鬼!」
その声に、少女と母親はびくーんとして振り向いた。
「鬼武・喜兵衛…」
「―行く気か、春鬼。母親を連れ出して…」
鬼の若長である喜兵衛が、重々しく呼びかけた。
「そうだ。もう、お前たちには従いたくない」
恐怖をこらえて、お春はきっぱりと言った。
しばらくお互いに目を見交わして。
「―行け」
彼は、背を向けた。
「もう、ここには戻って来るな…」
「鬼武・喜兵衛―喜兵衛兄」
「もう、見逃しはしないぞ」
どこかすがるように声をかけるお春を、突き放した。そのまま去っていく。
「見逃してくれた…?」
「行こう、さやか」
さやかの袖を引き、お春は走り出した。足を止めずに山の中に入り、駆け抜ける。
「も、もう、いいかな…」
三人ともへとへとになって、ようやく足を止めた。
「追ってはこない…?」
「まあ、私たちのことはそんなに気にしていないかもな」
お春が汗をぬぐいながら呟いた。
「あの、全く話が見えないんだけど…どういうこと?」
お春の母がためらいがちに声をかけてきた。
「あ、ごめん母さん。実はね…」
「…そうですか」
一通りの説明を受けた母親は、瞑目した。
「お春を解放するために…ここまでしてくださって。ありがとうございます」
土下座せんばかりに礼を言う彼女に、さやかの方が慌ててしまう。
「顔を上げてください、お母さま…友達の苦しみを取り除くのは当り前のことです、ほんとに」
「母さん。この人たちは…信じ合うことを知っているんだ」
「どういうこと…?」
「他の人のために、命をかけられるんだ」
「そんな、大したことは…とにかく、村に戻りましょう。わたしたちの村に」
「でも、鉄平は…?」
「大丈夫、逃げのびてますよ。合流するより村に戻る方が先です」
「そうか。無事か…追われているのかな」
「そうみたいです。わたしたちから目をそらさせるために…だから、今は帰りましょう」
「母さん、少し強行軍になる。おんぶしようか」
「大丈夫。健脚で鳴らしたものよ、昔は」
母は気丈に笑ってみせた。
「じゃあ、行こう」
そう言うお春に、さやかは近づいた。
「あの、鬼の若長…お春ちゃんと、仲が良かったんですか」
「そうだ」
一抹の苦さをこめて、お春はうなずいた。
「人の血が混じった私を、いつも庇ってくれて…兄のように思っていた」
「そうでしたか…」
それで、見逃してくれたのか…それは、わからないが。
その日の夕方頃。
「まだ、追ってくるか…」
鉄平は、山の中を逃げ回っていた。
まあ、宿敵が目と鼻の先に現れたのだ、この機会に倒したいと思うのは当り前かもしれないが、とにかく諦めずに追ってくる。
「うう、そろそろ変身も時間切れって感じなのに…」
正直、疲労がたまっていた。
「でも、戻っちまうとこんなに早く走れないしなあ」
悩みどころではある。
「いたか!」
「いない!気配はこっちの方なんだが…」
その時、呼びかわす声がかすかに聞き取れた。
(…!あいつら、俺の気配を感じて追ってるのか…?)
だとしたら…と気づき、鉄平は変身を解いて少し走り、息が切れた所で林の中の藪にもぐりこんだ。
「気配が消えたぞ!」
「消えただと!捜せ!捜せーっ!」
重い足音が脇を駆け抜けて行った。
夜中、へとへとになった鉄平が村に帰って来た。
「大丈夫でしたね!ほっとしました…」
「あー疲れた、ほんと参った…」
行きも帰りも疲れたが、長く変身を維持したのも辛い。
「とりあえず眠らせてくれ…」
ぱたん、と倒れてそのまま寝てしまった。
次の日、遅く起きた鉄平の前で…お春は、手鏡を取り出した。
「何だ、それ?」
きょとんとする鉄平とさやかに、彼女は笑いかけた。
「この鏡を通して連絡していたのだが…もう、要らない」
かざすと…光の中に、女性の後ろ姿が映し出された。
「すげー、立体映像みたいだ…」
『そこにいるのは誰じゃ?そなた、他人に妾の鏡をさらしたのか!?』
後ろ姿のままぎゃんぎゃんわめく。
「あの女の人が、鬼たちの指導者…その、紅花って言う鬼女なんですか…?」
「うん。鬼武・喜兵衛の頭上に出たの、見たことある…」
「もう、いい…もう、貴女には従いたくないんだ!」
お春は鏡を地面に投げつけた。
『な、何をしやる…っ』
女性の悲鳴と共に、鉄製の鏡は割れはしないが大きくへしゃげた。
『おの…れ…』
声がひび割れ、完全に途切れた。
「…いいのか?」
「いいんだ。母も、解放されたしな…」
お春はようやく、ほっとした笑顔を見せた。
「これでもう、完全に繋がりは切れた」
「良かった、それは…色々聞きたいけど、いいかな」
「もちろんだ」
はじめて見る、心からの笑顔だった。
「水無瀬の里では、私の父が実務を取り仕切る副首領ということになっていて、その下に鬼武・喜兵衛たちがいて…一番上に、真の首領である紅花さまがいる。と言っても、私もほとんど会ったことがないが…」
手鏡を通して会話をしたのが、はじめてに近いと言う。
「行って君たちも見た通り、里にはたくさんの鬼がいて、この村などから奪った作物で養われている。奪った米とか財宝とかは、『おまん・おちか』という大力の鬼女が里に運んで行っているんだ」
「迷惑な話だなあ…あそこには田んぼや畑があったみたいだけど、畑仕事はしてないのか?」
「してはいるのだが…鬼たちは怪力と引き換えに、食う量が常人の三倍ぐらいになっているんだ。自給自足は難しい。村の食糧を食い尽し、牛や馬まで食べて…飢えに耐えきれず、あちこちの村を襲ってここまで来たんだ」
「身体もでかいもんな…それにしたって困るけど、こっちも」
本当に「ヒャッハー系」である。
「鍛冶仕事もしていて、角を隠して売ったりして…それで収入もあるが、地道なやり方には限界があるのは事実だ。麻とかも育てて、こっそり売ったりしているのだが…どうにも足りなくてな」
「そんなことしてるんだ…」
結構涙ぐましい努力をしているらしかった。
「結局のところ、こつこつ鉄を鍛えて稼ぐより、一気に略奪した方が好みらしい」
「まあ最近は、俺が守るようになったんだけどな」
「そうだな。…副首領も大変だと言っていた」
「『副首領』って呼んでるんだ…父親なのに」
「私は、あの男のお気に入りではなかったからな」
お春は吐き捨てるように言う。
「私を間者にするのも、気に入らなかったらしいが…私が常人とほとんど同じだから、適任だと判断されただけだ。…正直、父と思ったことは一度もない」
重い、言葉だった。
「ここの名主さんの方が、よっぽど父親らしいことをしてくれた」
「そうですか…」
お春はうなずき、さらに続ける。
「後…他の村を襲うのには、食糧確保のためだけではない。二つ、他に目的があるんだ」
「「二つ!?」」
「―一つは、力を蓄えて都に攻め上ること」
「都って…江府じゃなくて、八百年前に都だった古い方の…ですか?」
「ああ。山城の国にある都だということだ」
「そんな…古い都、千年の都と言っても、江府に繁栄が移ってからはすっかり寂れているって話ですよ。昔の賑わいなんてまるでないって」
「それを、紅花さまは昔のままに、咲き匂うがごとき都と思って、攻め上ろうと財宝を集めているんだ」
「そんな…」
「もう一つの目的は、『器』を探すことだ」
「『器』…?」
「実体を持たない紅花さまは、自らの依り代となれる女性を探しているのだという」
「乗り移る、ってことですか」
「そうだ…私も、十三、四の時に儀式に参加させられて…紅いもやに身体が包まれたんだ。でも、『入りこめない』と言われ、それっきりだ」
「あれか…」
鬼武・喜兵衛の頭上に現れた、「紅い何か」を、思い出す。
「鬼女の、依り代になれる女性…」
さやかが、ぶるっと震えた。
お春と母親が中洲村に身を寄せてから、数日が過ぎていた。骨身を惜しまず農作業を手伝う二人は、すぐに村に馴染んだ。
「今日はじゃがいもをふかしたのを潰して焼いてみただよ。お春ちゃんも食うか?お遣いさまさも」
「パンケーキみたいだな…うん、うまいうまい」
おまきのじゃがいも料理の腕も確実に上がっていた。じゃがいも畑も順調に増えている。
「こっちは略奪して行かないからなあ、鬼たちも」
「食べ物だってわかってないからだろうな…地面の下のものだし」
そんなことを話しながら、村人たちが名主の屋敷でわいわいと食べる。そんな中を、妙に色白の少年が通り過ぎて行った。
―鉄平がその中年男に気づいたのは、その頃だった。
「何だ?あのおっさん…」
こっちをちらちらと見ている、四十ぐらいの小柄な男だった。
正直あからさまに怪しい。
(お春ちゃんの次の間者…ってことじゃ、なさそうだけど)
それならもっと怪しまれないようにするだろう。…そう思って、鉄平は軽い気持ちでその男に近づいた。
「なあおっさん。何してるんだよ」
「はぎっ!?」
声をかけると、彼は大げさに飛び上がった。
「こ、この村が鬼に襲われているというのは、本当か…?」
震える声で聞いて来る。
「あ、ああ。本当だけど」
「いくつもの村が潰されてしまったというのも?」
「そうらしいなあ」
「ああ…!」
男は真っ青になって震えだした。
「どうしたって言うんだ…?」
そこに…声が上がった。
「鬼が来てるぞ!早く神社にっ」
「何だってえ!?全く忙しい…」
「ほ、ほんとに鬼が来るのか…?」
男は…へたっと座りこんでしまう。
「お、おい!ここで腰を抜かすな!抜かすんなら逃げてからにしてくれっ」
鉄平は叫ぶが、男の耳には届いていないようだった。
そこに鬼が現れる。鉄平は金棒を引っつかみ、鬼の元へ走った。
「おっさん逃げろ!そう長くは止めとけない!」
しかし、中年男は腰を抜かしたまま動こうとしなかった。
「鉄平さん!」
そこに、さやかが駆けつける。
「やばいんだ!さやかさん、頼む!」
「はい!肩貸しますんで、早くこっちに!」
男を引きずるようにしてさやかは逃げ出した。
幸い、襲撃はハチやクマががんばったりして早々に撃退できた。
鉄平が戻ると、中年男は神社の境内でまだ震えていた。
「大丈夫か、おっさん。怖かっただろ?だったらこの村には近づかない方がいいぜ、離れてろよ…俺たちは、逃げる訳にいかないけどな」
「す、済まないっ…」
男はいきなりへたりっと座りこみ、土下座をはじめた。
「…ちょっと!何すんだよ、止めてくれよ…!」
「申し訳ない…二十年前、俺が鬼を復活させてしまったんだ…!」
「「二十年前!?」」
「どういうことだ…詳しく説明してくれよ、おっさん!」
鉄平のあまりの剣幕に、男は縮み上がった。
「鉄平さん、落ちついて…でも何をしたんです、あなた」
一応制止しているさやかだが、声は殺気立っている。
「その時…」
怯えてはいたが、彼はぽつりぽつりと語りはじめた。
「俺はその日も、一攫千金を求めて街道を歩いていた…」
(その日『も』ってところが、すでに駄目なんだけど)
鉄平はそう思ったが、また怯えさせそうで言えない。
「うまい話はないかなあと歩いて行くと…小さな子どもが、声をかけて来たんだ。妙に肌が青白くて、頭に角っぽいものがあったかなーと思ったが、別にいいかなと」
信じがたい大雑把さである。
「そいつは、片言だったが大判小判がざくざくあると言った。里の寺の、五輪の塔の下に…大人の力なら、崩してお宝を簡単に手に入れられると」
「じゃあその子ども…子鬼?は何で取らないのか、とかって聞かなかったんですか?」
「ああ、聞いたけど…子どもの力じゃ、無理とか何とか」
「そもそも里の大人に頼んだらどうかとか、考えなかったのか」
「そこまでは考えなかった…とにかく美味しい話だな、と」
