昔の知り合い
うちの近くには幼馴染と呼べるような女の子がたくさん住んでいた。湯野しずなもその一人だった。別に俺にとって特別な存在だった、とかそういうわけではない。普通に多くいる幼馴染の一人だった。でも別に嫌いでもなかったから、普通に顔は覚えていたし個人をきちんと判別していた。
……と俺がわざわざ当たり前のことを念押しするのは湯野の方がそれをできていなかったからだ。
湯野は小学生の低学年の頃に引っ越した。今まで近かった家が遠くなってめっきり顔を合わせる機会はなくなった。が、皆無になったわけではない。
俺はよく行くコンビニや駅やなんかでたまーに湯野を見かけることはあった。でも、声を掛けることはなかった。
なぜなら、湯野は俺にまったく気づいていなかったからだ。
湯野が引っ越して以来で久々に彼女を見かけたのは小学校の高学年くらいになった頃だった。この頃になると俺たちは買い食いも覚えたのでコンビニが非常に魅力的な場所になる。それで、友人たちとコンビニでアイスを物色していた夏、後から店に入ってきた赤いランドセルの女の子の集団の中に湯野を見つけた。重ねて言うが俺は別に湯野のことを他の幼馴染に比べて特別に気に入っていたわけではないし、まして好きだったわけでもない。ただ、見知った顔だったから「あ」と思った。思って軽く手を上げたのに。
湯野はまったく俺をスルー。
なんだおい。どうすればいいんだ俺のこの中途半端に持ち上がった手。
「知り合いでも、いた?」
「……いや」
一緒にいた友人に対する恥ずかしさで若かりし俺は猛烈に赤くなった。そんな俺が視界に入っている筈ではあるのだけど、湯野は完全スルー。気づいていながら、微妙な年代なので照れて無視している、とかじゃないことは、そのぼけらーっと本当に何も考えてなさそうな顔を見れば一目瞭然。こいつ、普通に俺のことをまったく忘れてやがる……。
それ以来、何度か道などで湯野を見かけても、俺は知らん振りする事にしたし、湯野にいたってはいつも俺に気づく気配はなかった。
だから、それで俺と湯野の関係は途絶えたはずだった。まったくの他人。
それなのに、何の偶然だか。
中等部に上がって数ヶ月経った時に、またその関係は修復された。動機を理解するのに苦しむ理由で湯野が朽ちかけのアパートに不法侵入していた事が原因で。
はじめ、湯野はそれでも俺が誰だかわからなかったらしくて、うちに連れて行って母に会わせてようやく思い出した風だった。
「ああ! 亨ちゃんだったんだ」
「思い出すのにどんだけかかってんだ」
何年かかってんだよ。
「変わっててわかんなかったんだよー。男の子って成長すごいねえ」
「残念ながら俺の身長はなかなか低い方だよ」
本当に残念な事に、並んで二人とも身長は変わらないくらいだった。
湯野はえーと、じゃあ、などと言い訳を必死に探している様子。もうその時点でばればれだからしょうがない。
「もういいよ」
言ったら、素直にホッとした顔をする。まったく。
それから人懐っこく笑って。
「えーと、じゃあ、これからは仲良くしてね」
非常に無邪気に言うのがらしい、っちゃあらしい。普通このくらいの年頃って結構男女の違いを意識したりして男の子と仲良く、とか言わないんじゃないか?
「仲良くって?」
意地悪く聞いてやったら特に困った顔もせずにすらすらと。
「え? 一緒に遊んだり、勉強したりしよ? あ、そうだ。うちにも遊びに来る?」
「え。あ、じゃあ、そのうち」
「ホント!? いつにしよっか? いつ、大丈夫? 来週は何曜日が暇?」
楽しそうに嬉しそうに、具体的な日程詰めてくる。なんだ、この積極性。読めない……。
思っているうちに向こうのペースで日程が決まってしまって。目を白黒させていたら、湯野はちょっと安心したように笑った。
「わたしのせいで亨ちゃんに怪我させちゃったから、お詫びするね」
ああ、と俺はようやく納得がいった。とろくさいこいつが妙にそそくさと予定を決めた理由。結構気にしてたのか。
意外としっかりしたやつなのかもしれない。
ちょっと見直した瞬間、湯野はうっかり手が滑って、母が彼女に出したサイダーを盛大にこぼした。