刹那
「先生」
女性にしては少し低めの声。
女子高生の様にきゃぴきゃぴとした声色でなく、私に媚びるようなそぶりは全く色に出ない。
無感情に、ただ私の注意を引くためだけに発した透明な声。
それが心地よく私の心の中に広がって、少しの間が空く。
「先生?」
今度は語尾がふわりと上がり疑問を孕んでいる。
「はい」
ちょっとでもよく見てもらいたくて、落ち着いた声を出すように努めてみる。
震えなくて、良かった。
「ここ、分からんので、質問してもいいですか?」
自分のイントネーションとは異なる関西弁たるものを話す女性というかレディ。
彼女の雰囲気は他の生徒とは一線を隔てるレディとしての気品があった。
名前を書くときに右の頬にかかる髪を右耳に掛ける色のある仕草。
その所作とそれに見合うまっすぐで綺麗な文字。
彼女のすべての所作やその結果産み出されるものが彼女を少女ではなくレディとして構成するのだと納得していた。
質問も他の生徒がするようなものでなく応用的なことが多い、ような気がする。
レディがなすことすべてに私の間隔が過敏に反応を示す。
「これで、わかりましたか?」
と、私は到底標準語には程遠いアクセントの長崎訛りの言葉を話す。
「はい」
と愛想笑いを浮かべるレディは踵を返す。
そして真剣な顔をして問題集に取り組むのだ。
レディの点数は、100点満点だったのに。
採点した答案用紙をレディに返却する瞬間が私の至福の時だ。
この学校で使用されている答案用紙は経費削減のために作られた物でありその大きさはA4の半分にも満たない。
結果、そんな小さな紙を成人男性が持つとその大半を占める結果になり、それが淡い少女の夢を描く青春漫画のワンシーンの様に指先どうしが触れ合うことに繋がるのだ。
レディとの刹那。
とんっ。
指先どうしが軽く触れあう。
イタリア人が挨拶のために行うキスのように軽く触れ合うだけ。
そっと紙を離して、私は名残惜しくレディを見つめる、というより軽く睨む。
すると今回は彼女とふと目が合う。
ばちっ。
静電気が目の前で弾けるような感覚に脳が痺れる。
何か言葉を、と頭の中で考えていても舌が痺れてしまって動けない。
彼女は流し目で僕と目を合わせながら席の方へと体勢を向ける。
待って。
そんなの僕は聞いていない。
僕の中でこの大事件が起こったのはレディが終了試験を受け、関西の方へ帰ってしまう6日前のことだった。
僕は何かすることができないのか、そんな淡い思いを胸にそっと左手の薬指から指輪を外した。
「 教習所の先生 × 合宿中の生徒 」
In a car.