疑問は全て棚に上げることにしたらしい。
「で、里に行って…五輪塔の前に、立ったんだ。てっぺんをちょっと押すだけだと言われて…押すと、五輪塔はがらがらと崩れて…」
思い出して、ぶるっと震えた。
「その下から、紅いもやが噴き出したんだ。同時に、ぞっとするほど美しい女の声が響いたんだ」
『ほ、ほ、ほほほ…』
女性の笑い声が、響き渡ったのだと言う。
『ついに!ついに封印が解けた…!』
『うわあっ!』
必死で飛び退いた目の前で、もやはどんどん広がって行く。
『妾を解き放った礼だ。そなたは鬼にしないでおいてやろう…これが慈悲じゃ。ありがたく逃げるが良いわ!』
「…逃げて行く途中で、後ろから悲鳴が聞こえて…」
ぶるぶる震えながら、回想を終えた。
「それを放っておいて、一人で逃げたんだ。怖くて、逃げて…ずっとあちこちをさまよってきたんだ。二十年たって戻って来たら、村がいくつも逃散したって聞いて、申し訳なくてたまらず…」
「『鬼にしないでおいてやろう』ってことは…」
さやかは考えこみ…あっと叫んだ。
「じゃあ、鬼になって村を襲っているのは、その里に住んでいた人たちなんですか!?」
「その『もや』に取りつかれて、鬼にされたってことなのか!?」
「す、済まない!俺にもどうにもならんのだ!」
「これが、二十年前の真相…うう、おまきちゃんには言えないな。あの子が両親からはぐれてるのって、一部はこの人のせいだ」
「まことに申し訳なく思っているのであり…ひーん」
「まあ責任うんぬんは後だ」
今は現在の状況と、情報を整理する時であった。
「とにかく、その鬼女…紅花の怨念で、里にいた人が丸ごと鬼になっちゃったってことだとな。本当の鬼じゃなくて、里の人たちに怨念が取りついたってことか」
「でもそれなら、お春ちゃんが生まれたってのも納得できますね。元は人なら、間に子どももできるでしょう」
「あの『鬼武・喜兵衛』とか『熊武・与六』とかいうのも、取りつかれる前の人としての名前と、鬼としての名前を組み合わせて名乗ってるってことか…」
そう考えると納得できる。
「それじゃあ、その鬼女の怨念をまた封印するか何かすれば、鬼になってる人たちを元に戻すこともできるのかなあ」
「それは…やってみないとわかりませんが」
できるなら、やりたい…それが、偽らざる思いだった。
そこへ、唐突に駕籠が到着した。そこから見覚えのある墨染めの衣が転げ出る。
「はあ…歩くより楽かと思いましたが、これはこれで辛いですね…」
「貴女は…!」
「良玉ちゃん!?また、脱け出して来たのか…?」
「な、何とか出してもらいました…本願院の資料を調べましたら、どうしても伝えないといけない事がわかりましたので」
良玉はばーっと巻物を広げた。
「鬼女が退治された時の記録が、古文書の中に残されていたんです。何と言っても古い寺ですので…その中に、こんなものがありました」
彼女は記されていたことを要約して読み上げる。
「『我々には鬼女を封印することしかできなかった。ここに清浄なる巫女と、法力ある僧が揃っていれば、また話も違っていただろうが、今の我々には彼女を五輪塔に封じ、供養することしかできない。本当の意味で成仏させることはできなかった…それが心残りだ』と」
「清浄なる巫女と、法力ある僧…揃っていれば何とかできるのか!?」
「さらに…余白の所に、こんな書き込みが」
巻物の一か所を示し、読み上げた。
「それによると…『その二つに、さらに竜の力さえあれば、完全にこの地から引きはがすこともできるであろう。それでやっと成仏もさせられる』ということです」
「『竜の力』…?」
はじめて聞く言葉に、一同は困惑して顔を見合わせた。
「竜…竜って、ドラゴン?」
「は?」
「あ、いつものだ。気にしないで…でも、『竜の力』なんてどこ探したら見つかるんだろうな」
まあ、鬼がいるんだから竜もどこかにいそうな気もするが。
「うちの神社にも、竜の知り合いはいないと思いますねえ」
全員でうーんと考えこんだ。
「わたくしも、もっと調べてみます」
「わたしも神主さんに聞いてみますね」
うなずき合い…一同は、鬼女を成仏させようと決意したのであった。
第十三の章 記憶と竜と少年と
「『清浄なる巫女』が、さやかさんで」
「『法力ある僧侶』…これは、良玉さまならその資格は充分ですね」
「あとは…『竜の力』が必要なだけか」
とは言え、具体的にどうすればいいのか。
「竜ですか…話は、聞きませんねえ」
「こういう雑学に詳しそうな奴って…」
顔を見合わせ、思いついた名前を口にする。
「「修理(修理さん)…か」」
「他に思いつかないなあ…」
そこに、陽気な声がかかった。
「おーい!鉄平、さやか!また来てしまったぞ、あたしら!」
珠姫と…背の高い男が、近づいてきた。
「噂をすれば…か。タイミングいいなあ、性格はともかくとして」
「うるさい。この性格は生まれつきだ」
何やら大荷物を下ろしながら、修理はぶすっと答えた。
「さっそくだが…何か知らないか、修理」
「竜の力」についての話を聞き…彼は、首を振った。
「あいにく、そういうことは専門外だな」
阿蘭陀とかのことなら知識はあるが、と付け加えるところが彼である。
「そうか…やっぱり、手掛かりはなしか」
一同でがっくりする…そこに、ひょいと口を出したのはここの神社の神主、さやかの叔父にもあたる人物だった。
「竜がどうしたって?…この辺にも竜の伝説はありますよ。たとえば、この近くを流れている境川には犀竜の伝説があります」
「さい…りゅう?」
はじめて聞く名前だ。
「犀のような、竜なのだと言う話です」
「「「?」」」
「鼻の頭に一本、角がある竜なのだと言うんですね」
「鼻に…角!?」
それは、今までひた隠しにしていた「事実」に、あまりにも近い情報だった。
「何でも、境川の上流は昔は湖で…人々は斜面にしがみつくようにして少ない田畑を耕していたのだと言います。それに心を痛めた犀竜さまが、息子と力を合わせて命がけで湖を切り開き、広い耕作地にしたのだと言うことです。その時に流れ出した水から、ここの境川もできたのだと」
鉄平の「角」については何も知らない神主は、そう語った。
「それが、鼻に角があったという、竜のしたこと…」
鉄平は無意識に自分の鼻を触っていた。
「その犀竜さまは、元をただせばこの信陽の国の一宮の神さまが、民を思って竜に化身した存在だとも言いますよ。何か心当たりがあるなら、良光寺の裏にある一宮の分社に行って話を聞いてきたらどうですかね。紹介状ぐらいなら書けますよ」
そう言って神主は去って行った。
「これは…」
残った一同は、顔を見合わせる。
「とんでもないところから、手掛かりが来たなあ」
「じゃあ、俺の『角』は…鬼ではなくて、その犀竜に由来があるかもしれないってことか…!?」
「それで、凶暴にもならないってことなのでしょうか…」
わからなかったが、そう信じたかった。
「犀か…犀ってあの、アフリカとかにいる…あれか?」
「あふ…って、どこのことですか?」
「ああ、阿弗利加か。遠い異国の大陸だと言う」
「はー、そうなんですか」
「こんなことを知っているのはこの国では私ぐらいだろうがな」
修理は得意そうに鼻をうごめかせている。
「…でも、鉄平さんは知ってたってことですよねえ」
「う!それはそうだが…でも本当に、よく知ってたな。江府でも本当に少ししか知らんぞ、こんなこと」
「すごいですね、鉄平さん」
「い、いや…何で知ってたのかな、俺」
ただひょいと口から出てきただけなのだが。
「まあいいや。…よし、明日にでもその神社に行こう。話を聞けたらラッキーってことで」
「楽になるってことですね」
多少ずれているが、会話になっていた。
「俺の持っているこの『力』こそが、『竜の力』なのかもしれないっていうことか…」
しかし、必要な「力」が揃っていたとしても、まだ自分たちは鬼女のもとにたどり着けてもいないのだ。
「とにかく、また攻めてくるだろう鬼を、何とかしないとなあ」
「海津の家中全体として、この村を守れないかな、修理」
「難しいと思いますよ、姫さま」
「でもっ修理…啓ちゃん!」
「何と言われようと、これだけは駄目です姫。幼名で呼ばれようが、これはお受けできません。わかってください」
修理は優しく、しかしきっぱりと答えた。
「うー…」
「これは、姫のお父上…殿からのご命令です。私が海津の家中の一員である限り、逆らえないし…姫、貴女のことも命をかけて止めないといけない。それが、立場です」
「いつも、あたしのことなんて気にしてないのに」
珠姫は吐き捨てる。
「こういう時だけ、口を出して来るんだ、父上は」
「そもそも婦人…それも姫君ともなれば、おとなしく奥にいてお琴でも弾いているべきものです。なのにうちの姫さまは、外遊びが大好きで御殿に寄りつきもしない」
「まあ、そう言うな。今度欲しがってた蘭学書、買えるようにするから、なっ?」
修理の軽口に機嫌を少し直したらしく、彼女はにこにこ笑って彼の背中を叩いた。
「お菓子でも買うノリで買収されてもなあ」
とにかく、これからも少人数でこの村を守らないといけないということだ。
「収穫の時に、総攻撃をかけてくるだろうって言うのに…」
そこへ。
「兄ちゃん!兄ちゃん!大変だよ!」
大声を上げながら、利吉が駆けこんで来た。
「どうした、利吉!?」
「兄ちゃんに会いたいって人が来てるんだよ。その人は…えっと…」
利吉は言葉を切り、かなり動揺していたが…やっと、言った。
「兄ちゃんと同じような恰好をしている、人なんだよ」
「俺と…似た服の人、か」
「『大江鉄平と言う人はいるか』って聞かれてさ。いるともいないとも言わないで、こっちに来たんだけど…」
どうするのか、と聞いているのだ。
「鉄平さん…」
さやかが、不安げに身を寄せてきた。
「うーん…」
会うべきか、会わない方がいいのか…わからなかったが。
鉄平は、決断した。
「会ってみるよ。いる所に、案内してくれ利吉」
「うん!」
「こっちだよ!」
村の出入口に、その人…少年は、待っていた。その姿を見て鉄平、プラスぞろぞろついてきた一同は息を呑む。
ジーンズにワイシャツ、白いベストといった服装は、確かに鉄平によく似ていた。
鉄平に気づき、その少年の顔がぱっと輝いた。
「やっと捜し出せたよ…長かったぞ、鉄平」
「治…」
そんな呟きが、鉄平の口から転げ出る。
「治…なのか…?」
「鉄平さん!」
驚いたさやかが、彼の腕を揺さぶった。
「思い出したんですか、昔のこと!?」
「うん…な…んか、俺、こいつのこと知ってる…友達だった」
「やっと思い出したか、鉄平」
「俺…うわ、どうして忘れてたんだ…」
一気に、記憶がよみがえって来た。
「思い出した!俺は、ただの高校生だったんだ!」
「『戸々背』って何ですか?」
「うーん…どう説明していいかわかんないけど、学校に通って色々教わってたんだよ、俺とこいつは」
「学問所みたいなものか…」
「神さまの国でもないし、鬼もいない…普通の学生でさ。それで、二人で家に帰ってる途中で…いきなり、爆発が起こって」
「爆発?火薬でも作ってたのか、そこで」
「いや、そうじゃなくてガス爆発だと思うんだけど…とにかく炎が迫って来て、ああもう駄目かなーって思った時に、声が聞こえて…気がついたら、ご神木の下に倒れてたな、俺」
「俺はここじゃない、遠くの国に飛ばされて…ずっとお前と、帰る方法を探し歩いていたんだ。そしたら、ここに変わった服の奴がいるって話を聞いてさ。帰る方法はまだだけど、お前だけは見つけられたよ」
