第82話 紅白
カッと開いた口から、先ほどよりも威力の強い赤々とした炎が、前足を踏みつけたセトの足に近距離で放たれた。熱かったが、今度は完璧な白い鱗の鎧に守られて、純白の鱗には焦げ目すらついていない。
『おい、なんで攻撃する!?おいって!』
サラマンダーがなんとか逃れようと暴れだす。
くそ、こいつも意思疎通ができないのか。
『カスティ!なんとかならないか?』
以前俺をさらった際、同じようにサラマンダーを操ることができたカスティなら、何か対策が分かるんじゃないか、そう思っての問いかけだった。
案の定カスティは険しい顔で分析をすでに開始しており、セトの問いかけにすぐさま答えた。
「セト、こいつ、別の魔力が混じってる!」
混じってるだと?…どういうことだ。カスティの時も確か似たような方法で竜達を操っていたような…。そうだ、俺たちはカスティが使えたことをやれる人を、一人知っている。
『…ルーネか』
その名前を出すと低い唸り声が喉を震わせた。とにかくサラマンダーの正気を戻すために水魔法で弱らせようと小さな水の玉を作りだした。
すると突然、サラマンダーが水の玉を見てなお一層激しく暴れだした。そしてあろうことか、セトの足の下敷きとなっている自らの腕に炎を吐きつけ、焼き始めた。
『ちょっ、何して…!?』
慌てたセトは思わず足を放した。すぐに自傷行為はやめたが、その目は明らかに正気ではない。正気なサラマンダーはまだ一度もお目にかかったことはないが、この目に魔力の色が宿り、紅蓮に燃えるように爛々と光っている状態が正気であるはずがない。
『お前、念話は届いているだろう?頼むから何か返事をしてくれ!』
しかし、サラマンダーは火傷を負ったセトの左腕めがけてジャンプし、噛みついた。
いくら鱗で覆われているといっても、すでに怪我を負ってしまった箇所をワニよりも強力なあごの力で噛みつかれて平気なわけはなかった。
「ッギャオオオオオオオ!!」
目の前に星が散った。たまらず腕を振って振り落とそうとしたが、そう簡単に離れない。逆に遠心力とサラマンダーの体重も相まって噛む力が強まった気がする。
カスティのときとは違って巨大化はしていないようだが、それでも竜だ、セトには遠く及ばないにしても大きいものは大きい。それに、掴んで引きはがそうにもサラマンダーの体を覆っている鱗は、無理な力がかかると溶岩並に熱くなるという厄介な特性を持っているため、前足の表に鱗がないセトにその方法は余計痛い結果を招く。
『くそ、どうすれば…って熱っ!?』
噛みつかれている箇所を見ると、なんとサラマンダーの歯がオレンジに光っている。どうやら熱を放っているらしく、それがセトの鱗、表皮、肉を焼いている。
焼かれて滴っていた血も止まっているのはいいが、じりじりとダメージが蓄積されている。
水魔法で水をかけても、どうやら鱗にバリアがはってあるらしく、全く効かない。
『ああもう、許せよ!』
結局サラマンダーを引きはがす良い策を思いつかず、仕方なくその下っ腹をグーで殴った。明らかに骨の折れる音がしたが、気絶してくれたおかげで顎は腕から外れた。
サラマンダーが地面に激突する直前に風を起こし、ゆっくりと降ろす。気絶している隙に、カスティがサラマンダー以外の魔力を抜いた。
「やっぱりあの女の魔力だ」
カスティが苦々しく呟いた。ルティは左腕を押さえて呻いているセトを気遣って足の周りをうろうろ歩き回っていた。
「グルルル…」
「セトさん、大丈夫ですか?大丈夫ですか?」
左腕が焼けるようだ。血こそ出ていないものの、脈打つ拍動とともに痛みが増すように痛む。
『人間体になったときこれどうなってるだろうな』
ハハッ、と苦笑が漏れる。しかしいつまでもこの姿のままというわけにはいかないため、意を決して人間体になった。なんだか痛みが増した気がするが、この際しかたな……。
「…あれ?」
人間体にはなった。なったのだが…何故か左腕だけコンパクトドラゴンズアーム。
「なんで!?」
ルティとカスティもこれには唖然だ。
もちろんコンパクトになった左腕にも痛々しい傷はあるが、もしかして、いやもしかしなくてもこの傷が原因だろう。
「それどうします?」
「どーすんのそれ」
カスティとルティが俺の左腕を凝視している。
