第76話 別離
体が動かない。重い。魔力が無理やり押さえつけられて窮屈だ。
何かで縛られている・・・?
セトはいつか感じたことのある不快感を覚えながら、目を覚ました。起き上がろうとして手をつくと、ジャラッ…と鎖の動く音がした。その直後、今度はセトの周りに一斉に槍の矛先がつきつけられた。
「・・・え」
驚いて立ち上がろうにも鎖で床に固定されていて起き上がることができない。
「ちょっ、なにこれ」
現状の把握ができない。そもそもなんでこんなことになっているのかすら分からない。遠くで「セト様が目覚めましたー!」と兵士らしき声で叫ぶ声がする。
「ねえちょっと、矛先つきつけるのやめてくれない?」
兵士たちに呼びかけるが、何故か全員恐ろしいものでも見るかのような目でセトを見ており、ピクリとも動かない。
「この鎖はなに?なんで俺拘束されてるの?」
誰も何も喋らない。なんだってんだ全く。どこだここ。みたとこ牢獄の中っぽいけど。
言いたいことは山ほどあるが、今何を言ってもこの人たちは答えないだろう。
やれやれとため息をついたとき、ふと気づいた。魔力を隠していた魔法が解けている。自分の右手に違和感を感じて目を向けると、赤茶色の何かが乾燥したものが付着している。
(これ・・・血か?)
何をした、俺は何をしでかした!?思い出せ、思い出せ!確かルーネを追って・・・。
そのとき、セトが拘束されている部屋に誰かが入ってきた。
「気分はどうだ、意識ははっきりしているか?」
「・・・アーサー、か?」
アーサーはセトが見える位置まで近づくと、首を縦にふった。
「な、なあアーサー、俺は何をしたんだ?ルーネさんはどうなった?カスティは?ルティはどこだ?」
疑問ばかりが口を吐く。鎖がなければ掴みかかっていた。
「落ち着けセト。わしにも分からんのだ。ルーネに飛びかかりそうだったカスティをおぬしが抑えたと思ったら急におぬしの様子がおかしくなったのじゃ」
ああそうだ。あの時なにかおかしな感情で胸がいっぱいになって・・・。そこからの記憶は全くない。
「その真っ白い髪はなんなのだ?それにラルクによれば魔力量が急に異常なほど膨れ上がったそうじゃ。おぬしにいったい何が起こった?」
「それを聞きたいのは俺の方だ。というか、はやくこの鎖と角についてる筒を外してくれないか」
しかしアーサーはそれはまだできないという。何故だと聞くと、俺の記憶が抜けている時間に俺自身の手でルーネをいたぶり殺そうとしたと聞かされ、この右手の血はそのせいか、など妙に納得した。驚きはしたが、取り乱すほどの話でもなかった。なんとなくだが、自分の中にある残虐性には気づいていたからかもしれない。
「そっか・・・。安心してよ、今はなんともないから」
なんとかアーサーを説得して筒と鎖を外してもらった。すぐさま魔力を隠し、全身をチェックする。
「本当に大丈夫なんだな?」
「これだけ普通に話してるんだから大丈夫だって。意識もはっきりしてるし」
そう言って牢を出た。とたん、何か白くて大きいものに押し倒された。
「うお!?」
『セトさんセトさんセトさんセトさんセトさん!無事でよかった!』
ルティが喉をゴロゴロ鳴らしながら頬ずりしてきた。その頭を撫でながら、
「ごめん、心配かけた」
と謝った。カスティはすぐ近くにいて、ホッとしたような顔をしていた。なんだかんだで二人にかなり心配させてしまったようだ。
「カスティも、ごめんな」
不意に俺が謝ったことに驚いたのか、ぷいっと顔を背けた。
「べ、別に心配なんかしてねーし。あんた人間に捕まりすぎなんだよ!油断しすぎなんじゃねーの?」
口調は乱暴で目も合わせようとしないが、背けた横顔に涙が零れるのを見て、本当に心配させてしまったんだなと反省した。
「カスティ、こっち来い」
カスティは顔を伏せたまま、セトの元に歩み寄った。セトはカスティをギュッと抱きしめ、その耳元で「すまなかった」と謝った。カスティにもルティにも、もう二度とこんな思いはさせない。俺自身もっと強くなって、二度と人間に捕まったり気絶したりなんかするもんかと心の中で誓った。
そのためには・・・。
「アーサー」
突然名前を呼ばれ、アーサーはセトの次の言葉に耳を傾ける。
「俺な、前から考えてたんだけど、・・・この国を離れるよ」
セトの言葉に、その場がざわめいた。しかし考えてみれば、ルーネの事件以前に天竜セトとこのグランティス王国には小さくない亀裂ができていた。当然といえば当然のことかもしれない、と、誰もが思った。
そしてそれはアーサーが一番よく分かっていることで、今までは強くセトを引き留めていたが、今度ばかりは駄々をこねなかった。
「そうか・・・。もし答えてくれるのなら、どこに行くつもりなのか教えてくれないか」
「そうだな・・・。ハンターギルドに所属するつもりだ、とだけ伝えておくよ。行き先は秘密。・・・言っておくけど、俺はさ、この国が嫌いになったわけじゃないんだよ、アーサー」
アーサーが顔を上げる。
「直すべきところはもちろんあると思うけど、それでも悪いところじゃなかったと思う。『俺』と『この世界』の常識の多少の違いで戸惑うこともあるけど、それはそれとして受け入れる覚悟もできてきた。・・・俺はね、自分を知るってことを避けてきたんだよ」
周りに集まってきていた竜達の中から、ギルバートが『セト様!』と念話で注意してきた。『分かってる、全部は言わないよ』と答えたが、それでも彼は不安そうだった。
「だからこれからはこの国を離れることを機会に、自分を知る旅に出たいと思う。だからアーサー、あんたのことが嫌いになったんじゃないよ。グランティスが嫌いで出ていくんじゃないんだから、皆そんな顔をしないでくれ」
気づけば、その場のほとんどの者が目に涙を浮かべていた。セトともう会えないんじゃないか、セトに助けてもらったお礼を十分にできていないんじゃないかという、セトに対する想いが、セトがグランティスを離れると言ったことで一気に膨れ上がり、涙となって流れていた。
「最後にとんでもない迷惑をかけてすまなかった。2度と来ないなんてつもりはないから、またどこかで会うこともあると思う!いろいろ世話になった!ありがとう!!」
お礼を述べると同時に竜体になり、カスティとルティを背に乗せ、姿を消した。上空へと一気に舞い上がり、グランティス王国を去る間際、竜達だけに何かあったら構わず念話で伝えてくれとだけ言い残し、人の目には見えない速さで飛び去った。
『これで良かったんだよな。これでグランティスにルーネの災いが降りかかることはないよな』
カスティは「たぶんね」と呟き、ルティは『そうですね』と同意した。
夜明けの薄明るい空の中からはもう、広大なグランティス王国の領土は見えなくなっていた。