「ごめんな、こっちはきれいさっぱり忘れてて」
「記憶喪失だったんだから、仕方ないよ。…どうも、お前を呼び寄せたかったみたいなんだよな…俺はおまけでこっちに連れて来られたみたいで」
「あの時の声…確か、『済まない』って言ってたよな」
それが…これから会いに行こうとしている、その「犀竜」の声だったのかは、わからないが。
「…で、お前たちはいったいどこから来たんだ、本当に。呼び寄せられる前はどこにいたんだ?」
修理が好奇心に耐えられなくなったらしく。会話に割りこんできた。
「あなたは…?」
「ああ、先に名乗るのが礼儀だな。私は、佐久間修理」
「ふーん…佐久間、か」
治はしばらく考えていたが…やがてにこっと笑って、言った。
「修理さん、幼名は啓之助とか言わないかな?」
「ど、どうしてそんなことを初対面で言われないといけないんだ!」
ありありと動揺の色を見せて修理は叫ぶ。
「何で修理の名前なんて知ってるんだ?」
「俺たちの『歴史』での彼は、これから有名になるんだよ」
「そ、そうなのか…歴史なんて話半分に聞いてたからよく覚えてないや」
情けない話ではあるが。
「何!歴史に名を残すのか、私は!」
あっさり動揺から立ち直ったらしく、修理が食いついてきた。
「いや、あなた自身が名を残すかどうかはわからないけど…俺たちがいた世界の歴史では、『もう一人の佐久間修理』が、名前を残してるんだ」
「そうなのか…すごいぞ、『もう一人の私』!」
一人で盛り上がってる修理は放っておいて…鉄平は今の会話の重要性にあらためて気づいた。
「『俺たちの世界』ってことは…こことは違う、別の世界から来たのか、俺たちは」
「そうだ」
少年は重々しくうなずいた。
「ここは、俺たちの故郷の歴史からすると江戸時代にあたるけど…タイムスリップしたんじゃなくて、江戸時代によく似た平行世界に来てしまったらしいんだ」
「へ、へいこう…!?」
さやかが目を白黒させている。
「だから俺たちが何かしても、タイムパラドックスとかにはならないみたいなんだ」
「他にも世界があるのか…あたしには、よくわからんな」
「六道みたいなものでしょうか…」
良玉の思い描く「別の世界」と言えば、そうなるだろう。
「まあ、それとは少し違うけど…そんな感じかな」
何はともあれ、ついに記憶を取り戻した…これからどうするのかは、わからないままだったが。
「どうやれば帰れるのかとかは、全然わからないんだよなー」
「思い出せば何とかなるかな、と考えていたが駄目だった。
「そうですか…」
何故か、さやかはほっとしたようだった。
「何にしても、鬼が何とかなるまでは、ここにいるよ」
そう、そっちは何も解決していないのだから。
「明日、一宮の分社に行ってみるつもりだけど…そこで、何かわかるといいんだけどなあ」
次の日…珠姫たちは帰ったが、治やお春たちは良玉に案内されて分社までついてきた。
「まず、俺とさやかさんが入って聞いてみるよ」
そう言い置いて、二人は神社の鳥居に近づく。
(ここに来たって、何かわかるって保証はどこにもないけど…)
ただ、「鼻に角」というまことに頼りない手掛かりがあるだけで。
でも、少しでも可能性があるなら、すがってみたかったのだ。
さやかとうなずき合い、鉄平は鳥居を―潜った。
潜ったその時、周りの空気が変わった。
「これは…!」
その空気に、鉄平の中の「何か」が激しく反応する。
『よくぞ来た…』
そんな”声”が、頭の中にわんわんと響き渡った。
―気がつくと、二人は奇妙な、暗い空間の中にいた。
「洞窟にでも落ちたのか、俺たち…?」
しかし…落っこちたのを示すような痛みも、傷もない。
そこに。
『済まなかった…本当に』
また、いんいんと声が響いた。
暗い空間の中に…何かが、たゆたっている。
長い長い胴に手足がつき、巨大な頭に繋がり…その鼻面には、一本の角。
「あんたが、犀竜…なのか?」
『然り』
耳には低い唸り声として聞こえるのだが…頭の中で、それが威厳を持った女性の言葉になる。
『お主には、苦労をかけた…』
「あんたが…いや貴女が、俺たちをここに呼んだのか」
『然り。我が力を分け与え、鬼より人々を守るにはそれしか方法がなかったのだ』
「どういうことですか…?」
『この世界には、ごく薄くだが鬼の因子がまき散らされている』
声は続いた。
「我の力を受けるには、鬼の因子を持たぬ者でなければならなかった…そのために、別の世界からお主を呼ばせてもらったのだ。お主は、友と共にあの爆発で死ぬ所であった…そこで、済まぬとは思ったが、介入してこちらに呼びこんでしまった』
「そうか…やっぱり、そうでなきゃ死んでたんだな」
あらためて、思い知らされた。
『かつて、湖を切り開いた時に我は現し身を失い…他の者に力を分け与えない限り、世に力は振るえぬ。…かつ我の力を受けた者は、鼻に『角』が生えてしまう…鬼と間違えられてしまうことは予想できた。しかし、他に方法がなかったのだ。許してほしい』
「いや、いいんだ…力を貸してくれて、感謝してるよ。これだけは言わせてくれ…ありがとう。呼んでくれなかったら俺たち、死んでたんだしな」
『まさか、八百年の年月を経て鬼女が復活してしまうとも、考えていなかったが…小鬼の話は聞いたのか?あの小鬼は、天邪鬼とも呼ばれていて…力の弱い鬼であるが故にどこの封印からもこぼれ出て、他の封印された鬼を復活させようと動き回っているのよ。それが、うまく行ってしまった』
「あのおっさんが、うまい話につられたからか」
『我にもどうしようもなかったのだ』
「それで、あちこちの村を襲って…」
『しかし…我の予想を超えたことを、お主たちは成した』
犀竜の黄金に輝く目が、どこか優しくなった。
『清浄なる巫女、法力ある僧侶…それらを揃えることができるとは、思わなかったぞ』
「いやあ、さやかさんはともかく、良玉ちゃんは勝手に来てくれたんだし」
『鬼女を浄化するには三つの要素が必要…巫女の清浄なる祈りの力で怨念を弱め、、高僧の法力で縛り…そこで竜の力をもってこの地より引きはがすことができるはずだ。それを知らずに、よくぞ揃えた』
「そうなのか…へへ」
照れるしかない。
『こんな好機はない…今度こそ、やり遂げなくては』
「そうだな。こんなチャンス、そうそうない…」
「ちゃんと、やりましょう、今度こそ」
『だが…鬼女を真の意味で浄化し、成仏させるにはその三つだけでは叶わぬ。鬼女の子どもこそがその鍵を握るであろう』
「鬼女の…子ども?あ、前に聞いたな…」
『その子とは…抜けない刀を抜き放った時、会話ができるであろう』
「「…?」」
そう言われても心当たりはないが。
「この騒動が、終わったら…鉄平さんを、元の世界…ですか?に帰すことはできるんですか…お友達も一緒に」
さやかの呼びかけに、困惑した気配が伝わって来た。
『我には…『元いた場所、その時』にしか、戻せぬ』
「つまり…戻ったら、次の瞬間に死んじまうってことか…」
『済まぬ。他の『所』には、我の力では戻せぬのだ』
「そうか…」
ショックではあったが、どこかに…納得している、自分がいた。
明るくなった…と思ったら、二人は元の場所にいた。
「鉄平!大丈夫か!?」
「二人がいきなり消えて…」
みんなおろおろしている。
「ああ、大丈夫だ。色々、わかったことがあったよ」
第十四の章 刀と石と少年と
村に戻ってみると。
「ああ、お邪魔してるぞあたしら」
珠姫と修理が名主宅でお茶を飲んでいた。
「お前らもう毎日のようにこっちに来るのな」
「だってこの村の状況、放っておけないじゃないか」
心配して来ていることをアピールするが…楽しんでいることが見え見えである。まあ手勢も一緒に来るので正直有難いが。
「海津の家中の方がわざわざ来てくださって…感謝しております」
珠姫たちを―「姫」であるとは気づいていないが―接待していた名主夫婦がにっこり笑った。
と…鉄平の視界を、誰かがちらりと横切った。
ときどき見かける、村の子どもとは違う服装の少年である。こちらを見て、何かを言いたそうにしているが言葉は発さない。
「いつもこっちを見てるだけなんだよなー」
その時…鉄平は、気づきたくないことに気づいてしまった。
その少年の…服の裾や、足の先などが微妙に透けて、後ろの景色などがにじんで見えていることに。
さらに…その少年を「見て」いるのは自分だけで、さやかも珠姫たちもその子に一切注意を払っていないことにも。
「さやかさん…あの子、知ってるか?」
念のため…震える声で、聞いてみた。
「あの子…って?」
「ほら、そこでこっちを見てる…」
見えると言って欲しかった、欲しかった…が。
「え、え?そんな子、いませんけど…?」
きょとんとしている。
「えーっ!」
今さらながら…透けていたことも思い出し、震え上がった。
「じゃ、じゃあ…幽、霊…?」
鉄平の一番苦手なものであった。
「そんな子どもの幽霊が…見えるんですか!?」
さやかも驚くが、鉄平はそれどころではない。
「ゆ、幽霊…俺、それだけは駄目なんだよ!」
哀れ、血の気が引くのを自分では止めようがなかった。
「幽霊、苦手なんですね…」
「殴って効かないのは駄目なんだよ~っ」
「鬼には立ち向かってるのに」
「おい、しっかりしろ。お前にだけ見えると言うことは、竜とか鬼とかと何か関係があるかもしれないぞ。どういう姿をしているか説明しろ、どんな細かいことでもいい」
修理が話に食いついてきた。
「えーと、その…ふ、筆と紙!筆と紙くれよ、描いて伝えるから!」
口で説明する自信がなく、鉄平はそう叫んだ。
「こんな…感じだったかな」
さらさらと描いてみせた「子どもの幽霊」の絵に、みんなで見入る。
「絵うまいですね、鉄平さん…」
「マンガとか描いてたからさー。こういうのは得意だぜ」
「漫画…ですか。江府にそういうのを描いてる高名な浮世絵師がいるって聞きますねえ…何でもここの近くの富豪に招待されているらしいんですけど、鬼が出没しているんで来るのをためらっているとか」
「でも変な絵だよう」
遊びに来ていた利吉が口をはさんだ。
「目がこんな大きくて、鼻がこんなに小さいなんておかしいよ」
まあ確かに、この時代の描き方ではないだろう。
「顔はどうでもいいんだ。問題は…服装の方だな」
修理が話を引き戻した。
「童水干…っていうものですかね」
描かれた服装を見て、さやかが首をひねった。
「えらく昔の服装だな」
「例えば、鬼女の時代の…か?」
「…そうか。それは、確かに時代が合うな」
修理はうなずいた。
「だとすると、その時代の子どもってことですか」
「それで、鉄平に呼びかけている…だとすると…」
自称天才の頭脳がフル稼働する。
「…ふむ。この服装なら、鬼女が生きていた時代の子どもだとしてもおかしくない。…つまり、この子こそが鬼女の子ども…その幽霊と言う可能性はあるな、充分」
「あの子が、鬼女の…紅花の、実の子どもなのか…」
「この村にいる時に、ときどき見かけるんだな?よく思い出してみろ。どこで見たか、誰がいる時に見たか…手掛かりになりそうなことを一つ一つ」
「えーと…はじめて来て、みんないたなあ…それと…」
思いつくままに一つ一つ記憶を挙げていくのを、修理は細かく書いていく。
「…わかったのは、これだ」
話を聞いて、書いていった情報をじっと見直して…彼は結論を出した。
「場所はばらばらだ。さやかさんも、いない時があった…全部の目撃時に『いた』のは、ただ一人」