「…とりあえず、包帯で巻いておくことにするよ」
手持ちの救急セットにあった包帯で左手をぐるぐる巻きにしてしばらくやり過ごすことにした。
「セトさあ、自分で回復魔法はかけられないの?」
「いや、それができたらいいんだけど、自分にはかけられないみたいでさ。まあこのくらいならすぐ治るだろ」
いや、実はかなりの重傷だが、そうでも言わないとこの2人が酷く心配してしまう。
「回復魔法は…苦手なんだよな…」
カスティが申し訳なさそうに呟いた。
「なんで落ち込んでるんだよ。すぐ治るって」
「けど、酷い怪我だよ?いくらセトでも、それはちゃんと治療した方が…」
ルティもうんうんと頷いている。俺としても、ちゃんと治療したいのは山々だが、こんな腕を医者に見せたら治療どころの話ではなくなってしまうだろう。
「…じゃあこの腕なんとか人間の腕に変化させられたら治療を受けに行くことにするよ」
2人から、それっていったいいつの話になるの?という視線が送られる。目を逸らすセト。と、目を逸らした先にいたサラマンダーの体が、ピクリと動いた。
「ガフッ…」
その口から、血が飛び出た。先ほどセトが殴った際に折れた骨が、内臓を傷つけてしまったのだろう。
セトは慌てて駆け寄り、サラマンダーに回復魔法をかけた。
「おい、聞こえるか?話はできそうか?」
セトの呼びかけに、サラマンダーの閉じていた目がゆっくりと開いた。その目に、もう怪しげな光は灯っていない。
『あ、あんたは…?』
何とびっくり、念話が届いて初めて分かった。このサラマンダー、メスだ。
「あ、やっと通じたか。よかった。痛むところはないか?」
『ああ、嘘のように痛みが消えた…。…え、なんであたいこんなところにいるんだ!?』
どうやら記憶がないらしい。これは残念だ。ルーネの情報が聞きだせると思ったのに。ダメ元で聞いてみるか。
「なあ、あんた…」
ルーネって女を知らないか、そう言おうとしたとき、森の奥から人間の大声が聞こえてきた。しかも、だんだんこちらに向かってきている。
「まさかさっきの戦いを見られたか!」
「たぶん竜の姿を見られたかもね。そこのサラマンダー、早く人間体になった方がいいよ」
サラマンダーはいまいち状況が飲めていないらしく、おどおどと周りを見回している。
「急げ、人間に竜体を見つけられてしまうぞ」
セトが急かして、ようやく人間体になってくれた。その数分後、村長が木々の間から顔を出した。
「おお、セト殿、ご無事でしたか!なにやら竜らしい生き物が林の奥で暴れていたのをみかけて、もしや巻き込まれたんでないかと心配しましたぞ。む?その傷は先ほど森にいた竜にやられたんですかい!?」
「あ、ああ」
うまい具合に勘違いをしてくれたようだ。間違ってはいないが、恐らく村長たちが見た竜は俺だろう。
「して、竜は何処に?」
「消えてしまったよ、忽然と。あ、イノシシは竜が群れごとどこか遠くへ吹き飛ばしてしまった」
それを聞いた村人たちは顔をほころばせた。
「本当ですか!いやよかったよかった!これで今夜から落ち着いて眠りにつけそうだ」
ともあれ、任務が無事終わってよかった。サラマンダーにはしばらく姿を隠したままついてきてもらった。
村からの報酬を受け取ると、泊まってくれと引き留めるお誘いを丁重に断って村を出た。
「えーと、俺はセト。君の名前は?」
村からかなり離れたところで彼女に姿を現してもらい、名前を尋ねた。
「あたいはアドナ。セト?戦友と同じ名前ね。助けてもらったし、何だか親しみを感じるわ。それに、あんたとってもセクシーね」
「え、っと…ありがとう?」
いろいろ突っ込みたいが、まずは。
「ところでアドナ、ルーネって名前に聞き覚えはある?」
アドナはうーんと思案顔になった。
「ルーネ……。誰かが誰かをそう呼んでいた…ような?」
ということは、ルーネは今誰と共に行動しているわけだ。
あとは彼女の居場所だが、アドナは現在地と住んでいたところの位置関係が分からないようで、戻れないと嘆いた。
「どうしようセト、あたいうちに戻らなきゃ。弟たちがいるのに…」
「ルーネ…何が狙いだ」
セトが呟いたとき、頭上に知った気配を感じた。
『ルーネとは、ルーネ=グランティスのことか?』
すぐさま空を見上げた。そこには、別れたはずのグレイオ達がいた。