修理は朱で「その一人」を全部チェックしてみせた。
「これ…名主さんか!全部の時にいたのって!?」
「わ、私かね!?」
いきなり話を振られて名主がびっくりした。
「名主さん…で、犀竜が確か…」
先程言われたことを全力で思い出そうとする。
「『抜けない刀を抜いた時』だっけ…?」
「刀…そう言えば春に、『古い守り刀を手に入れた』って…」
「「「それだああっ!」」」
「お父さま!あの抜けない『平安時代の守り刀』持ってますか!?」
さやかは血相変えて傍らの父を見た。
「あ、ああ。ここにある…」
名主が慌てて懐から取り出した短刀を、鉄平は手に持った。
「平安時代の刀って、本当だったんですね」
感心するのはそこではない気がするが。
「これを、抜けばいいのか…?」
わからない程度に角を伸ばし、力をこめて錆びた刃を引っこ抜いた。
「うわあっ!」
刀身からまばゆい光が放たれる。思わず目を覆い…光が消えた時に、目の前にいたのは。
『やっと、ぼくの声がみんなに届くね…』
澄んだ少年の声が、かすかな響きで届いた。
童水干姿の少年が、立っている。
鉄平は恐る恐るみんなを見回すが…どうやら、今度はみんなにも見えているようだ。
よく…よく見ると、服の端のあたりがごく僅かに透けていた。
「大丈夫ですか、鉄平さん?」
「だ…大丈夫だ。正直怖いけどさ」
ごくんと唾を呑みこんで、幽霊の少年を見つめる。
『ぼくは、常稚丸』
少年は誇らしげに名乗った。
『みんなが鬼女と呼んでいる紅花の、子どもです』
「でも、どうしてこの刀に宿っていたんですか…?」
『かつて、母が都からの軍勢に討たれた時…追い詰められたぼくが、この刀で自害したためです』
「…!」
『でも思いは残って、この刀に取りついてしまったんです。だけど、ぼくの力では鞘から抜かれない限り、思いを伝えることができず…僅かに、あなたにだけ姿を見せることができただけでした』
少年の姿は淋しげに揺らめいた。
『お願いです。母を―解放してください』
「解放って…つまり…」
『母自身の妄執から、解き放って欲しいんです』
半分透けた姿で、頭を下げた。
『ぼくだけの力では、浄化は叶いません…あなた方の力が、必要なんです』
「巫女と僧侶、それに竜の力が…ってことか」
『そうです。依り代から引きはがした時に、母の前でこの守り刀を抜き放ってください。そうすれば、ぼくが力を尽くして母を成仏させます』
「つまり…鬼女の目の前で抜かないといけないのか」
『お願いします…それができるのは、あなた方だけなんです。ああ、もう話す力が尽きました。よろしくお願いします…』
それっきり、すうっと少年の姿は刀に吸いこまれるように消えていった。
「長いこと、俺たちと話していられないみたいだな」
「本当にいざという時、呼びませんとね」
紅花のように現世に強い執着がない分、力に限りがあるということらしかった。
「何とか、願いを叶えてやりたいよな…」
死んでいい命は、ないとは思う。
でも…死してなお、さまよう親子の魂は、あるべき所に行って欲しいと思うのだ。
それから何日か、平穏な日々が続いた。
「今日は天麩羅にしてみただよー」
おまきも、その間にまた新しいじゃがいも料理を考え出している。村の人々まで来ておすそわけにありついた。
「おお、これはうまい」
「今まで食いつなげたのは…」
「じゃがいもの育て方と食べ方がわかったおかげですぞ!」
「さすがお遣いさまだ!」
「…それをこの国に持ちこんで、沓野の里に広めたの私なんだけどな…」
修理が小声で呟くが、誰も聞いちゃいない。
「「お遣いさま、ばんざーい!ばんざーい!」」
「じゃがいも万歳!焼いてもふかしてもうまい…」
「いやあ、照れるなあ…」
単に元の世界の知識だった訳だが…まあ、褒められて悪い気はしない。
信陽の国には、秋の気配が漂い出していた。
鉄平が村の近くの田んぼに行ってみると。
「ついに、稲が実りはじめたぞ…!」
与吾郎たちが、喜びを噛みしめているところだった。
「あと少しで、収穫か…大変だったな、ほんとに」
「もうすぐ、稲刈りができる…成功すれば一年食っていかれる」
「…でも、鬼たちもそれを、わかっているから」
弥惣八がぼそりと呟いた。
「勝負はここで決まるってことだな。守り切れば、俺たちの勝ち。作物を根こそぎ奪われたら、負け…」
「そうなったら、逃散するしかないな」
「おまきちゃんの故郷みたいになるのか」
「何としても、守り抜かないと!」
しかし…具体的にどうすればいいのか、それがわからなかった。
そこへ。
「鬼だ!鬼がまた…」
人々が逃げてきた。
「やべ!みんな、逃げてくれ。俺はここで食い止める!」
鉄平は仁王立ちして鬼たちが来るのを待った。
角のある大男たちが姿を現すのを見計らって。
「犀竜!力を貸してくれ…!」
そう、叫んでいた。
『我にできることなら…』
身体の奥底から声が響き、鼻の頭がせり上がった。絆創膏を突き破って、「角」が伸びる。
「これで良し!行くぜえっ!」
待ちうけているところに鬼たちが来る…が、いつもと違い戦意を見せなかった。
「何だ、あいつら…」
何が目的か…と考えたが、その動きを見て鉄平は硬直した。
鬼たちが田んぼに入って調べていたのは…稲の実り。
「よく育てたものだな…」
鬼武・喜兵衛が声をかけてきた。
「…!」
「―次だ」
言葉もなく固まる鉄平に、彼は背を向けた。
「言っておくが、先に刈っても無駄だぞ」
「どこに隠しても見つけ出すんだな!」
「そーだそーだ!」
そんな台詞を残して去って行く…のを、ただ睨みつけることしかできなかった。
「どうすりゃいいんだ、ほんと…」
そう言いつつ何気なく振り向くと。
「あ、あ、あ…」
そこにいた若者と、目が合った。
「お前…!」
いたのは―若衆組の裕作だった。どうやら逃げ遅れ、ほこらに避難していたらしい。
こちらを見て、口をぱくぱくさせている。
その目に映っているのは―今引っこめつつある、鼻の「角」。
「し、しまった!」
慌てる鉄平に…裕作はやっと、言葉を発した。
「お、鬼…」
「止めてくれ…」
「お遣いさまは、鬼だあっ!」
腰を抜かし、這いずるように…逃げていく。
「ま、待ってくれ…っ」
「鬼だあっ!鬼だ鬼だ鬼だ…」
「違う!これは…」
しかし、説明して何になろう。
「鉄平さん!」
さやかが駆け寄って来た。
「ばれちまった…うう、どうすれば…」
あっという間に情報が広まったらしい。鉄平が神社の入り口まで戻ると、村人たちが集まってこっちを見ていた。
村人たちの表情から読み取れるのは―怯え。
「…!」
口に出す非難なら、反論もできる。
しかし…怯えられた時、どうすればいいのか。
「俺は…!」
こつん。
何かが、鉄平の肩に当たった。
「石…?」
ためらいがちに投げたのだろう。痛くは、なかったが。
(みんなが、拒絶してる…のか…?)
その感覚が…どんな身体の痛みより、痛かった。
「…」
言いたいことは、山のようにあった。
しかし…泣きわめいて、抗議しても…自分がみじめになるだけ、そんな気がしてならなかった。
「鉄平さん…!」
一方で、さやかは身体を震わせていた。
「こんなのってないです。ひどすぎます!」
そんな彼女に、鉄平は声をかけた。
「俺、村に入んないどくよ」
「でもっ鉄平さん!」
「いいんだ。あんな目で見られるより、ましさ」
そう言って背を向ける鉄平に、さやかは泣きそうになった。
「お地蔵さまのほこらにでも泊るからさ。大丈夫だって」
「鉄平さん…!必ず、みんなを説得しますから!」
「鉄平さんは、鬼じゃありません!」
村人たちを無理矢理引き止め、さやかは必死に説明していた。
「でも、角が生えるんだろう…?」
「…あれは!境川の化身であられる犀竜さまが、鉄平さんに力を貸しているしるしで…!」
「証拠があるのか?さやかさまが庇っているだけでは?」
「そんなことは…!」
「証拠は一つだけだ。あの角…それが全てだ」
「そんな…!」
さやかは言葉を失い立ちつくすのみ。
「それでいいの?みんな…それでいいのか?」
子どもが一人、人々の輪をくぐり抜けてさやかの前に立った。
「ずっと兄ちゃんに守ってもらってたじゃないか!兄ちゃんが鬼と戦える力があるのに、甘えてたんじゃないの?」
「利吉!引っこんでろ!」
罵声が飛ぶが、利吉はひるまない。
「すごい力があるからって、甘えてたんじゃないの?」
拳を握り、必死に言いつのった。
「ずっと兄ちゃんに守ってもらってたんじゃないか。何にも手伝わないで、守ってもらってきたじゃないか…なのに今になって、角が生えるから、怖いからって嫌がるって何だよ!ひどいよ、あんまりじゃないか!」
「利吉…」
「おいら、知ってたよ」
さやかを庇うように立ち、少年は答える。
「兄ちゃんに角が生えること、知ってたよ…」
足が震えていたが、それでもきっと立って叫ぶ。
「兄ちゃんに守ってもらってたのに…ひどいよ、みんな!兄ちゃんは暴れたりしないよ、みんな知ってるだろ兄ちゃんのこと!」
涙をため、さらに続けた。
「他の誰が信じなくても!おいらたちだけは信じないと!」
人々に動揺が走った。
「…その通りだ!」
お春が今にも結い髪をほどきそうにするのを、さやかは目で制した。彼女が正体をここで明かしてもややこしくなるだけだ。
「おらにも言わせてくれ」
おまきが立ち上がった。
「お遣いさまさは馬鹿だ。本当に、どうしようもなく馬鹿だ」
「ちょっと、おまきちゃん!?」
思わず抗議しかけるさやかを制して、続ける。
「んだからこそ、あいつには嘘はつけね。半年もみんなをだまし続けるなんてこと、できる訳ねえんだ」
「…」
「みんな、おらからも聞く。あんたらの目に映ったあいつは、ずっと人をだまし続けるような奴だったか?」
「淋しいな…」
鉄平はハチとクマだけを連れて、ほこらの前で座りこんでいた。
「もう、村に入れてくれないかもな、俺のこと」
身体をすりつけてくる二頭を撫でながら、そう呟いていると。
「何だ…?」
何か、大騒ぎする人々の集団が、近づいて来る。
人に会いたくないとも思ったが、人恋しさと好奇心の方が勝った。
「お・遣い・さまっ、お・遣い・さまっ♪」
確かに、みんなそう言っていた。
そのまま鉄平の方に迫って来る。
「わーっ!」
思わず、逃げかけたが…完全に出遅れた。そこに人々が殺到し、もみくちゃにした挙句担ぎ上げる。
そのまま、お神輿のように担がれてぐるぐる廻り歩いた。
「これって…」
どうやら、拒絶したのを謝りたいのに…恥ずかしいらしい。
だから、担ぎ上げて練り歩くことで、誤解が解けたことを暗に示しているのだ。
「…まあ、いいか…受け入れてくれるんなら」
怖がられたり、石を投げられたりするよりは遥かにましだった。
そのまま担がれて村の広場まで来ると。
「鉄平さん!」
さやかと利吉、お春たちが待っていた。
「さやかさん!」
「良かった…」
さやかは涙目になっている。
「ほんとに済みません。みんな、本音を言うのが照れくさいんですよ。一度鉄平さんを怖がったのに、掌を返して受け入れて…そのことを謝りたいのに、正直に謝る言葉が出て来ないんです」
「いや、わかってますよ、村のみんなのことは…ずっと一緒にいたんですから」
心から、そう言えた。
「…あ!それどころじゃないんだ、聞いてくれ!」
鉄平はさっきのことを説明しはじめた。
第十五の章 稲と水と少年と
「そうか。『先に刈っても無駄だ』と言われたか」
修理や珠姫も来て、みんなで考えこんだ。
「確かに、隠しきれる自信はないなあ」
どこかで見張られていることは充分予測できる。
「早めに刈ったとしても…安全な場所に運ぶ前に見つかったら奪われるな」
八方ふさがりであった。
「このままだと…この村は滅ぼされる。それだけじゃない、来年になったら他の村が襲われるんだ」
この連鎖を、断つ術はないものか…みんなでうーんと首をひねった。
「何とか…何とか、年貢だけでも免除にならないかな…」
実りを奪われるのを覚悟して、そんな後ろ向きな意見も出た。
「海津の家中も財政が厳しいからな。難しいと思うぞ…この夏北の方の別の殿さまの領地で、川が洪水起こして周りの田畑を呑んだって言うし」
「それで、こっちの殿さまも天災を恐れていなさるだか」
「じゃあ…この中洲村を年貢免除にしてくれって言っても、駄目かなあ」
「こっちだって洪水起こる時には起こるのに…今年はそうじゃないって言うだけで駄目か」
「そんなに洪水って…この村でも起こるのか?」
鉄平が何気なく尋ねると、与吾郎があきれ顔になった。
「当り前だ。この村の名前、考えてみろよ」
「えーと、『川の中洲村』…そうか、水に浸かりますと言ってるようなもんだな」
「そうだろう?特に、この神社あたりが一番の低地なんだ。何でも、かつての戦国武将が水難除けのためにここに神社を勧請したって話だぜ」
「わたしが習ったこの社の歴史としては、武運長久を願っての建立でしたけど」
しかし、この地が一番の低地であることは間違いないらしい。
「じゃ、俺たちはこれで」
そう言って、「畑仕事があるから」と与吾郎たちは去って行った。
「洪水…」
それにも気づかず、鉄平は一心に考えこんでいた。
(収穫…鬼が奪いに来る。そしてこの辺が一番の低地…)
パズルのピースがはまっていくように、一つのアイデアが形を成してきた。
「…これだ!これしかない!」
「何だ!?どうした!」
いきなり叫んだ鉄平に、修理たちがびっくりした。
「思いついたんだ…こんなことで、っていう作戦なんだ」
驚かれたのにも気づかず、呆然と呟く。
「他に方法はないけど…みんな、反対するだろうな…」
「だからぁ!一体どんな『作戦』なんですか鉄平さん!」
さやかが思わず声を荒げた。
「ご、ごめん!怒られるかもしれないけど、こんなのを思いついたんだ…」
鉄平はそう前置きして、説明を始めた。
「そんな…!それじゃあ…」
説明を聞いて、さやかが息を呑んだ。
「なるほど…これは、確かになかなか思いつかんな」
修理は顎を撫でて考えている。
「特に、よそから来た者の発想だ…ここに住んで、田畑で汗水流して働いている者には、思いつくことではない」
「そ、そうか…」
そう言われると、ものすごく心苦しいが。
「しかし…これなら、鬼たちの主戦力を封じられるぞ。有効な作戦と言わなければならない」
一応、褒めているらしかった。修理は大荷物の中からこのあたりの地図を出し、朱でびっしりと高低差を記入していく。
「…ただ、この作戦を実行するには…」
修理は言葉を切った。
「わかってる。今年の稲、全滅させないとな…」
半年、必死になって稲を育てている人々を見てきても…どんなにそれが辛いものか、わかるとはとても言えない。
「これは…私たちだけで決められることではないぞ。村のみんなに話して、賛同をもらわないとできることではない。準備も必要だしな」
「…わかってる。わかってるけど…なんて言えばいいんだ」
それでも、賛成してもらわなければならないのだ。
「…私が説明しても反発されるだけだ。頼む、鉄平」
「俺が言っても反発されると思うけどなー」
しかし、確かに修理が言った方がより反発されそうだった。
「とにかく、こういう作戦だ。犀竜…聞こえるか」
『聞こえているとも』
遠く、いらえが返って来た。
『しかし、我には境川を”そう”することはできても、千隈川の方は無理だ。境川だけでは力が足りぬだろう』
「わかってる。そっちは…考えがあるんだ。協力してくれ」
『そうか…我はいくらでも協力するぞ』
その返事をもらって、鉄平は修理に向き直った。
「修理には…一つ、やって欲しいことがある」
「何だ」
「お前にしか任せられないんだ…頼む」
深々と頭を下げ、頼んだ。
「そうか。私にしか頼めないか…難しいことなのだな」
「そうだ。頼む」
「そう言われては、断る訳にいかんな…」
隠しきれない喜びをにじませて、修理はうなずいた。
「任せておけ。しっかりとやってみせる」
笑いがこみ上げるのを抑えて、彼はうなずく。
「で、具体的に何をすればいいんだ、私は」
「本当に修理にしか頼めないことなんだ」
鉄平は説明をはじめた。
夜になって、村人たちを集めて…鉄平は、話を切り出した。
大まかな作戦を説明し、修理がびっしり朱を入れた地図で詳しく解説していく。
「…鬼たちを一網打尽にして、もうどこも襲われないようにするには…他に手がないんだ。みんな、わかってくれ」
「嫌だ!そんなの、認められるか!」
案の定、若衆組が真っ先に騒ぎ出した。
「代掻きして、田植えして、雑草を取って取って…それもこれも、稲の収穫を願って必死でやってきたんだ!それを…この一年の苦労を棒に振れだと!?そんなのは認められない!認められるか!」
「俺たちがどんな思いで!地べたに這いずりまわって稲を育てているか!八十八どころじゃない苦労をして育てた稲に、どんな思いを持っているか…お遣いさまには、わかってない!」
「ああ、わかってないよ…けどな!このままじゃじり貧だってのはわかってるんだ!今の流れを断ち切らないと、この村も、お前の大事な稲も…鬼にしゃぶり尽くされるってことはな!」
「それはお前が…!」
「わかってる、俺がふがいないってのはな!」
思わず噛みついた与吾郎に、鉄平は吼えた。
「でもな!俺は一人しかいないんだよ!俺一人じゃ沢山の鬼を止められない。実った稲を、一人で守り切ることはできないんだ。このままだと…お前の稲は、鬼たちの食糧になるんだ!」
「この野郎…!」
与吾郎は鉄平に掴みかかった。馬乗りになって殴りつける。何発も、何発も拳を入れ…鉄平の口から、一筋血が流れた。
「殴ってるんだぞ!角出して耐えろよ!…それとも、俺の拳なんて角を出さなくてもいいぐらいのもんだと思ってるのか…!」
胸倉を掴んで吼え、ついでどさっと鉄平の身体を投げ出した。
「みんなに犠牲を求めてるのは、わかってる…この一年の苦労を棒に振れって言ってるのは、わかってるよ。その痛みに比べたら、こんな痛みなんて軽い…」
流れた血を拭って、鉄平は続けた。
「嫌がられるのは…憎まれるかもしれないことは、わかってる。でも、俺が言わなきゃ…俺がやらなきゃ、いけないんだ。そうしないとこの村に未来はないんだ!」
「そこまで、言うのか…」
与吾郎は…鉄平の言葉よりもその表情に、胸をつかれたらしい。
「…本当に、それで鬼を一網打尽にできるのか」
低く、聞いてきた。
「与吾郎…」
「本当に、この無間地獄を断ち切れるのか」
「ああ。他に手は、ない」
「…わかった。お前を信じるよ…鉄平」
はじめて、名前を呼んだ。
「与吾郎!」
「今まで、この村のために戦ってくれたこいつを、信じよう…みんな」
ぐいと…痛いほどに、与吾郎は鉄平の手を握りしめた。
「…頼む」
「…わかった」
そう答えるしかない。
「信じよう、皆の衆…稲を犠牲にしても、鬼たちを捕まえるんだ」
彼は村人たちに、呼びかけた。
「…そうだな。俺たちにだって、できることがあるはずだ」
声がぽつぽつと上がった。
「俺たちにできることで、今度はお遣いさまを助けるんだ!」
それが「諦めること」なのが辛いが。
「でも、作物を…稲を全滅させたら、年貢はどうするだ?取り立てられたら、おらたちやっぱり逃散するしかねえぞ」
「そうか。それじゃ鬼を倒しても、この村は終わりか…」
そこに、声がかかった。
「それは、あたしたちに任せてくれ」
「珠姫さま!…そうか、姫さまがお殿さまにお願いすれば…」
「…わたくしも、協力いたします」
また、良玉が駆けつけてきて口添えする。
「それは…助かるなあ。頼むよ」
「でも、あたしはもっとみんなに協力したい。修理、海野の家中を総動員してことに当たりたいんだ。やってくれるか」
「…姫さま、それは…!」
「あたしは、父上にもっと、民のことを考えて欲しい」
「しかし、姫さま…」
「人々のことを考えない殿さまには、なってほしくないんだ」
賛同をためらう修理に、珠姫はたたみかけた。
「あたしが父上を説得する。だからお前は軍勢を動かす準備をしてくれ、啓ちゃん…いや、修理。頼れるの、お前だけなんだ」
「う…」
言葉が出てこない。
「頼む。あたしは、鉄平たちに力を貸したいんだ」
まっすぐな瞳で、珠姫は修理を見つめた。
「あたしも、お城にいるだけの間は、わかっていなかったんだ。…けど、外に出て鉄平やさやかたちと過ごして、わかったんだ。武士だから、領主だからってふんぞり返っているだけじゃいけないってことが」
「姫さま、そのお気持ちだけで充分…」
「あたしの気が済まないんだ」
さやかの言葉をぶった切って、珠姫は吼える。
「この村を生け贄にしちゃいけない。一つの村なら滅びてもいいなんてことはないんだ。守らないと」
「姫…」
しばらく驚いていた修理だったが、やっと笑った。
「…姫さまが私に頼みごとをするのは、はじめてですな。いつも、私や主計から逃げ回っていたのに」
「だってそれは、いっつも父上からの命令を伝える役だったからだよ」
「わかっておりますが…甘えられるのではなく、頼まれるのはいいものですな。わかりました、協力しましょう」
「ありがとう、啓ちゃん…いや、佐久間修理」
思わず幼名で呼びかけ、慌てて言い直す珠姫に、修理はようやく心からの笑顔を返した。
「とにかく、この一年は麦やじゃがいもで食いつないでいこう」
「あんなの、主食になるかよ…」
今度は年配の村人たちが騒ぎ出した。
「大体、じゃがいもなんてそんなに収穫できなかっただろうが」
「わかってる。これっぽっちのじゃがいもじゃ、食べてもつなぎにならないってことは…でも、それでも…『米が全滅してもこれがある』って言えることが大事なんだよ。心の支えなんだよ!」
必死に言いつのる鉄平に、色々言いたいこともあるだろうが人々は賛同の声を上げはじめた。
「そうだな。元々おらたちの戦いだ…」
「お遣いさまにおんぶにだっこだったが、それじゃ駄目だよな」
「そうだ!みんなで戦おう!」
「…一年、じゃがいもだぞ」
「それでもいい!大ばくち、やってみようぜ!」
かくして、一世一代の作戦が実行に移されたのである。
捨て身の作戦が。
数日がたち、稲がいよいよ収穫の時期を迎えた頃。
「そろそろだな…」
修理の姿は、千隈川の上流にあった。
山道を歩くこと数時間、やっと目的地にたどり着いたのである。
「どうだ。完成したか、みんな!」
「大丈夫です、佐久間さま!」
人足頭が答え、「それ」を誇らしげに見せる。
「よし、これなら大丈夫だな…川の水もちゃんと溜まっているし」
修理は満足げにうなずいた。
「設計図通りに造りましたが…『これ』は一体、何なんです?」
「うむ、これは『ダム』とというものだ。殿に買っていただいた阿蘭陀の百科事典にもとづいて設計したのだが…非常に役立つもので、阿蘭陀では首都の名前にも遣われていると言う。まあ、こんなものを造れるのはこの国広しと言っても私ぐらいなもんだな」
得々と語り、振り向いた。
「合図は以前に指示した通りだ。頼むぞ、みんな!」
「「「わかりました!」」」
「頼まれた通り、やったぞ…鉄平」
その日の夜だった。
「あいつらの様子はどうだ」
鬼たちのキャンプ(?)で、戻って来た偵察隊に鬼武・喜兵衛が声をかけた。
「こっそり稲を刈ったりしていないか」
「刈ってる様子は、なかったんだな。ただ…」
「ただ?何だ、言ってみろ」
「大八車が、忙しく往復していたんだなあ」
「家財道具でも運び出していたか?」
「逃散の準備でもしているのか…用意のいいことだ」
どっと笑いが起こった。
「あと、なーんか石ころみたいなものも大八車で運んでいたんだな」
「石ころ…?」
「まあ、米でないならいいだろ」
それが「食べ物であるとは、鬼たちは気づいていなかった。
「とにかく、米を運び出している様子はない、と…」
「よし。明日、村を襲うぞ…これで最後だ」
さらに、夜も更けた頃。
「心が…どうしようもなく、乱れるんです」
さやかは神社のご神体の前で必死に祈っていた。
「何をしていても…どうしても、雑念が入って来て」
「それは…ある一人の異性についての思いですか?」
柔らかな声が問いかけた。
「それが『雑念』とでも?」
「神主さま…」
「巫女だって、恋をしていいんですよ」
そっと入って来た神主は、さやかに声をかけた。
「でも、それは巫女にとって『穢れ』では…」
不安げに見上げる少女に、神主は優しい笑顔を見せた。
「誰かを強く思うことは、『穢れ』ではありませんよ。実際の行為に及ばれると少し困りますが」
「神主さま、わたし、そこまでは…!」
「わかっています。そこまで達していないことは…ですから、大丈夫です。この騒動が終わったら、その時ですね」
「はい…」
うなずいて、さやかはまた祈り出した。
ついに、朝が来た。鬼たちは、出せるだけの人数を水無瀬の里から呼んで来て、行進してきた。
「よーし、久しぶりに稲を刈るぞ!」
鬼武・喜兵衛の声と共に、一斉に田んぼに入って稲に取りつく。
「おお、よく実ってるなあ」
「あいつらに任せておいて正解だったぜ」
「ああ、これでこの村も終わりだなあ」
軽口を叩きつつ、どんどん刈って行った。
「ついに来たか、あいつら…」
―それを、少し離れた所から、鉄平たちは見ていた。
「そろそろ頃合いだぞ、鉄平」
修理が声をかける。
「ああ、わかってる…犀竜、頼む」
『わかった』
鉄平が遠くの犀竜に呼びかけるのと同時に、修理は傍らに置かれた大きな機械をいじり出した。文字の書かれた円盤が付き、何やらコードが遠くに伸びている。
「何だそれ」
「おう、これは『電気通信機』と言って、遠く離れた所に正確に通信ができるものだ。これで『ダム』に連絡が届く…日の本で実用化したのは私が初だぞ」
修理はものすごく自慢げだ、が。
「…でも、昔俺がいた所では、誰でも簡単に遠くと話ができるんだぜ。こんな大げさな機械使わなくてもさ」
「そ、そうなのか…鉄平の故郷では、普通なのか」
修理はがっくりした声を発した。
「だけど、自力でこれを造ってみせたのは偉いと思うぜ」
「そうだよな!私はやっぱり天才だよな」
実にあっさりと機嫌が直った。
「とにかく、これで後は待つだけだ」
そこへ。
「うまく行ったか?」
後ろから声がかかり、一同が振り向くと、そこにいたのは。
「姫さん!?」
そこには、あちこち省略しているがそれでも重そうな甲冑に身を固め、太刀を佩いた珠姫が。
「どうだ、似合うか?」
「うわ、これはこれで萌え…」
「ひ、姫さま!?どうしてそんな恰好を…!」
「この戦い、あたしが総大将だからだ」
晴れやかに笑い、胸を張る。
「父上がもう戦場に出られないからな。あたしが出陣して、本陣に座すんだ」
「危なくないですか!?」
「大丈夫、きっちり守られてやるさ。あたしの一番の仕事は、生きのびることだからな。士気を保つために」
そう言って、珠姫は後ろに陣取る海津の武士たちに向き直った。
先祖伝来の鎧などを着込んだ、年齢もばらばらの武士たちが並んでいる。
みんな、不安げな表情だ。無理もない…泰平の世は長く、実際の戦いなど遥か過去の話でしかないのだから。
命令とは言え、きちんと応じて出てくるだけでも大したものだ。
その前で、緋縅の鎧を着た珠姫が、声を張り上げた。
「いいか!戦う相手が鬼だからと言って、無闇に恐れるな。とにかく戦列を乱さないことだけを考えろ。我々は鬼たちを追いこめばいいんだ。直接戦う必要はない!」
「そ、そう…でござるか。直接戦わなくてもいい、と…」
ざわめきが武士たちの間に広がっていく。
「武装して、立ってくれればそれでいい」
「そうか…それなら、我々にも何とかやれる…」
武士たちの顔に、生気がよみがえった。
「よし!しばらく待て!」
そう下知して、珠姫は鉄平たちに笑いかけた。
「じゃ、またな。あたしは本陣で、きっちりと守られてやるさ」
そう言って去っていく。
「大丈夫でしょうか…」
「まあ、本陣なら心配ないだろ」
「でも確か…ずーっと昔にここで起こった大合戦では、本陣に敵の大将が斬りこんで来たって」
伝令役としてここにいる利吉が、震える声で口をはさんだ。
「いや、あれはあくまで伝説だ。信用できる情報じゃない」
修理がきっぱりと答えた。
「じゃ、じゃあ啄木鳥戦法とか、車懸かりの陣とか三太刀七太刀とかは」
一体寺子屋で何を学んだと言うのだろうか。
「全部伝説だ。気にするな」
かなり尾ひれがついているらしい。
「…とにかく、姫さまを守るためにも、頑張らなくてはならんのだ」
「修理、お前…姫さんのことを…」
「…姫には内緒だ。どうせ…言っても仕方ない」
ぶっきらぼうに答え、鬼たちの方を見た。
「…いよいよ、ですね」
そこに声がかかった。
「良玉ちゃん!」
尼僧が近づいてきた。
「そうそう、昔逃散した村の人々が良光寺近くの村に流れ着いて、帰れる日を待っていると聞きましたよ。…娘がはぐれたと言って捜している一家もいると言うことですが…」
「じゃあ、おまきちゃんの家族も、そこに…!?」
「行ってみないとわからんけどな」
「でも!これっていいニュースだよ!」
そんな話をしているうちに、時間は経っていった。
「みんな、見て!いよいよだよ!」
利吉の声に、みんな振り向き…「それ」を、見た。
鬼たちが「それ」に気づいたのは、鉄平たちより少し後のことだった。
「おい…何か、おかしくないか」
「そう言えば、足元が…」
下を見ると。
「水が…!」
そう、いつの間にか足元を水が洗っていたのだ。
「だんだん水かさが増えてきたぞ!」
「…いかん!これは…!」
鬼武・喜兵衛が叫ぶが、もう遅い。一気に増えた濁流が、刈った稲の束ごと鬼たちを押し流していった。
「伊賀瀬・小助!お前の力で何とか…!」
「こんな大量の水、無理…がぼごぶぐぶ」
「うわあっ!」
「助けてくれ…!」
たかが水で、と思われるかもしれない。
しかし、実際に濁流に足を取られれば…どんなに怪力を誇る鬼たちとは言え、なすすべなく流されていくしかないのが事実だった。
「みんな、大丈夫か…」
「な、何とか」
溺れる仲間を何とか助け、ほうほうの体で全員水から上がって息をつく、そこに。
「今だ!押しこめ!」
珠姫の下知が飛び、槍を構えた武士たちがぐるっと周りを取り囲んだ。
「く…」
水との戦いで疲れ果てた鬼たちには、暴れて活路を開くこともできず。
ずらっと並んだ槍の穂先を前に、固まることしかできなかった。
「馬鹿な!稲が水に浸かるぞ!飢え死にする気か、お前ら!」
水に浸かった米は、芽を出してしまう。
もう穀物として利用することはできないのだ。
「それなのに…あえて、収穫を棒に振って…!」
「それでもだ!」
村の男たちも、見よう見まねで槍を突き出していた。
「俺たちは、稲を犠牲にしていいと、決めたんだ!」
「今まで守ってくれた、お遣いさまに報いるためにな!」
「お前たちを倒す道を、村のみんなは選んだんだ!」
珠姫が叫ぶ。
「その覚悟、無駄にはできない…降伏しろ!これ以上の抵抗は、無意味だぞ」
「う…」
さすがに、どんなに凶暴でも勝てないとわかった。
もはや武器さえ流された鬼たちは…どうすることも、できなかった。
「…本当の洪水は、こんなもんじゃないぞ鉄平。忘れるな」
「わかってる。わかってるけど…他に手がなかったんだ」
鉄平たちは、鬼たちが追いつめられるのを見ていた。
家々の茅葺き屋根に届かんばかりに水が荒れ狂い、田畑に流れこんでいく。
「ああ、村が水浸しになってしまいました…」
さやかは泣きそうになっていた。
「わたしたちの、大事な大事な故郷が…」
「…ごめん、さやかさん。他に、あいつらに勝つ方法が見つからなかったんだ」
「いえ、わかってます。わたしも納得したことですし」
さやかは涙をぬぐい、微笑んだ。
…犀竜と修理が造らせた「ダム」がしたのは…二つの川の水をせき止め、一気に放出することだった。一時的に川を増水させ、稲を刈っている鬼たちを呑みこむ…それが、鉄平が思いついた作戦だったのだ。
「みんなは避難して無事だけど、村は全部水に浸かったな…」
「再建しましょう。生きていれば、できます」
さやかがきっぱりと言った。
「でも、下流の村は大丈夫でしょうか…それに海津のご城下も」
「城下には父上が造った堤防がある。大丈夫だ」
修理は「父上」をやたらに強調して言った。自慢の父らしい。
「下流の村には、早く稲刈りと避難をしてくれるように手配してある。大体どのぐらいの地域が被害に遭うかは計算してあるからな。田んぼが石ころだらけになるのはどうしようもないが」
「そうか…色々と手配してくれてたんだな、修理」
「鉄平の発想は、大したものだ」
修理はうなずいた。
「ただ、発想は見事でも具体的ではない。それを具体化し、実行に移すのが私の仕事だ」
そこに、声がかかった。
「珠姫さまからの伝令です!鬼たちを拘束したとのこと!」
「よし、俺が行く!さやかさん、修理、お春ちゃん…一緒に来てくれ」
一同が行ってみると。
精根尽き果てた鬼たちが、縄では危険なので鎖をかけられている所だった。
「く…清浄な気配、が…!」
さやかが近づくだけで、鬼たちの顔が苦痛に歪む。
「…俺たちの負けだ」
鬼武・喜兵衛が、こちらを見て声をかけてきた。
「喜兵衛兄…」
お春が呟く。
「まさか、稲の実りを全部棒に振ってまで、俺たちを捕らえるとはな…!」
「みんなで犠牲を払っても、お前たちを止めたかったんだよ!」
「見事だ。悔しいが、負けた…煮るなり焼くなり、好きにしろ」
牙を避けて、唇を噛む…そこに。
『ほ。ほ…』
鈴を転がすような、ぞっとするほど透き通った笑い声が、響いたのだ。
「な、何だ!?誰だ!?」
「これは…!」
ぞわっと鉄平の背中に悪寒が走った。
「な、何ですかこの気配…!?」
さやかが恐怖の声を洩らす。
『ほ。ほほ…ほほほほほ、ほほほっ!』
その笑い声がどこから洩れてくるのか…最初、誰にもわからなかった。
「鬼武・喜兵衛、お前…!」
「そ…んな、馬鹿な…」
…声は、鬼武・喜兵衛の身体の「中」から、聞こえていた。
『今の今まで…清浄の気配を、嫌っていたが!』
紅いもやが、彼の身体から爆発的に噴き出す。
『その清浄なる巫女が、妾の依り代となりうる器を持っていたとはな!』
そのもやが、さやかに襲いかかった。
『この娘を依り代にして…妾はこの世に現出せん。再び肉体を得て、力を思うままに振るい…そして都に、憎き都に上って滅ぼさん…!』
さやかを包みこみ、縛り上げた。
「嫌ぁ!助けて…!」
持ち上げられながら、さやかは必死でもやの中から手を伸ばす。
「さやかさん!」
「鉄平さん…!」
双方で伸ばした手は…ほんの僅か、届かなかった。
『この娘は貰っていく!我が依り代としてなあ!』
高笑いと共に、紅いもやにさやかの全身が覆い尽くされ―北の空へと猛スピードで飛び去っていく。
「さやかさん!さやかさああーん!」
鉄平の声が、空しく響いた。
第十六の章 妄執と乙女と少年と
「う…ぐ、力が、力が抜ける…」
紅いもやが飛び去るのと同時に、鬼武をはじめとする鬼たちが糸が切れたようにばたばたと倒れた。
意識はあるが、動けそうにない。
「もうこっちは、心配なさそうだな」
それより、さやかが心配でならなかった。
「早く!早く行かないと…!」
今にも飛び出して行きそうな鉄平に、修理が声をかけた。
「聞くまでもないかもしれんが、あえて聞くぞ。鉄平、これからどうする気だ」
「もちろん、さやかさんを助けに行く。それしかない」
「そうか。…お前なら、そう言うと思っていたよ」
修理はかすかに微笑んだ。
「でも、どこに行けばいいのかわかっているのか?」
「鬼の里…水無瀬の里だ。間違いない」
「なるほど。論理的に見ても、正しい判断だなそれが」
「止めるなよ?」
「止めはしないが…少し待ってくれ。鬼たちからもっと情報を得る」
そう言って修理は倒れている鬼たちに近づき、話をはじめた。
「兄ちゃん…」
「お遣いさまさ…」
水が引いていくのに気づき、避難していた村の女性たちが戻って来ていた。おまきが鉄平に近づく。
「さやかさまが…さらわれたと聞いたが」
「…ごめん。守るって言ってたのに…こんなことになって。絶対に助けるから」
しかし、おまきは鉄平を責めなかった。
「お助けしてくれ…頼むだ」
ただ静かに、そう言うだけ。
「わかってる。助けるよ、きっと」
そこに、修理が戻って来た。
「鉄平…手短に言う。鬼女紅花は、復活をもくろんでいる」
「確かに、そんなことを言ってたな」
「その器にするべく、さやかさんを連れ去ったんだ、彼女は」
「そ、そんな!?…そう言えば、そんなこと言ってさらって行ったっけ…」
動揺しまくりで、ろくすっぽ思い出しもしなかったのである。
「早く!早く助けないと…俺が行って来る!」
「ああ、もちろんだ…だが、これは好機でもあるのを忘れるなよ。紅花にはもう後がない。成仏させるとしたら、今しかないんだ」
「じゃあ、良玉ちゃんを連れていくべきなのか!?」
「そうだ。お前に宿る犀竜の力、良玉さまの法力、そしてさやかさんの清浄なる巫女としての力…その三つを揃えて、今度こそ彼女を成仏させろ」
「わかった。一刻も早く水無瀬の里に行かないと…」
「わたくしで良ければ、いくらでも協力します」
「案内は任せてくれ。最短の道を教えるよ。何としてもさやかを助けないと」
良玉とお春が口々に言う。
「おらも行く。さやかお嬢さまを助けないと」
「いや、できればおまきちゃんはここにいてくれ」
「なして行っちゃいけねえべ」
「正直、良玉ちゃんを背負って強行軍をするつもりなんだ。お春ちゃんは体力あるのわかってるけど、おまきちゃんはついて来れないかもしれない…わかってくれ、連れては行けないんだ」
「わがった。ここは任せてくれ」
おまきは渋々引き下がった。
「よし、じゃあ行くぞ!さやかさんを救出するために」
「行きましょう。全てに、決着をつけるために」
紅いもやに捕らえられ、凄まじい勢いで移動していく感覚があった。
もがいても、何の手ごたえもない。
ただ、ものすごい速度でどこか―おそらくは空―を駆けている、そんな感覚だ。
その状態が、何時まで続いただろうか。
「…!」
いきなり、さやかはどすんと地面に投げ出された。
もやが周りから引き、目の前に集まっていく。
―どうやら、洞窟の中らしかった。
「ここは…」
『妾がかつて、立てこもった岩屋よ』
もやが渦巻き…美女の姿が、浮かび上がった。
『やっと手に入れたわ…妾を受け入れるに足る、器を…』
ぎらぎらした視線が、さやかを見据えた。
『これで、妾は肉体を得て力を振るうことができるわ!』
もやが、さやかの身体にまとわりつき、入りこもうとする―が。
『これは…!』
もやが触手のように伸びて身体を包むが…ぎりぎりのところではじかれ、入りこむことができない。
『く…この娘、なかなかに手強い…心を折らねば憑依もままならぬわ!』
もやは苛立つように渦巻いた。
「負けない!鉄平さんも絶対、来てくれる…!」
さやかはきっともやを見つめた。
「貴女が憎み、攻め上ろうとしている都は、もう昔のままじゃない…」
『黙りや!』
「もう、何もかも貴女の生きていた頃とは変わっているんですよ」
恐怖に震えながらも、さやかは屈しなかった。
「恨み、憎しみだけが全てじゃない…わかっているでしょう」
もやを、ぎりぎりのところで退けていた。
「苦しまなくてもいい。恨みを鎮めて…」
『だ!黙りや、小娘!』
「きゃああああ!」
何条もの稲妻が周りを走り、さやかは思わず悲鳴を上げた。
『言わせておけば、小娘が…いい加減諦めよ!その若い肉体を妾に明け渡せ!』
怖かった。
怖くてしょうがなかった。
(でも!)
どんなに怒りを叩きつけられても、恨みや嫉妬を向けられても…鬼女の怨念―紅いもやは、さやかの身体に入りこむことはなかった。
『おのれ…おのれ!何故だ、何故取り憑けぬ!』
(必ず、みんなが助けに来てくれる…!)
この思いが胸にあるなら、どんなことにも耐えられる…そう、思えた。
「憎しみを鎮めてください!浄化を受け入れて…」
さやかの魂鎮めの声が響く。
『うるさい!妾はあの方に好かれたかっただけじゃ。それだけなのに…言いがかりをつけられ、疑われ…こんな所に流されて!挙句の果てに鬼と呼ばれて追討されたわ!この悔しさがわかるものか!』
怒り、憎しみ、悔しさ―が、さやかに叩きつけられた。
「鬼にしたのは、都だったんですね…」
『そうよ!鬼と言うなら、鬼になってやろうと…!』
憎み、呪い…復讐しようとした。死にたいほどに憧れたのに、冷たく見捨てた都へと。
『妾はただ幸せになりたかっただけじゃ。そのために持って生まれた力を使い、上に向かった…何が悪い!持てる力でのし上がろうとしたのが何が悪いと言うのじゃ!』
自分のように願った者が、他にいなかった訳ではない。
ただ、願う力が他より強かっただけ。
願いを叶える力を、持っていただけ。
『魔王の申し子とでも何でも呼ぶがよいわ。ただ、願いを叶える力が妾にはあった!その力を存分に振るい、夢を叶えてきたまでじゃ。何が悪いと言うのか!』
「理由はどうあれ、貴女のために多くの人々が苦しんで…今もわたしたちが踏みにじられている!それは許されることじゃない!」
『黙れ!妾は…』
今残っているのは、たった一つの思い。
”都へ、都へ…”
ただ、それだけ。
”あの方のいる、都へ…”
『そなたとて!思う相手に思われないことを恐れているであろう!わかっておるぞ、そなたの思う者が…帰ってしまうのではないか、思っても無駄なのではないかと苦しんでいることは!』
「…!」
胸をぐさりと突き刺されたようだった。
『だから、妾を受け入れよ…!妾の力で、愛しい者を捕らえるのじゃ!』
その囁きは…確かに、さやかの一番隠したい心の奥底に、届いた。必死で保とうとしていた心の張りが弱まる。
『そうであろう?思う者に思われないのは辛かろう?妾が手を貸してやろうぞ。一緒にいさせてやろうぞ…』
心の隙に、甘い誘惑の手が伸びて絡め取った。
「い、嫌…嫌です…」
弱々しくもがくが…抵抗の力はすでに尽きていた。
『さあ!』
悲鳴が上がり…それっきりだった。
山の中である水無瀬の里では、すでにすすきが生い茂って風にさやさやと揺れていた。
「里に、気配を感じない…山の奥に、昔紅花さまが立てこもって都の軍勢と戦った岩屋があるって聞いたことがある。多分そっちだ」
お春は、鉄平たちを険しい山の中に案内した。
「ここ…なのか!?」
木々が途切れ、少しだけ開けた所に洞窟がぽっかりと口を開けていた。
お春と、良玉を担いだ鉄平がそこに着くと、白い小袖と緋の袴が洞窟の奥にちらりと見えた。
「さやかさん!」
巫女服の少女が、洞窟からゆっくりと現れる。
「さやかさ…!」
「待ってください!」
駆け寄ろうとする鉄平を、良玉の声が止めた。
「何だ、どうしてだよ!」
「おかしいと思いませんか!?」
鉄平の背中から降りつつ、注意を促した。
「言われてみれば…」
あらためて、さやかの姿を見て何か変だと気づく。妙に表情が虚ろで…こちらを見ているのに、喜びもしない。
「さやかさん!」
「もう、遅い…」
さやかの口から、ぞっとするほど透き通った声が響いた。
「まさか…さやかさん!さやかさん!?」
「もはやこの娘は妾の依り代となった…この身体を介して、妾は再び力を振るうことができるのよ!」
確かに、姿は―さやかに、間違いないのに。
まとう雰囲気が、天と地ほどに違っていた。
漆黒の瞳は闇をたぎらせ。
紅い唇には、蟲惑すら感じさせる微笑み―。
「まさか…清浄なる巫女のさやかさんが…」
「『もはやこの娘の全ては、妾のものよ!』」
洩れる声が、二重に響く。さやかの姿をした鬼女は、はっとするほど色っぽい仕草で髪をかき上げた。
「この娘の心の隙を、突いてやったのよ」
紅い唇を嘲笑で歪めて、言い放った。
「こやつはお主を留めておきたいのよ。故郷に帰ってしまうのではないかと恐れておるのよ…そこを突いてやったら、たやすく堕ちたわ」
「さやかさんが、そんな…!」
それは、鉄平にとって衝撃だった。
「さやかさん!しっかりしろ、負けるな!」
「もう無駄だ。この娘はもはや、妾のもの…お主たちの声など届かぬわ!我が器となりて、永遠に仕えてもらうぞ!」
哄笑が、さやかの口から洩れて来る。
「そんな…さやかさん!さやか…っ!」
そう、鉄平が叫んだ時。
「え…!?」
さやかの左目から…涙がひとしずく、こぼれた。
「鉄平さん!さやかさんの心はまだ呑まれきっていません!憑依されてまだすぐなのでしょう。あなたが呼びかければ、鬼女の魂を追い出せるかも…」
良玉がはっとして叫んだ。
「鬼女になんて頼らなくていいと!本当の気持ちを、ぶつけてください!」
「ほ、本当の気持ち…」
もはや、照れたりごまかしたりしていられる状況ではなかった。鉄平はごくりと唾を呑みこみ、息を整える。
「さやかさん。俺は、ずっとあなたに甘えてきた…何も知らない俺を世話してくれて、秘密を分かち合ってくれて…そんなあなたに、頼り切っていた。本当に、悪かったと思う」
「無駄じゃ。この娘の身も心もみな妾のもの…もはやお主の声など届かぬわ!」
さやかの口で哄笑する鬼女を無視して、語りかけた。
「ごめんよ、さやかさん。…俺、さやかさんがどんな思いだったか、何もわかってなかった。傷つけちゃったの、謝るよ。―もう、迷わない。俺は、この世界に残るよ。帰らない…」
「だ、だって…鉄平さんは、よその国の人で…」
かすかな呟きが、洩れた。
鬼女の声ではなく、さやか自身の声音で。
「さやかさん…!」
「今です!さやかさんに、自分の思いを!」
「俺は…俺は、さやかさん…あなたが、好きだ」
びくりと、さやかの身体が震えた。
「ずっと、一緒に歩いていきたい…頼り合うんじゃなくて、その先に」
「く…何かや、この感情は!馬鹿な…この娘に憑依したせいで、その思いが妾に影響を与えているとでも!?」
「てっ…ぺいさん…」
同じ口から、全く異なる声音が交互にこぼれていた。
「さやか!一緒に、生きていこう!…愛してる!」
「鉄、平…さん…!」
『ぎゃあああ…!』
さやかの身体から、絶叫と共に紅いもやがはじき飛ばされた。もやが空中で渦巻く。
「鉄平さん!」
さやかは一瞬よろめいたが、すぐ立ち直って駆け寄って来た。鉄平はそれを、力いっぱい抱きしめる。
「さやかさん…!」
「もう、何も怖くない、わたし…」
感極まる中で…口づけを、交わした。
『馬鹿な…妾の支配を、外れただと…』
洞窟の上にわだかまるもやが、呻いた。
「いきなりで大変だとは思いますが…浄化の舞いを」
紅いもやに油断なく目をやりながら、良玉が叫んだ。
「今が、本当の好機なんです」
「大丈夫か?」
「やります。やらせてください」
気づかう鉄平に、巫女はきっぱりと答えた。
「―これを」
良玉が差し出したのは、千早にくるまれた神楽鈴。
「必要なものだと思いまして」
「ありがとう、良玉さま…わたし、がんばります」
さやかは鈴を手に取り、澄んだ音を立てる。
「力の限り、祓い清めて見せましょう」
鈴を握りしめ、さやかはきっと紅いもや―鬼女を見つめた。
「貴女の恨み、憎しみ…確かに感じました。でも、だからこそわたしは貴女を祓うことを選びます。浄化し、天に帰すことを…!」
白衣も緋袴もあちこち破れ、汚れていたが。
それでも、さやかは輝いていた。
白衣の上に千早を羽織り、鈴を捧げ持つ。
「さあ!行きますよー!」
「実体がなきゃ何もできないんだろ、お前!いい加減諦めて、おとなしく成仏しろよ!」
『まだ!まだ妾にはできることがある…!』
その時、一同は気づいた。
紅いもやの下で、蒼白い肌の小鬼が一人、遊んでいることに。
「まさか…!?」
もやが急降下し…小鬼に吸い込まれていく。
『不本意だが…天探女!その身体、使わせてもらうぞ!』
声が響き、小鬼の目がかっと輝いた。
「そんな!?」
小鬼の身体が、大きくなる―いや、成長していく。
めきめきと骨格が変わり、身体にメリハリがつき―見る間に、蒼白い肌の鬼女の姿になった。
「そうか…この小鬼だけが、実体を持った鬼…!」
「天探女、とか言うらしいがな」
毒々しい笑みを浮かべる。
「巫女の身体は奪えなかったが、これなら!」
「何てこった…」
しかし。
「良く見てください!」
さやかの声に、あらためてその「鬼女」を見ると。
「あれ…?」
その身体から、紅いもやがにじみ出ている。
輪郭が二重写しになって揺れ動いているのだ。
さやかの時にはなかったことである。
「完全に憑依しきれていないということですか?」
「あれが、『器として不適格』ということなのか…?」
お春が呆然と呟いた。
「みんな!今なら鬼女を引きはがせる!力を貸してくれ!」
「「わかりました!」」
さやかと良玉が、それぞれ神楽鈴と数珠を構えた。
しゃん、と鈴を鳴らしてさやかは舞う。
荒御魂を鎮め、和御魂を喚ぶ八乙女の舞いだ。
その一方で、良玉は数珠を押しもみ経文を唱えていた。
その経文は呼びかける―この世の一切は空だと。
怒りや憎しみに囚われていなくていいと。
そこに穢れを祓い浄化する祝詞が重なった。
次第に、紅いもやが揺らぎはじめた。
「お願いです。憎しみを鎮めてください…」
「あああ…っ!そのような祈りで、妾の恨みが!」
鬼女は身をよじって苦しみ、叫んだ。
「い…嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ!浄化なぞ…この怨念こそが妾ぞ!浄化なぞ受け入れたら、全て消え失せてしまう…!」
「それでも―それでも、浄化を受け入れて欲しいんだ!」
「『都は!都はいつも、まつろわぬ者…意に沿わぬ者を『鬼』と呼んで迫害する…妾はだから、その万分の一でも都を苦しめることで、報いを与えようと…!』」
「だからって!」
負けじと、鉄平も叫ぶ。
「まず、都でない所の人たちを苦しめているじゃないか!」
「『それは…!』」
「もう、あんたのこだわってる都は、この国の中心でも何でもないんだよ!もう恨んでもしょうがない…」
「『う…嘘じゃ!嘘じゃ嘘じゃ信じられぬ!妾の都、あれほど人を踏みつけてやっと上った都…!』
心の動揺も、力を弱めているのか…次第に、もやが鬼の身体から分離しはじめた。
そこに法力と霊力が、重なり合ってたぎり立つ。
「「今です!行ってください、鉄平さん…!」」
「おう!―犀竜、これがラストだ!力を貸してくれ!」
『承知!』
鼻から角が伸び、全身に力がみなぎった。
「これで、引きはがす…!」
鉄平が鬼に飛びかかった。紅いもやに触れると―ふわんとはしていたが、手に感触があった。
力いっぱい掴んで…もやを、引きずり出す。
「く…っ!」
「『ああああ…っ!』」
悲鳴と共に―完全に、分離した。
「ウキャウキャウキャ!」
小鬼の身体はまた縮んで元に―いや、それよりも小さくなって、キィキィと喚きながらどこかへ駆け去ってしまった。
後には、紅いもやが…鬼女の姿を成したり崩したりしながら、たゆたっているだけ。
『妾を倒したつもりかや?』
声が響く。
『妾はまだ負けておらぬ。またここからはじめるだけのこと!』
高笑いがあたりを満たした。
『この姿の妾はいかに怪力のお主でも殺せまい!このまま飛び去り、また新たな器を探すだけよ!』
「あいにく、逃がすつもりはないんでね…」
『何じゃと!?』
「―来い!常稚丸…今度こそ、出番だ!」
ダウンジャケットに突っこんでいた懐剣を、鉄平は力をこめて抜き放った。
ふわり、と―
少年の姿が、虚空に浮かび上がった。
『お会いしとうございました、母上』
『馬鹿な!そなたは自害したのでは…!?妾が現世に留まったから、そなたまで成仏できなかったと言うのか!?』
『もう、憎しみに囚われなくてもいいのですよ、母上』
少年の姿は、鬼女に手を差し伸べてにこりと笑った。
『しかし…妾は、ここまで罪を重ねて…』
『それでも、もう許されているのですよ』
少年は母親の幻影に触れた。紅花はびくり、と震えるが…かまわず、引き寄せて抱きしめる。
『さあ、行きましょう母上。父上も待っていますよ…』
『妾は…成仏、してもいいのか?』
『いいのですよ。さあ…』
雲間から、光が射した。まばゆい輝きが母子を照らし出す。
『ああ…怒りも恨みも、燃え尽きたか…』
いつしか、二人の姿も光に溶け出すようににじんでいた。
『ありがとうございます、みんな。力を貸してくれて…』
光が強まり、母子の姿はその中でどんどん薄れていく。
『行こう。憎むことも恨むこともない世界へ』
その言葉を残して…二人の姿は、完全に光に溶けて消えていった。
同時に、どくん、と鉄平の身体が脈動する。
「何だ…わっ!」
身体から、「力」が脱け出した。空へ向かうその姿は…竜。
その日、人々は見た。
巨大な竜が、咆哮と共に天に駆け昇るのを。
その鼻先には、一本の角。
「犀竜だ…」
竜は喜びの叫びを上げながら天を駈け廻り…消えていった。
皆でそれを見上げる。
恐ろしいはずの光景なのに…何故か人々は、身体がふっと軽くなったのを感じた。
何かが変わった、しかも良い方に…ということを、感じ取っていた。
「うわ!力が逃げてった…」
鉄平がへたりこんだ。
「本当に、これで、全てが終わったの…?」
「…あ!」
お春が声を上げた。髪を解き、頭をかき回している。
「どうした!?」
「角が…角が消えたんだ!何かむずむずしたと思ったら、影も形もなくて…」
「じゃあ、他の鬼たちも、元に戻ったのか!?だとすると、食べる量も普通になって、他から奪わなくても生きていかれるようになるのか」
「普通の村人に、なれるんですね」
「もちろん、今までしてきたことの償いはしないといけないだろうけど…」
「じゃあ、じゃがいもの作り方とか、教えてもいいかもな」
「ああ、山の中だしな。伝えてくれると助かる」
「よーし、修理も詳しいらしいし種芋を分けよう」
とにかく、問題は解決したと言うことだろう。
「小鬼、逃げちゃいましたね」
「とても追っかけて行かれなかったからなあ。でもまあ、すごく小さくなっちゃったし…もう悪いことできないよ」
甘い考えかもしれないが…追っかけて行って退治すると言うのも、いじめてるみたいでひどい気がする。
「よし!帰ろう、みんな!…ああ、でも俺へとへとだあ…」
「犀竜の力、出て行っちゃったみたいですもんね…」
「あー、帰るのしんどいなあ。誰かおんぶしてくれないかなあ」
どっと笑いが起こった。
結の章
鉄平たちが無事帰ってから、数日後。
川の中洲村では、ささやかな祭りが催されていた。
笛太鼓が響き、子どもたちがはしゃぎ回っている。
「みんな元気だなあ…これからこの村、やりくりが大変だって言うのに」
―鉄平はそれを、川の土手に座ってぼーっと見ていた。
とは言うものの…鬼の恐怖から解放されて、祝いたいのはわかる。稲が全滅して、周りからの助けで食いつなぐしかないが…やはり、祝うべきことなのだろう。
「鉄平さん、ここにいましたか。このお祭り、あなたが主役でしょうに」
巫女服のさやかが、軽い足取りで近づいてきた。
「さやかさんだって、主役じゃないか…神社のお祭りなんだしさ」
「それはそうですけどね…」
二人で座って、しばらく村のにぎわいを眺めていた。
「…治さんは、帰る方法を探しに旅に出るみたいですね」
さやかが、ぽつんと呟いた。
「ついて行かなくて、いいんですか」
「うん…今はいいかなーっと」
「でも、帰りたいんでしょう?」
「まあ、全然帰りたくないって言ったら嘘だけど…どうしたら帰れるか全然わかってないし、ここにいたい気持ちの方が強いかな。あいつには、『帰らないのも一つの選択だよ』って言われてるし。…さやかさんもいるしね」
「え…?」
その言葉に、さやかは緋袴よりも赤くなった。
「で、でも…珠姫さまや良玉さまや、お春ちゃんもいますし…わたしなんかが…」
「あの時、言ったよね俺…さやかさんと一緒に生きて行きたいって、さ」
わたわたとするさやかに、鉄平も慌てる。
「…もちろん!さやかさんが巫女を辞めたくないとか、そう言うんなら無理にとは言わないからさ!お、俺の気持ちは決まってるから…畑仕事でも何でもやるよ。養っていくなんて言わないけどさ、二人で何とか…」
「…いい、ですよ」
「え…」
「巫女、辞めても…いいですよ」
小声で発する言葉に、二人して真っ赤になってしまう。
「あ、こんなところに兄ちゃんたちがいた!」
そこに、わらわらと子どもたちが集まって来た。
「ねえねえ、こんなとこにいないでお祭り一緒にやろうよ!みんな待ってるんだよ!」
「お、おう…」
「行こ行こ、ねっ!」
子どもたちは二人の手を引き、祭りの場へと連れて行った。にぎわいの中に二人の姿が、消えていった。
…そう、村人たちは語ってくれた。
到底信じられる話ではないが…本当のことだと皆主張した。
もちろん洪水や疫病を「鬼」と呼んで語っていると思われるのだが、そう言うと村人は目をむいて否定し、鬼のこと、そして救ってくれた「神さまのお遣い」のことを語るのだ。
その「神さまのお遣い」は今も、この村にいると言う。
巫女をしていた名主の娘を嫁にもらい、子どもたちに囲まれて幸せに暮らしている…そう言うのだ。
「呼んで来るから待っていてくれ」とも言われたが…断った。
「村を救った英雄」という印象が、本人を見てしまうとがらがらと崩れそうな気がして怖かったのだ。
旅の途中で語られた一編の物語として、ここに記しておく。
END
ど田舎時代劇ファンタジー…とでも言うのでしょうか。かなり資料は読みこみましたが、そのほとんどを生かせていない気がします。真面目に取らず、楽しんでくれれば幸いです。




